平和とは脆いものなのです

「クロノス・パワードだって! そんなはずはない。奴は討伐されたはず」


 あれ、この二人、魔王を知っているのか。ひょっとして結構有名だったのかな。


「そうだ。おまえたちに遣わされた勇者によって我は死んだ。だが親切な女神がこの世界に転生させてくれたのだ。この下等生物の体を使ってな」

「親切な女神……ああ、あいつか。ちっ、余計なことをしやがって」

「彼女には本当に困ったものですね。一応上層部に申し立てておきます。で、クロノスさん。私たちはあなたと一戦交える気はありません。その子をこちらに引き渡していただければ大人しく退散いたします」

「はっはっは。この童女の正体を我が知らぬとでも思っているのか。素直に引き渡せるはずがなかろう。我ら魔の一族に属する者なのだからな」

「クリアちゃんが魔の一族!」


 驚天動地の真実が明らかになってしまった。これはもしかしてトンデモナイ大間違いを仕出かしてしまったんじゃないのか。


「あの、クロノスさん。クリアちゃんが何者なのか教えてくれませんか」

「無知蒙昧な人間に話す口など持ってはおらぬ。が、おまえには宿主が世話になっているからな。特別に教えてやろう。この童女はクリアちゃんでも二厨でもない。正しくはニュークリア・ウェポン、核兵器の精霊だ」


 目の前が真っ暗になった。知らぬが仏と言う言葉が頭の中を駆け巡る。


「じゃ、じゃあ昔世界に与えた甚大な被害って言うのは」

「はい。七十七年前に投下された二発の爆弾です。あの悲劇はこの精霊によって引き起こされたのです」


 今度は黒づくめ男が教えてくれた。相当嫌な思い出なのだろう。表情が暗い。


「人間は賢いのに愚かで、強いのに弱い生き物なのですよ。核力を利用できるだけの知恵を持っていながら、命を奪う道具を製造するという愚行を犯してしまいました。核兵器の使用がどれほど恐ろしい結果を生むか知っていながら、実際に使用してしまうという愚行を犯してしまいました。それもこれもその精霊の誘惑が原因なのです。試練に耐えて目的を遂行する意志の強さを持っているのに、強大な力を誇示したいという誘惑には簡単に負けてしまう弱さ。核兵器の精霊は人間の愚かさと弱さを引き出して世界を破滅に向かわせる怖ろしい存在なのです。あなたもご存じのはず。現在かつてないほど核戦争の危機が高まっています。その原因はこの精霊です。封を破り、世に解き放たれたために人間の心理に変化が生じたのです。このまま放置し続ければ、やがて世界は核の炎に包まれることとなるでしょう」

「ど、どうしてもっと早く教えてくれなかったんですか。そうと知っていればクリアちゃんに熨斗を付けてお返ししたのに」

「そういう規則なんだよ。精霊の正体は軽々しく口外できないんだ」


 黒づくめの女が忌々しそうに言った。彼らには彼らなりの事情があるようだ。しかし困ったな。これからどうすればいいんだろう。取り敢えず頼んでみるか。


「あのう、クロノスさん。そんなわけですからその精霊を彼らに返してあげてはくれませんか」

「おまえはアホか。こいつがいれば容易に世界を滅亡させられるのだ。手放したりするはずがなかろう」

「うん。あたしも魔王様と一緒にいる!」


 クリアちゃんが魔王に抱き着いた。にんまりと笑ってその体を抱き締めた魔王は大声で吠えた。


「ならば我と一体化するがよい。眷属融合!」

「わーい!」


 なんてこった。クリアちゃんの体が魔王の体に吸収されていく。事態はますます悪化する一方だ。


「核兵器の精霊の力が我の物となった今、ただちに世界を滅ぼすことにしよう」

「そうはさせない! 光速拘束!」


 黒づくめの二人の両手から光の帯が放たれた。魔王の体に絡みつき締め上げる。


「愚かな。こんなもので我の自由を奪えると本気で思っているのか。ふん!」


 魔王が両腕に力を込めた途端、まるで茹で過ぎたうどんみたいに光の帯はふにゃりと崩れ落ちてしまった。


「次はこっちの番だ。そりゃ」

「うわああー」


 黒づくめの二人が空高く舞い上がった。が、すぐさま凄い勢いで地面に叩き付けられた。どう贔屓目に見ても勝ち目はない。


「そりゃ、そりゃ、そりゃあー」


 それからは魔王の猛攻が続いた。這いつくばる二人に雷が落ち、滝のような水が浴びせられ、大雪が降り積り、積もった雪は暴風によって吹き飛ばされ、濡れた黒スーツは燃え始めた周囲の樹木によってすっかり乾かされた。やりたい放題だな。


「クロノスさん、もう気が済んだでしょう。先輩の意識を返してください」

「おまえ、何を聞いていたんだ。今から世界を滅ぼすと言っただろう。宿主の意識が戻ることは永遠にないのだ」

「先輩、聞こえていますか。魔王の意識を封じたらお礼のお金をあげると二人が言っていますよ」

「えっ、そんなことは言っていませんが」


 もう何なのこの黒づくめ男。ここは話を合わせるところでしょう。


「ウソも方便です。とにかく金で先輩の気を引いてください」

「あ、ああ、そういうことですか。わかりました。えーっと、先輩さん、確か謝礼金として六千五百二十五円要求されていましたよね。それを支払います。支払いますから元に戻ってください」


