彼女の呪いが解けるとき 9





 翼獅子号は、白い帆を目一杯広げて、海原に滑り出していく。


 暁の爽やかな薄明はくめいが、東の空を薄桃色に染め上げ、青い影と美しい陰影を織り成している。

 雄大な景色の中、遠ざかっていく帆船を見つめ、リチャードは自身にも聞こえるか聞こえないかの声で、そっとささやいた。


「神よ。いるのならば、どうか、あの子に祝福を・・・・・・」


 込み上げる熱いものを堪え、リチャードは翼獅子号に背を向けた。自分を見つめている海兵たちに、げきの声を飛ばす。


「さぁ、ボートの宝をさっさと引き上げろ! 島に上陸して瓦礫の撤去作業にかかる。なんとしてもデイヴィッド・グレイの宝を国に持ち帰るんだ!」








「あーぁ、結局、お宝は手に入れられなかったな」


 遠ざかっていく島と軍艦を恨めしげに見ながら、バジルが悔しそうに言った。


「あんなに大変な思いしたってのによ! これじゃぁ、骨折り損のくたびれもうけだ」

「確かになぁ。船もまだ修繕が終わってないし、こりゃぁ大幅な赤字ですね、船長!」


 セバスチャンも同調して、クックに苦笑を向けた。

 しかし、クックはというと、笑いを堪えるような顔をしてグリッジーに目を向けている。


「グリッジー、そろそろ正直に出さねぇと、お前も無人島に置き去りにするぞ?」

「おおっと、それだけはご勘弁を! さすが船長、気づいてやしたか」


 グリッジーはにやにやと抑えきれない笑みに顔を歪ませながら、指先まで覆っている長いシャツの袖を捲り上げた。


「おおっ!」


 船員たちから驚愕の声が上がる。

 グリッジーの腕には、色とりどりの宝石で飾られた腕輪が何重にもつけられ、全ての指に大きさも色も様々な宝石がついた指輪が付けられていた。そして、身体中の至る所から出てくる宝石の数々。さらに、グリッジーが自身の使い込んだ鞘から引き抜いた剣は、刀身まで純金でできた装飾用の宝剣なのだった。


「い、いつの間に」


 ロンが驚愕の表情で呟いている。


「ちなみに、グリッジーに言われて俺たちも持ってきたぜ!」


 メイソンが快活に声をあげ、自身のシャツをはだける。

 彼の胸元にも、朝日を受けてキラキラ輝く特大の宝石の首飾りが何重にもかけられていた。その横ではウルドも、隠し持っていた宝石を驚くような場所から取り出してみせる。


「まぁ、あの洞窟いっぱいの財宝に比べたら雀の涙みてぇな量ですがね。どれも俺が選び抜いたやつだから、品質は保証しますぜ。宝石のいいところは、一つで金貨何百枚の価値があるところでしょうな!」


 にやっと笑ってみせたグリッジーは、次の瞬間、喝采を上げる船員たちにもみくちゃにされていた。


「でかしたクソチビ!!」

「さすが抜け目のない守銭奴野郎だぜ!!」

「おいっ、てめぇら褒めてんのかそれ!?」


 そんな彼らのじゃれ合いを見守りながら、ジャニには一つだけ気がかりなことがあった。その気がかりを放っておくことができず、ジャニはクックに向かって重い口を開く。


「船長」

「どうした、ジャニ?」

「今まで・・・・・・騙していてごめんなさい。女だということも、リチャードの孫だということも」


 ジャニの言葉に、皆がハッとしたように彼女を見た。クックも表情を引き締める。

 ジャニは、不安に顔を曇らせながら尋ねていた。


「私は・・・・・・ここにいてもいいの?」


 船員に女は認められない。この翼獅子号の掟でそう決まっている。自分が女だということをまだ知らない船員も多くいるだろう。

 そんな中で、自分は海賊として、この船の船員として、皆にちゃんと認められるのだろうか。

 クックは思案するように顎の無精髭を指でなぞった。


「そうだな。確かにお前は、俺たちの長年の天敵であるリチャード・ディオンの孫で、掟では乗船を許可されていない女で、しかもまだ十歳の子供だ」


 ジャニの視線が、足元に落ちる。


「生意気で、無鉄砲で、すぐに勝手な行動しやがるし、危なっかしくて見ていられん」

「船長!」


 パウロが、抗議をするようにジャニの前に進み出た。しかし、クックがにやっと笑うのを見て、足を止める。


「泣き虫で、そんな小さいくせに・・・・・・俺たちを命懸けで救ってくれた」


 ジャニはハッと顔を上げた。クックが優しい笑みを浮かべて自分を見ている。


「ジャニを仲間として認める奴は、手を挙げろ!!」


 クックが右手を突き上げて大声を張ると、甲板を震わすような歓声が響き渡り、ジャニの視界を埋め尽くすように多くの手が挙がった。

 放心したように立ち尽くすジャニに、ルーベルがそっと寄り添い、肩を抱く。


「ジャニ。女であることを恥じる必要なんてないのよ。むしろ、誇れるほど、強くていい女になってやりなさい。あなたなら、絶対になれるわ」


 ルーベルの言葉に、クックがすかさず茶々を入れる。


「おい、お前みたいなじゃじゃ馬になったらどうするんだ」

「どういう意味よ!」


 ジャニは自分の頬に、再び温かい涙が流れるのを感じた。

 胸が詰まって、言葉が出てこない。両の頬を濡らす涙を拭き取ろうとして、ジャニはふと、違和感に気づく。

 それは、パウロも気づいたようだった。ジャニの眼帯の下から流れる涙を見て、彼の目が大きく見開かれる。


「ジャニ! お前、右目・・・・・・!」


 流れるはずのない右目からの涙を、ジャニは震える指で拭う。

 そして彼女は、次の瞬間、勢いよく眼帯を外していた。

 皆の驚いた顔が、視界に飛び込んでくる。


「ジャニ・・・・・・!」


 ジャニは大きく息を吸って空を仰ぎ見た。


 生まれて初めて両の目で見上げた空は、深く青く透き通り、どこまでも果てなく、広がっていた。









         ——— end. ———

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