階段のある街についての物語

川野芽生

階段のある街についての物語

 階段のある街に住んでいた。

 僕たちは双子だった。生まれた日から死ぬ日までの双子だった。僕たちはその街でみなしごだったけれど、サカナたちのあるじをしていて、そのことは誰も知らなかった。夜になるとやってきて街を埋め尽くすあのサカナたちだ。

 サカナたちは、眠る人たちのみる夢を鱗でかすめてやってくる。だから鱗の一枚一枚には夢が小さく映り込んでいる。鱗ははがれて街路に落ちる。僕たちは鱗の敷き詰められた街路を、青い鈴を鳴らしながら行進する。サカナたちがいるから、この街に眠れない住人はいない。この街で眠れないのは僕たち二人だけだ。みんなが眠っているから夜はいっそうおそろしい。だから僕たちは誰よりも深く怯えることができる。

 眠れない僕たちは手をつないで夜じゅう街を歩きまわる。誰もが眠っているから夜は永遠に終わらないのではないかと思う。夜のたびに僕たちは永遠の夜を歩きまわるのだ。そして夜が遠ざかるたび、おびただしいサカナたちと一緒に、僕たちの背中が遠くなっていくのを見る。夜は鱗ほどに小さくなって夜の国へ姿を消す。そして夜の国はあまりに広大なので、同じ夜は二度と僕たちの前に巡ってこないのだ。


 階段のある街に住んでいた。

 僕たちは双子だった。別々に生まれて、二本の木が幹を絡ませていくように、だんだんと僕たちは双子になった。僕たちには幾通りもの過去があった。すべて自分たちで考え出したものだ。僕たちはありとあらゆるあるべき過去の話を考えては物語り、思い出しては膨らませて、それらは数え切れないほどたくさんの物語になったけれど、互いの話した話であれば僕たちは本当のことも嘘のことも一つ残らず覚えていた。そしてその過去のどこでも、僕たちはいつも一緒だった。

 たとえば僕たちの放浪のこと。神出鬼没の美しい青い汽車を追って、僕たちは菜の花畑から樅の林へ、湖に浮かぶ島から大都会へと旅をした。最後に行ったのはガラスでできた大きな街だった。汽車が轟音を立てながら街を通っていくと、ガラスでできた摩天楼は共振して、次々に崩れた。砕けたガラスが粉々になって降り注ぐ中を、僕たちは必死に汽車を追って走った。ガラスは光をはね返し、ありとあらゆる色に分解させながら降ってきた。危ない、と誰かが言って、僕たちに手を差し伸べ、汽車に引っ張りあげてくれた。車掌だった。だから僕たちはその後の光景を汽車の窓から見た。日が傾いてくると、降り注ぐガラスは茜色の光だけをはね返しはじめた。日が沈んでしまっても、かすかな遠い光をとらえてガラスはちらちらと瞬き、撒き散らされたビーズのようだった。

 噂によれば、摩天楼はあまりに高かったので、その後何日もガラスが降りつづけたそうだ。それ以来、僕たちが行くどんな街でも、雨と呼ばれるものが降り、虹と呼ばれるものがかかって、星と呼ばれるものが見えるようになった。そしてみんなそれがこの世のはじめからのことのように思っている。

 汽車の追跡行はそれで終わった。乗ってしまったからには降りなければならなくなったからだ。僕たちは、鳥だけがいて人のいない街で降りた。そこでは電線も屋根も街路樹もすべては鳥の止まり木であり、それ以外の用途を持たなかった。僕たちが歩くと、鳥たちはそれも止まり木だと思って頭や肩や肘や手首に止まってきたので、僕たちは互いが見えなくなったほどだ。


 階段のある街に住んでいた。

 僕たちは双子だった。僕たちはみなしごだったから、階段の上で暮らしていた。いつも広場から七段昇ったところで横になって眠るのだ。段はとても広くて、僕たちは二人並んで眠ることができた。夜になると、階段には街中の鳩がやってきて眠る。鳩たちには、空を飛んで階段の天辺まで行くことができない。小鳥たちにもそれはできない。鳩はそれには体が重すぎ、小鳥たちは羽が小さすぎる。空の頂点目指して駆け上がり、撃たれたように落ちてくるあの雲雀だってだめだ。猛禽にならそれができるのではないかと僕たちは考えている。よく見ていると、街の猛禽は時々その数が減っていることがあった。

