エピローグ 1




「おい、ジャニ! 早くしろよ! 結婚式始まっちゃうぞ!」


 パウロは苛立たしげに木製の重い扉を叩いた。

 中からジーナの「もうちょっと待っておくれ」という声が聞こえてくる。しかし、そのまましばらく待ってみても、扉が開く気配はない。パウロはため息をついて腕を組んだ。


 ここはバルトリア島のジーナの店、“カリュプソ亭”の一室である。


 そして今日は、クックとルーベルの結婚式が島の浜辺で行われるのだ。

 ルーベルの意向で、彼女の故郷のリンドヒゥリカの伝統に習った式になる予定で、あまり豪勢な飾り付けはせず、自然の中で行う式である。

 集まる皆も、特に格式ばった格好をする必要もないというので、パウロとジャニはいつもの格好で式に赴こうとしていたところを、ジーナに止められた。


「女の子なんだから、こんな時くらい可愛い格好しないと!」


 ジーナはそう言って、ジャニを部屋に連れ去り閉じこもってしまった。それから結構な時間が経ってしまっている。

 パウロは眉を顰めて、片手に持っている白い花の首飾りを見下ろした。


(困ったなぁ。この結婚指輪の代わりの首飾り、ジャニが渡す役なのに)


 式に遅れたら翼獅子号の皆に大目玉を喰らうだろう。かと言って、ジーナに反抗する勇気はない。

 パウロはもう一度ため息をつき、無意識のうちに、鼻の上の傷跡をポリポリとかいていた。


 彼の鼻から頬にかけて、顔を横一文字に遮るような傷跡がある。

 これはセイレーンに付けられた傷だった。ロンが美しい縫合で綺麗に直してくれたのだが、傷跡は完全には消えなかった。

 ジャニは「自分のせいだ」と泣いて詫びたが、パウロは「俺はこの傷、気に入ってるよ」と笑って見せた。


「海賊らしくなっただろ!」


 実際、パウロは、この傷がやっと自分が海賊になることができた証のように感じていたのだった。


 と、その時、一向に開かなかった扉が開き、満足げな表情のジーナが顔を出した。


「待たせて悪いね、パウロ。終わったよ。ほら、見違えたと思わないかい?」


 そう言って、自慢げにジーナが腕を伸ばす。その方向に目をやったパウロは、ハッと息を呑んでいた。


 淡い水色のドレスを着たジャニが、恥ずかしそうに立っていたのだ。


 いつもの眼帯は外され、ボサボサのかみは綺麗に整えられており、首飾りに使われているのと同じ、白い花が耳元に飾られている。動くとふわりと裾が翻るそのドレスは、ジャニの綺麗な青い目と色が合っており、彼女を今までになく可愛らしく見せていた。

 硬直しているパウロに、ジャニが困ったように言う。


「こんな格好、みんなに笑われちゃうよね? 絶対、似合わないもん」

「何を言ってるんだい! とってもよく似合ってるよ! ほらパウロ、あんたもなんか言っておやり」


 ジーナに言われても、パウロはすぐに言葉が出なかった。


 ジャニの右目部分には、まるで何事もなかったかのように、大きくつぶらな青い目が居座っている。もはや、彼女を“化け物”と呼ぶものは一人もいないだろう。

 呪いが解け、右目を取り戻したジャニは、未だに慣れないからという理由でよく眼帯をつけていた。しかし、時々眼帯を外しているジャニを見ると、パウロはなぜか胸がざわめくのだった。その原因がわからず、近頃悶々としたものを抱えている。

 今も、吸い込まれそうなジャニの青い目に見つめられて、パウロの心臓は踊るように高鳴り出した。


「わ、悪くないと思う」


 視線を逸らし、なんとか言葉を捻り出す。「ほんと?」と聞くジャニは少し嬉しそうだ。

 ジーナはそんなパウロを見てほくそ笑むと、彼の目の前にジャニを押し出した。


「さぁ、パウロ。ちゃんとジャニをエスコートしてやるんだよ」

「な、なんで俺が!」


 急に近づいたジャニから逃れるように、パウロは慌てて後ずさった。

 頬が火照るように熱い。自身の動揺を押し隠すように、パウロはジャニに指を突きつけてわざと声を荒げていた。


「お、お前は俺にとって、弟みたいな存在なんだからな! エスコートなんて絶対しないぞ!」


 ジャニはキョトンとした顔をすると、すぐに輝くような笑顔を浮かべた。


「私にとっても、パウロは頼れる兄貴だよ! ずーっとね!」


 心からの親しみを込めて言ったジャニの言葉に、パウロは一瞬傷ついた表情をした。そして、そんな顔をしてしまった自分に困惑し、どうしていいかわからなくなり、思わず脱兎の如くその場を走り去っていた。


