エピローグ 2




「よぉ、何でこんなところで飲んでるんだよ。下に降りてこないのか」


 クックが呼びかけると、丘の上に一人座っていたジーナは振り返って微笑んだ。傍の大剣を、愛おしそうに撫でる。


「カルロスに見せてやりたかったのさ。あのどうしようもない悪ガキが、とうとう結婚するよって。こんな日が来るなんて、夢にも思わなかったねぇ」


 くつくつと笑うジーナに苦笑しながら、クックは彼女の横に座った。持ってきたワインボトルを傾け、ジーナと自分のグラスを満たす。


「言うな。俺だって信じられないさ」

「船乗り連中とすぐ喧嘩するわ、女遊びはするわ、船を盗んでいなくなるわ。カルロスの言うことを全然聞かないで、好き勝手な場所に行っては厄介ごとに首を突っ込んでばっかりの悪ガキだったのに。

 突然、どこかの滅亡した国の王女とかいう女の子を連れて帰ってきた時はたまげたねぇ。それから、急に一人前の男みたいになりやがってさ」

「だから言うなって」


 顔を赤らめながら、クックが言う。ジーナはグラスを傾けて喉を鳴らし、砂浜で楽しそうに踊るルーベルをじっと見つめた。


「あの子が、あんたにとっての宝だったんだね」


 ジーナの呟きに、クックは返事をしなかった。

 しばらく心地よい沈黙が落ちたあと、クックが口を開く。


「俺は、どうしてカルロスが“国を作る”って言ってたのか分からなかったんだ。海賊が国を作るなんて馬鹿馬鹿しい。俺たちには、船さえあれば十分だろうって。わざわざ世界の枠組みに自分から飛び込んでいくなんて、カルロスは間違ってる。そう思ってたんだ」


 ジーナは黙って、先を促すように軽く頷いた。


「だけど、わかったんだ。カルロスは、“守りたいもの”ができたんだな」


 クックはそう言葉を重ね、砂浜で、賑やかに騒いでいる仲間たちを見回した。その中には、ルーベルと手を取り、楽しそうに踊っているジャニの姿もある。


「俺たちは、ジャニに守ってもらった。あんな小さい子供に守ってもらえなければ、リチャードに取り囲まれていた時点で命はなかったはずだ。情けねぇ話さ。結局、国を上げた戦力に囲まれたら太刀打ちできねぇんだからな。自分達の無力さを思い知ったよ」


 悔しそうに歯噛みするクックを、ジーナは静かに見つめている。

 クックはゆっくりと顔を上げた。


「ジャニが俺たちを選んでくれて、嬉しかった。守りたいと思った。

 それだけじゃない。ルーベルも、あんたも、この島のみんなも守りたい。

 今までみたいに、好きなように船に乗って海賊家業に精出してるだけじゃ、それらは守れない。それに気づいたんだ。きっと、カルロスもそう思って、この島を国にしようと思ったんだろう」


 今は海賊にとって暮らしやすい時代でも、時を経て海の規制はどんどん厳しくなるだろう。国々の争いも、この先力で押し切る時代ではなくなるかもしれない。そうなったら、うまいこと立ち回れるようにならないと、こんな小さな島はすぐどこかの国に奪われてしまうだろう。


 この島の特徴を最大限に活かし、海賊たちの力を結集し、小さくても守りの堅い、そんな国を作れたら。


 いつかの、カルロスの言葉が蘇る。


【誰もが平等で、自由で、助け合える国だ。奴隷なんぞいない。生まれも育ちも関係ない。俺たちみたいな、国を追われた者、国を失った者の新しい国を、ここに作る】


 ただの理想と言われれば、それまでだろう。だが、パウロやジャニには、そんな世界を見せてやりたい。そんな世界を作れるわけがない、できるわけないと諦めた大人たちの姿ばかり見せたくない。


(カルロス。あんたも、俺にそんな世界を見せたかったんだろう?)


 クックは立ち上がった。

 黒い縮れ髪の大男の背中を思い浮かべながら、地面に突き立てられている大剣を勢いよく引き抜いた。

 真昼の陽光が刀身に照り返る。

 不可能なことなど何もないと思えるような快晴が広がっている。

 果てのない水平線を見つめながら、クックは新たな決意を胸に、吹き荒ぶ海風のなか、すっくと立っていた。







「アドリアン、もう少しこの島にいればよかったのに。こんなご馳走を食べ損ねるなんて、可哀想」


 バジルの手料理に相合を崩しながら、ジャニは独りごちた。

 ザクロの島での激闘を終え、バルトリア島に帰り着いた後、アドリアンはしばらく島に滞在していたのだが、背中の傷が癒えるとすぐにセンテウスへと戻ってしまった。


 島を離れるとき、ルーベルの手をとり、目を潤ませていたアドリアンの姿を思い出す。アドリアンはその後、血管が浮き出るほど強くクックの手を握って


「いつか君を超える男になってみせる!!」


 そう叫び、呆気に取られた顔のクック達を尻目に、足音荒く船に乗り込んでいった。

 “ゲイル討伐”の勅命を受けていたアドリアンの使命は、違う形ではあったが果たされた。ゲイルは死んだのだ。

 最強の武装を誇る“インフィエルノ号”がイグノア海軍の手に渡ったことはセンテウスにとって痛手であるかもしれないが、国に帰ったアドリアンが英雄として歓迎されていることは想像に難くないであろう。


