迷子の童女は正体不明
沢田和早
夢のお告げの農業祭り
日本全国には数十万の祭りがあるそうだ。季節や場所を問わず国、自治体、寺社、会社などが主催となって一年中何らかの祭りが開催されている。
中には、
「ひゃっほう、万馬券当てちまったぜ。今日は祭りだあー」
などと騒ぎながら個人的祭りを
「今北産業。ここが祭り会場ですか」
などとネットの中で偶発的に発生する祭りなどもある。
人類という動物は祭りが大好きなのだ。そしてその人類の一員である僕と先輩も当然祭りが大好きである。
「牛にするか、豚にするか、鶏にするか、それが問題だ」
先ほどから屋台の前で眉間に皺を寄せて悩み続けているのは僕の先輩だ。
先輩は小学校で一学年上、中学校で一学年上、高校で一学年上、そして現在、大学では一学年上ではなく同級生である。先輩が一年浪人してしまったからだ。
同級生を先輩と呼ぶのもおかしな話だが、小学校の頃からそう呼んでいるので、今更別の呼び方を考えるのも面倒くさい。先輩も「よせよ、同級生だろ」などと反論したりもしないので、そのまま呼んでいる。
「先輩、いい加減に決めてくださいよ。時間のムダです」
「うるさいな。五百円も使うんだぞ。慎重になるのは当たり前ではないか」
僕と先輩は自転車で一時間ほどの町で開催されている農業祭りに来ていた。ここには毎年来ている。先着プレゼントがあるからだ。
一昨年は先着百名に紅白饅頭が配られた。昨年は先着八十名に白米一合が贈呈された。そして今年は先着五十名に煎り豆百gが手渡された。年ごとにプレゼントの内容が貧弱になっていく状況を見ていると、日本経済の衰退を実感せずにはいられない。
「だったら買うのをやめたらどうですか。いつもは先着プレゼントだけもらってすぐ帰っているでしょう。どうして今年に限ってお金を使う気になったんですか」
「夢だ。昨晩、農業祭りの屋台で串焼きを食っている俺の姿を夢に見たのだ。そしたら無性に串肉が食いたくなってな」
夢か。これは要注意だな。以前も先輩の夢のおかげで大変な目に遭わされたし、早急にこの祭り会場から立ち去ったほうがよさそうだ。
「五百円で買えるのは牛串一本、または豚串二本、あるいは鶏串三本。要するに質を選ぶか量を選ぶかってことでしょう。さっさと決めてください」
「一本、二本、三本か。よし決めた。二本の豚串にする」
結局質、量ともに中間の豚串にしたのか。蓼食う虫も好き好きの言葉がぴったり当てはまる先輩でも松竹梅の法則からは逃れられなかったようだ。極端な選択を避けようとする心理は万国共通だからな。これまで迷っていた二十分間を返してくれと言いたくなった。
「ほう、さんざん悩んだ挙げ句豚にしたのかい。いい選択だ」
屋台のおじさんが感心している。何がいい選択だって言うんだろう。反論したくなった。
「お言葉ですが単に真ん中を選んだだけですよ。あまり褒めないでください。付け上がりますから」
「いや本当にいい選択なんだよ。実はこの中で一番原価率が高いのが豚串なんだ」
「そんなに高級な豚肉を使っているんですか」
「ああ。今日は特別にイベリコ豚のヒレ肉を焼いている」
イベリコ豚……嫌な予感がし始めた。先輩とイベリコ豚は最悪の組み合わせだからだ。
先輩は魔王に憑依されている。普段は桁外れに強力な自我によって魔王の意識は深淵に閉じ込められているが、ある条件が揃うとその意識が発動する。その条件とはイベリコ豚、大豆、ブドウを食することだ。
「ふっ、無意識のうちに一番お得な買い物をしてしまったというわけか。真実を見分ける俺の眼力は今日も冴え渡っているようだな」
言わんこっちゃない、さっそく調子に乗り始めた。他人に褒められるとすぐこれだもんな。
「あそこのベンチで食おう。ほれ、おまえの分だ」
信じられないことが起きた。二本ある豚串の一本を僕にくれたのだ。
「えっ、どうして。二本とも先輩が食べるんじゃないんですか」
「そんなことするわけないだろう。一人で食ってもうまくないからかな。二人で食おう」
「じゃあ豚串を選択したのは……」
「二本だからだ。一本や三本じゃおまえと分け合うのが面倒だろ」
「そこまで僕のことを考えていてくれたなんて……」
先輩の優しさに感動しそうになった。普段は僕の食事ですら奪い取って自分で食べようとするのに。自己中の先輩にもついに慈悲の心が芽生えたのだろうか。
(いや、あり得ない)
これまでの経験から言って先輩にそんな優しさがないことはわかっている。別の理由があるはずだ。そう思って考えてみるとすぐ矛盾点に気が付いた。
「だったらどうして二十分も迷っていたんですか。僕と分け合うつもりなら即座に二本の豚串を選べるでしょう」