 僕たちはといえば二十段目より上には滅多に行かない。一度ずいぶん遠いところまで昇ったことがあるけれど、日が沈む前にと思って慌てて引き返してきた。そこまで行っても天辺は見えてこなかったけれど、そこから見下ろすと街などというものは影も形もなかった。

 街にはありとあらゆる行商人がやってくる。靴紐を売る行商人、ペン先を売る行商人、開かない本や、ホタルの紅茶、羽根でできた護身用ナイフや、懐中砂時計を売る行商人たち。リプリルフールの行商人に会ったこともある。リプリルフールは、塗ると嘘が上手に吐けるリップグロスだ。かれらは五段目に店を開いた。かれらは僕たちにも商品をすすめて、一方が金色、他方は銀色というのはどうだろうと言ったけれど、僕たちはそれがなくても嘘を吐くのが上手だからと君は答え、僕は君が眠っている間に一度だけ目を覚ました。


  〈鯨についての会話〉

  鯨が死んだんだ。

  知ってる。

  君の知っているたった一頭の鯨だった。

  そう、そしてたぶん世界で最後の。

  鯨がいつか死ぬんだって知っていた?

  鯨が生まれる前から知っていた。

  そういう約束だったからね。

  そういう約束だった、本に書いてあった。

  読んだことがあるんだね。

  僕たちは本を読み上げる係だった。

  盲目の王様のために。

  君は最初から、

  君は最後から、

  同時に読み上げていったんだ、

  そしてちょうど真ん中のところに、鯨のことが書いてあった。

  そう、そして王宮にいるときに、鯨に出会った。

  王国が水に沈んだからだ。

  それは最後の鯨が生まれたからだ。

  鯨が大きくなるに従って、水位がどんどん上がっていって、

  僕たちはトビウオの群れに乗って、鯨のあとについて旅をして、

  一箇所だけ残った陸地に着いてそこで旅をやめた。

  鯨と別れて。

  鯨と別れて。

  その時にはもう、陸地には僕たちしかいなかった。

  僕たちは二人で暮らした。日夜トビウオたちを見て。

  時々鯨のことを考えた。

  鯨が死んで、これからはどんどん水位が下がっていくんだよ。

  鯨はどこへ行くか知っている?

  サカナたちと同じ場所だよ。

  どのサカナたち?

  夜になるとやってきて街を埋め尽くすあのサカナたち。

  僕たちはサカナたちのあるじだった。

  そのことは誰も知らなかった。

  あの街ではみんな眠ってしまうから。

  どんな街だったか覚えている?

  階段のある街だった。

  階段のある街に住んでいた。

  どこまでも高い階段のある街だった。

  水位が上がったとき、僕たちが辿り着いたのも、その階段の途中だった。

  戻ってきたんだね。

  戻ってきたんだよ。


 階段のある街に住んでいた。

僕たちは来世の双子で、前世の双子だった。夜に見た夢の繰り返しとして朝が始まるように、僕たちは双子だったいつかの記憶をなぞって生きていた。


  〈リプリルフールについての会話〉

  こんばんは。

  やあ、……リプリルフールだね? そうだと思った。

  あいつも買いに来ましたか。

  お客さんのことは秘密なんだ。

  そうだろうと思いました。

  差し支えなかったら教えてほしいな、君たちにはリプリルフールはいらないはず  じゃなかったのかい。

  二人だったら。でも一人では嘘が吐けるか分からないんです。それにしくじっちゃいけない嘘なんです。

  行くんだね。

  行くんです。


 階段のある街に住んでいた。

 僕たちは双子だった。生まれる前から死んだ後までの双子だった。その街には夕立があった。他のすべての街ではもう絶滅してしまった。夕立は敷石の下に住んでいる小さな蛇で、夕方になるといっせいに出てきて空へ駆けのぼるのだ。それから虹という名前の羽虫の群れも。かれらが死んでしまったら僕たちもこの街を出るだろう。虹たちはありとあらゆる街の記憶を、


 ……眠ったんだね?


 君が眠っている間に、言わなくちゃいけないことがあるんだ。

 明日目が覚めたら、君は僕のことを忘れている。二人で話した嘘の話も本当の話も、君は全部自分で考えたことだと思うようになっている。だけどどの話も、君は一つ残らず覚えている。

 君はいつか誰かに出会って、その人とまた双子のきょうだいになるかもしれない。その時には、二人で話した話を最初から全部、その人と一緒にまた話すんだ。

 僕は行かなくちゃ。階段を昇っていくんだよ。一番天辺まで行くんだ。

 またね、僕の双子のきょうだい。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

階段のある街についての物語 川野芽生 @umiumaya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る