第13話

 目を覚ますと見慣れない天井がそこにあった。様子をうかがいながら辺りを見渡せば、そこは白くて無機質な空間。そしてかすかな薬品の臭いがする。どうやら私は病院の一室に運ばれたらしい。


 倒れた瞬間のことは私もはっきりと覚えている。達夫が臍の緒を切断してサブロウ様の呼吸が止まったとき、私達はこれで終わったと思った。だがあの時、倒れて気を失う瞬間に見たサブロウ様の目に私は何故か執念しゅうねんの様な物を見てしまったのだ。それは瞳に宿る意志の様なものとでも言えばいいのだろうか……。

 いや、しかしそれはたぶん単なる私の思い過ごしだったのだろう。あの、むせ返る様な事件現場から私はいったいどうやって運ばれたのかは分からない。でも私がこの場所に運ばれていると言うことは、やはりあの時に全ては終わったのだ。


 ベッドのすぐ横には、花も生けられずに花瓶が一つ置かれている。そして、よく見ればその横には小さなメモ書きが置かれていた。


 突然倒れられたので、病院へと運ばさせて頂きました。お医者様が言うには特に身体に問題は無いそうです。今日は念のためそちらで過ごして下さい。明日一番でまた伺います。お大事に。


 そこに、名前は書かれていなかったが、おそらくは仰木遥がしたためたものだろう。思えば、あのような大事な場面で倒れてしまうなど、私は何と迷惑な男であろうか。その後の処理も大変だったろうに彼女には多大な迷惑をかけてしまった。私はそんなことに思いを馳せながらも、今日の昼間にあった出来事が本当は夢であったならと考えてみる。しかし実際は、目を閉じればその時の光景が今も瞼に焼き付いて離れないのだ。


――さて、これから私はあの出来事をどの様に上司に報告すれば良いのだろうか……。


 私の仕事は、リニア高速鉄道建設予定地の文化的及び信仰的観点からの事前調査である。大規模交通インフラの整備とは地形だけに及ばず、御神木や御神体、そして土地に伝わる聖域などがルートを邪魔する場合が多々あるのだ。そしてその一つ一つを調べ上げ、後の工事に支障が出ないように調整するのが私の仕事である。しかしそれは私の知る限り、それを信仰する人々との調整であり、実際の怪奇現象とは一切無縁のものであるはずだった。


 私はベッドから身を起こすと、脇に置かれた折りたたみ椅子の上の自分のかばんに手を伸ばした。中から取り出したスマホの時計は、既に午後の十時をまわっていた。よく考えてみれば私は朝から何も食べていない。それどころかその朝食さえもあの時に生け垣の横に吐き出している。どうりでお腹がすいているはずだ。果たしてこの近くにコンビニはあるだろうか……。

 

 あのような不気味な経験をしたのなら、食欲など無くなってしまうのが普通なのかしれない。しかし不思議なもので今の私は兎にも角にもまずは腹ペコなのである。仕事?さすがにもう職場も閉まっているだろう、連絡は明日すればいい。


 そして私はおもむろにベッドから立ち上がる。しかし、あの時勢いよく床に倒れたはずの身体が、不思議なことに全くと言って良いほど、どこも痛くは無かった。



一章 二つ谷 完

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サブロウ石 鳥羽フシミ @Kin90

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