 一万円からの一円値切りを三千四百七十五回続けていたのか。あの短時間でよくそんな回数値切れたな。


「おまえ、本気でそんな提案をしているのか。世界が滅亡すれば中央銀行も滅亡する。現金などただの紙屑に等しくなるのだ。要らんわ、そんなもん」


 そうだった。金じゃダメだ。前回はどうやって先輩の意識を取り戻したんだっけ。えーっとえーっと、そうだ肉だ。


「先輩、魔王の意識を封じたら屋台の串焼きを食べさせてあげるって二人が言っていますよ」

「えっ、そんなことは言っていませんが」


 だから話を合わせろって言っているでしょ。どんだけ物分かりが悪いんだこの黒づくめ男。


「金がダメなら肉です。とにかく今は僕に従ってください」

「わ、わかりました。はい、そうですよ。串焼きを食べさせてあげますよ」

「先輩、屋台の串焼きは豚しか食べてませんよね。牛と鶏は食べてませんよね。心残りはないですか。このままじゃ永久に食べられませんよ」

「どこまでもアホな人間だな。魔王のままでも好きなだけ食えるではないか。屋台などではなく三ツ星レストランのステーキだって食べ放題だ」

「食べるのと味わうのは全然別の話です。魔王に体を乗っ取られた状態でご馳走を食べて、それで本当に美味しさを楽しめると思っているのですか。自分の目で料理を鑑賞し、自分の鼻で香りを楽しみ、自分の舌で味わわなければ真の美味しさはわかりません」

「ふっ、くだらん戯言だ。口に入れてしまえば……に、にく、肉食べたい……うお、宿主の意識が膨張し始めている」


 よし、効果は抜群だ。やはり先輩には肉だな。


「ご馳走は自分の舌で味わいたい……ぐおお、どういうことだ。自我が薄れていく……牛豚鶏、食べたい食べたい……馬鹿な、あり得ん。我が魔力による封印が破られるなど絶対に、うぐおおおお……」


 この調子だ。もう一押しすれば先輩の意識が復活する。


「えっ本当ですか。先輩先輩、聞いてください。なんと食べ放題だそうですよ。牛、豚、鶏、好きなだけ食べていいそうです」

「腹がはち切れるまで肉食いたーい!」

「ぐわああああ!」


 先輩の欲にまみれた大声と魔王の悶絶するような絶叫が同時に聞こえた。巨大化していた先輩の体は元の大きさに戻り焼け焦げた茂みの中に転がった。自由を取り戻した黒づくめの二人は燃えている樹木を素早く消火した。山火事にならなくてよかった。


「やれやれこれで一件落着ですね。ところでクリアちゃんはどうしますか」

「魔王が取り込んでしまったのでどうしようもありません。このまま魔王と一緒にこの青年に封じてもらうことにしましょう」

「そうですか。余計な手間をかけさせてしまってすみません」

「いえいえ、色々ありましたがとにかく世界滅亡の危機は回避できたのですからね。終わり良ければ全て良しですよ。ただこれからはあなた方二人を監視させていただきます。魔王もあの精霊も最高度に危険な存在ですからね」


 それは願ってもないことだ。これで先輩が暴走しても一人で対処せずに済む。


「うーん、あれ、俺は眠っていたのか」


 先輩の意識が戻ったようだ。魔王が出現している間の記憶はないはずだから適当に話をしておくか。

「先輩、朗報です。クリアちゃんは一日五時間自由にさせるという条件で引き取ってもらうことになりました」

「ほう、それはよかった。それで謝礼はどうなった。串焼きを食わせてくれるって話になっていたよな、確か」


 そこは覚えているのか。魔王覚醒中でも肝心な部分の記憶は残っているんだよなあ、いつものことながら。


「あっ、はい。屋台の串焼きですね。じゃあ、これから祭り会場に戻りましょう」

「あたし、お金を取ってくるよ。あーあ、また会計から小言を聞かされるのか」


 黒づくめ女の憂うつなため息。彼らには彼らなりの苦労があるんだなあ。どこへ行っても吹く風同じ。これからも先輩には振り回されそうだ。


 * * *


 その後、幸運なことに黒づくめ女の憂うつなため息は安堵のため息に変わった。屋台の串焼きは大変評判が良く、僕らが祭り会場に戻った時にはほぼ売り切れ状態だったのだ。


「悪いな。残っているのは牛二本、豚一本、鶏五本だけだ。売れ残りだから全部で千円でいいぞ」

「ぬおおおー、この世には神も仏もないのか。こんなことなら謝礼金の六千五百二十五円を貰ったほうが良かったではないか。む、無念じゃああー!」


 先輩は地団駄踏んで悔しがったが後の祭りである。

 それから一週間、僕は先輩の愚痴を聞かされ続けた。さらにゴミ箱に顔を突っ込んで童女がいないか探すという奇行も二週間続いた。しかし童女が見つかることはなかった。


「核兵器の精霊か」


 何事も見掛けでは判断できない。あんなに純真な童女の正体が世にも怖ろしい精霊だったのだから。それは人間も同じだ。先輩の中には魔王がいる。だけどそれは先輩だけでなく全ての人間に当てはまるのではないか。たった一人の決断で引き起こされた今回の戦争。どれだけの命が失われどれだけの人が不幸になったのだろう。僕もまた自分の中に潜む魔王に気を付けながら毎日を生きていこうと思う。

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迷子の童女は正体不明 沢田和早 @123456789

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