第69話 番外編 須磨の心意気 肆

「…………は、い」


 胸のなかが熱い。

 ふわふわして柔らかい。こんなことは初めてだ。ここまで踏み込んだ話を、わたくしはしたことがあるだろうか。いいや、ない。


 いつもびくついて、人に嫌われてしまわないよう必死だった。須磨にとって自身の思いを主張することは人に嫌われる、距離を取られることと等しい行為だからだ。


 だから、装いも化粧も薄くしてでしゃばらず目立つことを徹底的に避けた。問われるまで口を開かないし、肯定の言葉しか述べない。

 そんな須磨にとって絵だけが自分を主張できる表現方法だった。


 高遠はそれを認めてくれた初めての人だ。努力してきた時間までも理解してくれた初めての人だ。須磨にとって恩人にも等しい。

 高遠と出会わなければ男色本が好きだなんて一生に人に言うことなどなかっただろうし、絵だって趣味として部屋に積み上げられていくだけだった。それが日の当たる場所に連れ出してくれただけでなく、一蓮托生の仲とまで言ってくれた。


 絵師となって欲しいと請われたとき、心のどこかで『絵』だけを望んでいて『わたし』という者をいつか必要としなくなるのではと思う心があった。

 高遠を信じられないのではなく、自分が信じるに値しない人間だと疑わなかったからだ。


 ――もう、そんなことを考えるのは止めにしなくては。絵についても、人となりついても高遠さまに信頼していただける人間であれるよう勤めなければ。


 須磨は力強く頷いた。


「お須磨の方さまは、わたくしを救ってくださったのです。そのご恩に報いたいのでございますよ」

「わたくしが高遠さまを?」


 そんなたいそうなことをしただろうか?

 高遠はまろやかな声音で言った。


「宿下がりのさい、危険を顧みず絵を贈ってくださったではありませぬか。なにもかも失ってしまったのだと、失意の底にいたわたくしをすくい上げてくださったのはお須磨の方さま、あなた、ただおひとりにございます。誠の友とは、真に困ったときに力を貸してくれるお方。どうぞ、そのお優しいお心は大切になさってください」


 そんなふうに思ってくれていたのかと顔が熱くなった。

 高遠はふふっと笑うような楽しげな声で言う。


「それに、お須磨の方さまは男色本についてお話しするとき、十分言葉にできておりますよ」


「あ……」

「それを聞いて、お話できることは、わたくしも楽しいことにございます。これからもよろしく頼みますぞ」


 須磨はもう迷うことなく「はい」と答えて満面の笑みをこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大奥男色御伽草子 高遠あかねの胸算用 ~男色本で大奥の財政を立て直します~ ✨羽田伊織 @hanedairoi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