「ちょ、ちょっとパウロ! 待ってよ!」


 ジャニが慌ててその後を追う。騒々しく走り去っていく二人を見送り、ジーナは苦笑した。


「あーぁ、あれじゃぁ先が思いやられるね」








 セバスチャンの奏でるギターの音に合わせて、ルーベルの長い四肢が優艶に舞う。

 白い砂浜に、彼女の裸足が緩やかな線を描いていく。

 白い花冠を被り、真っ白でシンプルなドレスを纏ったルーベルは、息を呑むような美しさだ。

 彼女の一族に伝わる婚姻の儀の舞を、荘厳な雰囲気の中、悠然と踊り続ける。


 そして彼女を取り囲むように、浜辺には翼獅子号の面々が思い思いの場所に座っていた。皆、魅せられたようにルーベルの一挙一動を見つめている。


(なんて綺麗なんだろう)


 ジャニも時間を忘れて、ルーベルの踊りに見入っていた。


 まるで、大地と会話するように、ルーベルの足が力強く砂浜を踏みしめる。手の動き、視線の動き、どれも意味のある動きであり、彼女は自分を包み込む全ての自然に対して感謝を捧げ、祈りを捧げているのだ。

 はるか遠い新大陸の片隅で行われていた、一つの文化の片鱗を見て、ジャニは胸中でつぶやいた。


(これも“ファーブラ”なんだよね、お爺さん)


 マハリシュの笑顔が脳裏をよぎる。

 この踊りを棚に飾ることはできないが、もし彼がこれを見たら、目を輝かせて喜んだだろう。


 ルーベルが時折熱い視線を送る先には、海賊たちの輪の中心に座っているクックがいる。いつもの着古したシャツではなく、真っ白なシャツを着たクックは、ジャニが見たことないほど優しい眼差しでルーベルを見ていた。

 やがて、踊りを終えたルーベルが、真っ直ぐクックに歩み寄った。それを見て、ジャニは慌てて白い花の首飾りを二つ携え、二人の前に進み出る。

 ルーベルは水色のドレスに身を包んだジャニを見ると、パッと顔を輝かせた。


「まぁ、ジャニ! とっても可愛いわよ! そのドレス、すごく似合ってる!」

「こりゃぁ、驚いた。誰かと思ったぞ」


 クックも目を丸くしている。

 ジャニは顔を真っ赤にして、辿々しく「お、おめでとうございます」と言いながら首飾りを差し出した。

 ジャニから首飾りを受け取った二人は、それぞれの首に首飾りをかけ、お互い見つめ合うと、自然に微笑みを浮かべて口づけを交わした。


「おめでとう!!」

「幸せにな!!」

「畜生、俺たちのアイドルが!」


 周りから思い思いの歓声が上がり、セバスチャンがすかさず陽気な音楽を奏で始めた。


「さぁ、宴だ! 飲んで騒いで盛大に食え!!」


 そう大声を張り上げるバジルの手には、特大の豚の丸焼きが乗った大皿が抱えられている。そして彼の後ろに続く男たちの手にも、沢山のご馳走が並んでいた。

 魚の香草パイ包み焼き、魚介の煮込み、蒸した野菜に、ハーブが香るソーセージ、などなど。そしてもちろん、バジル特製のシチューもたっぷりとある。

 酒は豪勢に樽ごと置かれ、待ってましたとばかりに海賊たちの宴会が始まった。

 そのうち、バルトリア島の島民たちも続々と集まり、浜辺は一気に騒がしくなった。

 島の女たちと一緒になり、浜辺で気ままに踊るルーベルを笑って見ていたクックは、ロンに肩を叩かれて顔を上げた。


「クック、あそこ」


 そう言ってロンが指差す先には、浜辺を見下ろせる小高い丘があった。そこに座り込み、一人グラスを傾けている女性がいる。彼女の傍には、大剣が地面に突き立てられており、その柄に結ばれた赤いバンダナが、風にたなびいていた。


「・・・・・・ちょっと行ってくる」


 クックはグラスとワインボトルを手に立ち上がった。丘に向かって歩き出したクックの背に、ロンの声がかかる。


「クック!」


 振り返ると、右手を差し出すロンの姿があった。


「本当に、おめでとう」


 クックは口の端を上げて笑い、照れ臭そうにロンの手を握り返す。すると、思いの外強く握られ、クックは訝しげにロンの顔を見上げていた。

 ロンの真っ直ぐな黒い瞳に、射抜かれる。


「もう二度と、彼女を泣かすなよ」


 クックはわずかに目を見開き、ロンを見つめた。その顔が、真剣な表情に変わる。やがて、クックは黙ってひとつ頷いた。

 ロンの表情が和らいだ。ぱっと手を離すと、「早く帰ってこないと、酒も飯もなくなるぞ」とおどけたように言いながら、背中を向けて宴会に戻っていく。


 ロンの背中を見届け、クックは踵を返して丘を登っていった。







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