「忘れていたんだ。昨晩の夢の中で串焼きを食っていたのは俺だけじゃなくおまえもだったってことをな。それを思い出したから二本の豚串にしたんだ」
そんなことだろうと思っていましたよ。感謝の言葉を伝える前に気が付いてよかった。
飲食コーナーのベンチに腰掛けて豚串を賞味する。
「うむ、うまい。さすがイベリコ豚のヒレ肉。俺の選択は大正解だったようだ。くちゃくちゃ」
串に刺さっていた四つの肉片を一度に頬張る先輩。もっとゆっくり味わって食べればいいのにと思いながら僕も食べる。うん、確かに美味しい。生姜風味のタレが肉の中にまで染み込んでいる。表面にまぶされた粒マスタードと黒胡椒が心地良い刺激となって口中で弾ける。屋台の豚串とは思えぬほどの一品だ。
「イベリコ豚じゃなきゃ安心して食べられたのにな」
イベリコ豚は魔王出現条件のひとつ。正直なところ先輩には食べさせたくない。ただでさえ何を仕出かすかわからないのに、魔王になると手が付けられなくなるから。まあ、でもイベリコ豚だけじゃ魔王の意識は覚醒しないわけだし、あまり心配する必要もないか。
「ふむ、この煎り豆もなかなかイケるじゃないか」
この言葉を聞いて戦慄が走った。忘れていた。今年の先着プレゼントは煎り豆、大豆じゃないか。
「ど、どうして豆なんか食べているんですか。それは持ち帰る予定だったでしょう」
「いや、中途半端に食事をしたせいか食欲を刺激されてな。無性に何か食べたくなったんだ。ポリポリ」
まずいな。魔王出現条件の二つが満たされてしまったじゃないか。早くこの場を立ち去ろう。
「今は晴れていますけど昼頃から雨らしいですよ。降り出す前に帰りましょう」
「ちょっと待て。肉と豆を食って喉が渇いた。何か飲みたい」
「あ、じゃあ豚串のお礼に僕がお金を出して買ってきますよ。何にしますか」
「それには及ばん。持参してきた」
先輩はリュックから紙パックを取り出した。表面には「ぶどう100%」と書かれている。それを見て確信した。夢を見せたのは意識の深淵に封じられている魔王だ。前回もそうだった。今回もきっとそうなのだ。鋼のように強靭な先輩の自我でも、睡眠中は弱体化して魔王の影響を受けてしまうのだろう。
「だめです。それを飲ませるわけにはいきません」
「どうしてだ。夢の中の俺は豚串食って豆食ってブドウジュース飲んでたんだ。その通りにしたって別にいいだろう」
「約束しましたよね。イベリコ豚と大豆とブドウは一緒に食べないって。それを約束してくれたから高級和牛スキヤキをおごってあげたんです。約束を破るんならスキヤキの代金と慰謝料合わせて三万円を支払ってください」
「無理だ」
「ならそのジュースは没収です」
即座に先輩の手から紙パックを奪い取り自分のリュックに仕舞う。肉と大豆は消化に悪そうだから四時間くらい胃に滞留しそうだな。その間、絶対にブドウを口にしないよう監視しなくては。やれやれ、せっかくの休日が台無しだ。
「わかった、ブドウジュースは諦める。で、この喉の渇きはどうしてくれるんだ」
「代わりのジュースを買ってきますよ。オレンジでいいですか」
「ああ、頼む」
意外に素直だな。先輩ならもっとゴネると思ったんだけど。魔王に無理やり見せられた夢だからあまりこだわっていないのかもしれないな。
「あれ、どこ行ったんだ」
ペットボトル一個百円コーナーで飲料を買ってベンチに戻ると先輩がいない。またもや全身に戦慄が走る。口では飲まないと言っておきながらこっそりブドウジュースを飲みに行ったのではないか、そんな疑念が頭を駆け巡る。
「先輩、どこですか。オレンジジュース買ってきましたよ。そっちのブドウは苦―いぞ。こっちのみかんは甘―いぞ。せ、せ、先輩来い!」
と無言でつぶやきながら会場を探し回るとすぐ見つかった。先輩は隅に置かれているゴミ箱を漁っていた。
「ちょっと、そんな所で何をしているんですか」
「何って、食べ終わった串を捨てに来たんだ」
「捨てに来ただけならゴミ箱に頭を突っ込む必要はないでしょう。いくら探したってブドウジュースなんか落ちてませんよ。恥ずかしい真似はやめてください」
「うむ、確かにブドウジュースは落ちていなかった。しかし別のモノが落ちていた」
「別のモノ? 何ですか?」
「童女だ」
「はあ?」
何を馬鹿なことを言っているんだと思いながらゴミ箱を覗いた僕は驚いてペットボトルを握りつぶしそうになった。黄色いワンピース姿の童女がゴミの中に突っ立ってこちらを見上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます