最終話 風花(かざはな)に還る命達

廃墟の、打ち捨てられた鉄筋コンクリートの、コンサートホールの舞台上で、茜は、椛と共に倒れていた。

その横には、血みどろになった、白髪の沙耶が倒れている。茜の血晶の剣に喉を貫かれて、既に声を殆ど出せなくなり、胸元の「邪印」は、椛の血晶の剣で貫かれている。血が溢れ出して、沙耶の体の下に血だまりを作っていく。

「ぐ・・・っ。わ、私が負ける、なんて・・・、こんな筈、じゃ・・・」

そんな言葉を、掠れた声で沙耶は、剣で刺し貫かれた喉から絞り出している。

そして、尚も、体の傍に転がっている血晶に手を伸ばそうとしていた。

「殺して・・・、やる・・・。穂波茜を、この手で・・・。く、紅羽・・・、力を、貸して」

彼女は、そう言って、自分の同志の名前を呼ぶ。しかし、紅羽も、胸を椛の剣に貫かれて、冷たい亡骸と化している。うつ伏せの姿勢で、彼女は、血に塗れた手の傍に、血晶のピアスを転がして、コンクリートの上に倒れ伏している。

髪を振り乱して、口から血を吐きながら、沙耶は、精一杯の声で叫んでいた。

「なんで・・・、私が負けるのよ・・・。あと少しで、わ、私の、願いは叶う筈だったのに・・・!!」

大した生命力だった。腹を刺され、重傷を負った茜は、致命傷を負いながらもまだ息をしている沙耶の姿に、戦慄を覚えた。「邪印」によって沙耶が手に入れた生命力を思い知る。

椛も同じく、体を複数個所、沙耶と紅羽の反撃で刺されて、重傷を負っていた。「聖刻」の力が無ければ、とっくに息絶えていてもおかしくない程の重傷で、椛も血まみれの姿だった。

今、4人が血まみれになって倒れているステージの前には、100人を超える人数の人々が倒れていた。しかし、彼ら、彼女らは死んではいない。沙耶のばら撒いた「邪印」の力で、「集団自殺」の為に、このリゾート跡の廃墟に集められた人々だ。しかし、その力の源であった沙耶の「邪印」が破壊された今、操られた人々は皆、気を失って、倒れている。

椛は、転がっているネックレスの血晶に、手を伸ばして握りしめる。

血晶は、剣へと再び変形する。椛は体を起こして、ふらつく足取りで立ち上がった。

その椛の姿を見て、沙耶は、血に塗れた唇に、歪んだ笑みを浮かべた。

「さあ・・・、殺しなさいよ、椛。貴女の、一番、破りたくない禁忌を、今この場で、破りなさい。貴女の手で、私の息の根を止めなさい」

この期に及んでも尚、沙耶は、椛を苦しませる事には余念がないようだ。茜は、先程、沙耶と剣を交えて戦っていた時の、苦しみに満ちた椛の表情を思い出す。「理不尽にもたらされる死」を、椛は一番嫌う。

だから、沙耶を自分の手で殺すという事は、椛にとって最も苦痛であり、そして、沙耶にとっては、自分を殺させる事で、椛が苦しむ姿を見られる、至上の愉悦の瞬間なのだ。

そんな、沙耶の何処までも歪んだ、暗い愉悦を実現させる訳にはいかない。

「殺しなさい・・・、さあ、早く・・・!これで貴女は、お望み通り、世界を救った英雄になれるよ。貴女の、自分に課した禁忌を破る事でね!」

そう言って挑発する沙耶に、点々と血を垂らしながら椛は、剣を持って近づいていく。しかし、その足取りには躊躇いが満ちていた。

茜は、自分の血晶へと手を伸ばした。そして、それを剣に変えると、最後の力を振り絞って、立ち上がり、沙耶に向かって駆けだした。

茜は、椛よりも先に、倒れている沙耶の元へと駆け寄る。

「私の大切な椛を、貴女の思い通りにはさせないから、柊木さん」


そう言って、茜はその首へめがけて、剣を振り下ろした。

返り血が、体に降りかかり、顔にも、熱い雨を浴びたような感触が走る。

胴体から、離れ離れになった沙耶の首が、ステージの上に転がっていた。

「茜・・・!!」

沙耶の首を刎ねて、そこで力を使い果たした茜は、そのままコンクリートの上に倒れ込みそうになり、椛に体を抱えられた。

「も、椛・・・!やったよ、私・・・。柊木さんの歪んだ願いを叶えさせなかった」

息絶え絶えになりながらも、茜の心は、晴れやかだった。沙耶の願いを打ち砕き、椛の手を汚させる事はなかったのだから。

「すまない・・・、茜。僕が、沙耶には最後のとどめを刺さないといけなかったのに」

「何言ってるの・・・。椛が、自分の一番の禁忌を破って、人殺しになって、それで柊木さんを喜ばせるくらいなら、私の手はけがれたって構わないよ」

茜も椛も、「聖刻」によって強化された生命力のおかげで何とか、まだ息をしていたが、消耗は激しかった。二人は、隣り合ったまま、冷たいコンクリートの上に倒れ込んだ。

「これで全て、終わったね・・・」

茜の隣に倒れていた椛が、そう呟いた。カランという乾いた音と共に、掌から血晶の剣がコンクリートの上に落ちていく。

穴だらけになった天井からは、冬の冷え切って、空気の澄んだ空に幾つもの星が瞬いていた。今、二人が倒れているリゾート跡の廃墟群は、市街地からは遠い場所にあり、夜空を照らす眩しい人工の照明も周囲には何もなく、星々がよく見えた。

‐と、そこに、一粒の、紅い、淡い光が夜空へと吸い込まれて、消えていくのが見えた。

驚いて、茜が目を凝らすと、次々と紅い光が夜空へと舞い上がっていく。

「見て・・・!茜」

ステージの前で、倒れている人々の体から、その紅い光は生み出されているようだった。紅く、儚げに光るそれは、血晶に操られた人が、命を絶った場所で目撃されていた、「紅い風花(かざはな)」に間違いなかった。

「沙耶が作り上げたかった世界の正体は、これか・・・」

夜の闇に、無数の紅い風花達が舞って、そして一瞬の輝きを残して、闇に溶け込むようにして消えていく。その光景を見ながら、椛はそう呟いた。

「でも、あの人達は、皆、気を失っているだけなのに、どうして、紅い風花が・・・?」

「きっと、あれは、魂だけじゃなくって、色んな人の、哀しみとか、怒りとか、憎しみとか、そうしたものも全て含んで、実体化した姿なんだって思う・・・。沙耶に操られていた人たちはきっと、皆、心に付け入られる何かしらの闇を抱えてた。社会への憎しみとか、理解されない苦しみとか。沙耶の力で引き出されたそれが、今、皆の中から放出されていってるんだ・・・」

「暗くて、苦しい感情の行き着いた先が、こんなに綺麗な景色なんて、何だか皮肉だね・・・。柊木さんは、この廃墟で集団自殺を成功させて、この景色を世界に見せたかったんだ」

いつか、学校の窓から見えた、夕陽に紅く照らされて、風に舞って、一瞬のうちに消えていった、本物の風花達を、茜はぼんやりと思い出していた。

「この人達の生きる未来と、世界を僕達は守った。沙耶が望んでいたのとは、全く違う形で・・・、この場所で起きた事件は、世界に忘れられない痕を残すよ」

そして、一際、強く光る、二つの紅い光が、茜の視界に映り込んだ。

それは、息絶えている、沙耶と、紅羽の二人の体から放出された紅い光だった。彼女達の命から生み出されたそれは、きっと、生前に抱いていたであろう、様々な怒りや憎しみの大きさを示すように、他の風花達よりも、強く煌めいていた。

「あれは、きっと、柊木さんと、紅羽の・・・」

「二人の命も、紅い風花に還っていったんだね」

二つの風花は、夜空に舞い上がって、そして、消えた。

遠くにサイレンの音が聞こえる。もうすぐ、失踪した人々を追っていた、警察の捜索隊がこの廃墟にもやってくるだろう。彼らも今頃、この無数の紅い風花が夜空に舞い散っている光景を見て唖然としているに違いなかった。

「最期に見られた景色がこんな光景で、隣にいるのが椛なら、もう、私も悔いはないかな・・・」

次第に、気が遠のき始めるのを茜は感じた。既にかなりの量の血液を失って、瀕死の重傷を負っている。手の先も冷たくなってくる。もう、何もしなくても、最期の時は間近である事を悟った。

「ここにいる皆が目覚める前に、捜索隊が来る前に・・・、私達も、最期の晴れ舞台を、飾ろう。椛。私達も、あの紅い風花の中に還ろう」

そう言うと、茜は、椛と共に身を起こして、お互いに血晶の剣を構えた。

あの陸橋の上で、椛に出会った時からの事が、走馬灯となって、茜の脳裏を駆け巡る。振り返ると、自分の惰性で磨り潰すように生きてきたこんな人生の中で、椛と出会って、約束された「死」が常に、隣り合わせに存在するようになってから、ようやく、自分は「生きる」事が出来ていた、と茜は思った。

自分の世界はここで終焉を迎える。最後に、母親と親子に戻れた椛とは違い、茜には、学校は勿論の事、家族として成り立っていなかったあの家にも、自分の事を大切に記憶に留めてくれる人はいない。しかし、今はもう、それでも構わなかった。

集団自殺を食い止めて、沙耶を倒して、最期は椛と共に華々しく散っていく。それ以上に、何が自分に必要だろうか。

剣を握りしめる手に、力が籠る。椛を不必要に苦しませたくはない。だから、確実に左胸を貫けるように集中する。椛も、剣の切っ先を、茜の左胸に狙いを合わせていた。

「出会った事を、幸せに思うよ、茜」

「私もよ、椛」


そして、二人は、血晶の力の元に、命を散らしていった人々が皆、口にしていったあの言葉を、共に口にした。

「この世界にサヨナラを」


二人は、血晶の剣をお互いの左胸に、心臓に突き刺して、死んでいる。大きな事を達成したように、口元には、ひどく満ち足りたような笑みを浮かべながら。

夜空に、燃え上がる炎から零れる火の粉のように、浮かび上がっていく紅い風花達の中に、やがて、紅く、そして強く光り輝く二つの風花が混じり込んだ。

世界を、その紅い光の色で照らして、同じ色に染めながら。

しかし、世界を染め上げたのもつかの間の時に過ぎなかった。

その紅い二つの光も、他の風花達と等しく、冬の夜空の闇へと、溶け込み、消えていった。

(了)

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「血晶」と、風花(かざはな)に還る命達 わだつみ @scarletlily1125

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