この童女、只者ではない

 取り敢えずゴミ箱の中から引っ張り上げて話を聞くことにした。先ほどのベンチに腰掛けて質疑応答を始める。


「お嬢ちゃん、名前は何ていうの?」

「にゅクリア」

「にゅくりあ? 変わった名前だね。それは名字なのかな」

「それは名字だ。そして変わってなどいない」


 いきなり横から先輩が口を挟んできた。


「恐らく『にくりや』を言い間違えたのであろう。三厨みくりやという名字があるのだから二厨にくりやという名字があっても不思議ではない」


 なるほど二厨か。先輩もたまには真っ当な意見を言うんだな。


「わかった、二厨だね。それで名前は?」

「二厨じゃない。にゅクリア。それが名字と名前。にゅクリアで全部」

「先輩、彼女はこのように申しておりますが何か意見はありますか」

「うむ。恐らく自分の名前を忘れたのだろう。まだ四才くらいだし仕方のないことだ」


 そうかなあ。この年頃の子っていつも名前で呼ばれているから、名字は忘れても名前は忘れないような気がするんだけど。


「まあいいや。ひとまずクリアちゃんって呼ぶね、それで」

「おい、おまえばかりじゃなく俺にも尋問させろ。そいつの第一発見者は俺なんだからな」


 幼い子どもに対する優しさを一切持ち合わせていない先輩になど到底任せられるものではないが、言い出したら聞かないので任せることにした。


「じゃあどうぞ」

「おまえはどこからどうやって誰と一緒にここに来たのだ。どうしてゴミ箱の中にいた。所持金は幾らだ。両親は金持ちか。ブドウジュースは持っているか」


 言わんこっちゃない。一度にそんなにたくさん質問されたら僕だって満足に答えられないぞ。クリアちゃん、困って泣き出さなきゃいいんだけど、などという僕の不安は完全に杞憂に終わった。


「西から歩いて一人で来た。隠れるためにゴミ箱に入った。お金は持ってない。両親はいない。ブドウジュースは持ってない」

「そうか。金もブドウジュースも持っていないのか。俺の尋問は以上だ」


 結局聞きたかったのはそこかい。しかしまずいな。これほどブドウに固執しているのは魔王の影響を受けているからじゃないのか。発動条件が二つ満たされたことで先輩の自我が弱まっているのかもしれない。やはり早急にこの場を立ち去った方がよさそうだ。


「先輩、これ以上は僕らだけじゃどうしようもありません。どう考えても迷子ですし、後は会場の人に任せましょう」

「同意だ。金もブドウジュースも所持していない幼女など何の価値もないからな」


 やはり先輩の頭の中は金とブドウしか存在していないようだ。普段なら金と食い物なのだがブドウに限定されている点が魔王の影響と言えよう。


「すみませーん」


『第162回○○町農業まつり』と書かれたテントの中で暇そうに来場客を眺めている係員に声を掛けた。今気が付いたんだけど第百六十二回ってことは江戸時代からやっているのか。すげえな○○町。


「はい、何でしょうか」

「迷子がいたので預かってほしいんですけど」

「おやおや、それはご苦労さま。で、迷子はどこに?」

「この子です。二厨という名前だそうです」

「この子って、どの子?」

「ここにいるこの子ですよ」


 よく見えるようにクリアちゃんを抱き上げた。係員の視線は空をさまよっている。


「あの、もしかしてからかっているんですか。あなた方二人の他に誰もいないんですけど。もしかして横に立っている目付きの悪い青年が迷子だとでも言うのですか」

「うむ。確かに俺は迷っているのかもしれん。長い人生の途中には道標すらないのだからな。俺はどこに向かって進んでいけばいいのだろう」


 余計なことを言い出した先輩は無視して抱き上げたクリアちゃんを地面に下ろす。おかしいな。どうやらこの人にはクリアちゃんが見えていないようだ。


「ねえ、クリアちゃん、ちょっと声を出してみて」

「オー、フロインデ、ニヒト、ディーゼ、トェーネ!」


 おいおい、いきなり第九を歌い出したよこの子、しかもドイツ語で。やはりただの童女ではなさそうだ。


「聞こえませんか幼女の歌声が。今、迷子の女の子が第九を歌っているんですけど」

「大工? 『大工のきつつきさん』ですか。あたしの娘も幼稚園で覚えてからよく歌っていますよ。ほーられでぃりあ、ほーられぐっぐー、ほーられでぃりあ、ほー」


 うは、係員の女性まで振りを付けて歌い出した。しかもドイツ語だよこっちも。最近の幼稚園は原曲で教えているのか。まあとにかく姿だけでなく声も認識できないのは間違いないようだ。


「おい童女、これを持て」


 先輩が飲み終えたペットボトルをクリアちゃんに持たせた。なるほど。これは良い試みだ。


「そこの女、どうだ。ペットボトルが見えるか」

「はい見えます。宙に浮いていますね」

「宙に浮くペットボトルなどあろうはずがない。誰かが持っているから空中に滞在できるのだ。その誰かとは誰か。迷子の二厨である」

「またまたー。手品でしょ。ひょっとして午後のびっくりステージに出演される方ですか」


 そりゃそう考えるのが自然だよな。とにかくこれまでの経緯を考えればクリアちゃんは普通の童女ではない。と言うか人ならざる存在であることは明らかだ。迷子で預かってもらう作戦は撤回して別の手を考えた方がいいだろう、と僕は思い始めたのだが先輩はまだ諦めていないようだ。


「だったら直接触ってみろ。おい女、立て、手を出せ」

「きゃ、何をするんです!」


 いきなり先輩が係員の手を掴んで引き上げた。いくら頭に来たからって無茶をするにもほどがある。


「触ればわかる。確かに実体があるのだ」

「やめてください。警察を呼びますよ」


 警察沙汰になったら厄介だな。ここは何としても先輩の暴走を止めなくては。僕は係員の手を掴んでいる先輩の手を掴んだ。


「先輩の行為は明らかに強要罪に該当します。有罪になれば三年以下の懲役ですよ。いいんですか」

「よくない」

「なら諦めてここは一旦引きましょう。お姉さん、失礼しました」

「あ、はい」


 僕と先輩とクリアちゃんはテントを去り、再び飲食コーナーのベンチに座った。さてこれからどうしようか。警察に行っても同じような反応しか返ってこないだろう。そもそもどうして他の人には見えなくて僕と先輩には見えるんだ。魔王の意識が覚醒しかかっている先輩はともかく僕は普通の人間だぞ。


「ねえ、クリアちゃんって人なの?」

「人じゃないと思う」

「じゃあ何?」

「わかんない」


 そうだよな。僕だって宇宙人から「あなたはどのような存在ですか?」と訊かれたら明解な返答ができるかどうか怪しいもんだ。


「俺は優秀な生命体なので人が感知できない存在を感知できても何の不思議もない。しかし凡人のおまえがこの童女を感知できるのは納得がいかん」

「そうですよねえ……そうだ、ちょっと試してみます」


 僕は立ち上がって後ずさりした。先輩とクリアちゃんがベンチに座っている。その姿を見ながら一歩ずつジリジリ遠ざかる。三歩、五歩、十歩、そして二十歩遠ざかった所でクリアちゃんの姿が消えた。先輩の近くにいないと僕も感知できなくなるようだ。この事実を先輩に報告するとどや顔で大笑いを始めた。


「わっはっは。なるほどなるほど。偉大なる俺の能力がおまえだけに影響を与えていたというわけか。まあおまえとは子どもの頃からの付き合いだし、気を許せる仲だし、言ってみれば俺の眷属みたいなものだからな。これからも俺が面倒を見てやろう。わっはっは」


 面倒を見てるのはこっちの方だよ。さっきだって僕が止めなかったら本当に警察を呼ばれていたかもしれないのに、などというような反論をすると機嫌が悪くなるので胸の内に留めておく。


「でもどうして先輩の影響が二十歩で消失するのかな」

「一歩が七十五cmとして有効距離は十五mか。光が五十ナノ秒に進む距離だな」


 つまり特に意味はないってことですね。


「いやー!」


 突然クリアちゃんが悲鳴を上げた。ベンチの下に入り込み身を丸めている。


「ど、どうしたの?」

「来たの。あたしを捕まえに来たの。あそこにいる。怖い怖い。助けて」

「捕まえに、来た?」


 そう言えばゴミ箱の中にいたのは隠れるためとか言っていたな。いったい誰に追いかけられているんだろうと思って会場を見回すと、あからさまに怪しい人物が二名いた。黒ずくめのスーツに身を包み、黒いサングラス、黒い手袋、黒い革靴を着用してきょろきょろと来場者を物色している。


「追手はあいつらだな。俺の優秀な頭脳がそう言っている」


 いや別に頭脳が優秀でなくたってわかりますよ。黒スーツを着て農業祭りに遊びに来る人なんて滅多にいないんだから。


「先輩、ここはひとまず逃げましょう。あんな奴らにクリアちゃんを渡すわけにはいきません」

「そうかあ。厄介払いができていいと思うんだが」

「いや、お願い。助けて。助けてくれたらご褒美にブドウジュースあげるから」

「おい、何をぐずぐずしているんだ。逃げるぞ」


 手のひら返しという言葉がこれほどベストマッチする人物は先輩をおいて他にはいないだろう。ご褒美のブドウジュースには抵抗を感じるが肉と豆が胃袋から去った後に飲ませれば問題ないだろうし、とにかく急いで退却だ。クリアちゃんを抱きかかえてそろそろと自転車置き場へ歩き出す。


「いたわ、あそこよ!」


 女の声。しまった、気付かれた。黒ずくめの二人がこちらに走ってくる。だが大丈夫だ。すでに自転車のカギは外されている。クリアちゃんを前カゴに乗せた僕らは脱兎の如く自転車を漕ぎだした。

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