「おいおい、じいさん、どうした? 飲みすぎたか?」


 ふとメイソンとグリッジーの心配そうな声が聞こえ、ジャニはそちらに顔を向ける。すると驚いたことに、向かいの席でラム酒を煽っていたバジルが、なぜかジャニを見ながら目元を潤ませていた。


「えっ、バジル、泣いてるの!?」


 ジャニも驚いて目を見張る。この老戦士が泣くところなど、初めて見たのだ。

 バジルは顔をくしゃくしゃに歪めて、手負いの獣がうめくような声で何か言っている。


「ジャニまでそんなドレスなんか着ちまってよ! どうせ、お前もいつかは嫁に行っちまうんだろ!? そう思ったら寂しくてよぅ・・・・・・」


 バジルの言葉を聞いたメイソンとグリッジーは、顔を見合わせると盛大に笑い始めた。


「じいさん、何可愛いこと言ってんだよ!」

「うるせぇ! 笑うな! お前たちだって、ジャニが嫁に行く日には絶対にビービー泣き喚いてるからな! 俺が保証する!」


 ジャニはため息をつくと、勝手放題言っている男三人を睨みつけ、腰に手を当てて大声で言い放った。


「勝手なこと言わないでよ!私は絶対、お嫁になんて行かないからね。

 私は、いつか翼獅子号の船長になって、この海で一番強い海賊になるんだから!」


 束の間沈黙が落ち、男三人で顔を見合わせたと思うと、メイソンとグリッジーはさらに大声を張り上げて笑い転げ、バジルはおいおい泣き始めた。


「だぁーっはっはっは!! バァカ言ってんじゃねぇよ、お前みたいなチビが船長になるだと!? 無理に決まってらぁ!」

「ジャニがクックみたいになるなんて嫌だぁ、俺ぁ見たくねぇぇ」

「全く、みんなして飲み過ぎだよ」


 ジャニはもう一度ため息をつくと、そういえばクックはどこに行ったのだろうと視線を巡らした。


 ジャニの目が、丘の上に佇むクックを捉える。


 クックはカルロスの形見の大剣を手に、何か決意のこもった眼差しを水平線に向けていた。彼の神聖ささえ感じる雰囲気にのまれて口をつぐんだジャニは、何か異質なものを視界に捉えて瞠目する。


(あれ?)


 慌てて右目を擦る。

 呪いが解け、右目が元に戻ってからというもの、ジャニは時々不可思議なものを目にすることがあった。視界を遮る羽虫のように捉えどころがないので、それが煩わしくもあり、未だ眼帯をつけていたのだが。

 今はいつもよりくっきりと見える。クックの横に、金色の粒子の塊がふわふわと風に揺られるように浮かんでいる。しかも、じっと目を凝らしていると、その粒子はだんだんと人の姿を成してきた。

 縮れ髪の、大男の姿に。


(あれは・・・・・・!)


 いつかセイレーンにリチャードの記憶を見せられたときに、ジャニは彼の姿を目にしていた。


(カルロス・・・・・・?)


 金色の粒子で形どられた大男は、優しい眼差しをクックにむけていたが、ふとこちらを振り向いた。


 ジャニと大男の視線が絡み合う。


 大男の唇が、何か言葉を紡ぐように動いた。脅威の視力を誇るジャニの目は、その唇が紡ぐ言葉を読み取る。


【こいつを、よろしくな】


 大男の指が、クックを指し示す。

 ジャニはあまりの驚きに口を半開きにしたまま固まっていたが、やがて、ぎこちなく肯首した。

 大男はふわりと微笑むと、ジーナの目の前に移動し、愛おしそうに彼女の額に口づけを落として、目を閉じた。

 一際、強い海風が吹いた。その風に空へと運ばれるように、金色の粒子は消えてなくなり、大男の姿も見えなくなっていた。


 今見た光景の衝撃が冷めやらず、ジャニは呆然とその場に佇んでいた。

 しかし、やがてじわじわと、胸の内から何か強い気持ちが膨らんでいく。

 今しがた大男と交わした約束が、海に投げ込まれた錨のように、ゆっくりと胸の奥に沈んでいく。

 どうして船長に、海賊になりたいのか、改めてジャニは理解した。

 それは、命を救ってくれたクックに付き従う気持ちもあったからかもしれない。だが、それだけではなかった。

 クックが皆を守ったように、ロンと皆がクックと自分を助けてくれたように、ここには、守り守られる得難い何かがあるのを感じた。カルロスが培い、クックがそれを受け継ぎ、仲間と共に育んできたもの。自分も、それを守り、繋げていけたら。

 ジャニはそう強く願ったのだった。そのためなら、あの恐ろしい嵐の海にだって、化け物や冷酷な海賊や海軍にだって、立ち向かってみせる。


 水色のドレスを海風にたなびかせ、凛と背筋を伸ばし、ジャニは今一度クックを仰ぎ見た。

 カルロスの大剣を手に、水平線に目を向けるクックは、何をその胸に秘めているのだろうか。


 燦々と降り注ぐ陽光の中、ジャニは眩しさに目を細め、クックの傍に力強く立つ未来の自分の姿を、悠然と———思い描くのだった。











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ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。

ジャニとクック達の旅はまだまだ続きます。いつかまた、お会いする時まで!

Bon voyage!!

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妖獣の唇に セイレーンの涙を 茅野 明空(かやの めあ) @abobobolife

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