六話 見た目が問題? 問題なのは売り方だ

 「どうしたらいいんだ……」

 小谷おたに翔平しょうへいは途方に暮れていた。

 翔平しょうへいの目の前には一面、葉っぱを虫に食われ、ボロボロになったコマツナが生えていた。

 スローライフに憧れて勤め先の会社を辞めた。畑を借りて農業をはじめた。周囲はみんな、猛反対だった。すでに三〇代。妻もいる。子供もいる。とくに、子供はこれから成長にともない、どんどん費用がかかるようになる。そのなかで、成功するかどうかもわからない就農しゅうのう。しかも、農業に関してはまったくの素人。周囲としては反対するのが当然すぎるほど当然。妻が反対しながらも離婚だけは持ち出さずにいたのが救いと言えば救いだった。

 すべての反対を押し切り、会社を辞め、農家に転職。つてを頼って貸してくれる畑を探した。やっと見つけたその畑はしかし、山の斜面。水はけも悪く、日当たりも良いとは言えない。好条件と言うにはほど遠い。しかし、翔平しょうへいはその畑に賭けた。最初の作物には、成長が早くて年に何度も収穫出来るコマツナを選んだ。

 ――何度も収穫出来ればそれだけ、金になる。

 そう思った。

 放置されていた斜面の畑。辺り一面、雑草だらけ。雑草を引き抜き、土を耕し、畝を作った。畝の一つひとつにコマツナの種を蒔いていった。丈夫で健康なコマツナを収穫するために出来ることはなんでもやった。本を読み、ネットで調べ、先輩農家に教えを請い、『作物にいい』とされることはすべてやった。その甲斐あってコマツナはすくすくと成長した。それなのに――。

 突然の害虫の大発生。あまりの数の多さに手のほどこしようもなく、せっかく育ててきたコマツナはどれもこれも穴だらけの姿にされてしまった。

 虫食いの跡があるからと言って食べられないわけではない。

 味がかわるわけでもない。しかし――。

 こんな食い跡だらけの見栄えの悪い野菜なんてどこも引き取ってくれない。売り先が見つからない。これでは一円にもならない。大赤字もいいところだ。

 まわりの猛反対を押し切ってはじめたことなのに。

 子供にはこれから先、どんどん金がかかるのに。

 このままでは手元に残るのは借金だけ。

 「どうすればいいんだ……」

 翔平しょうへいは呟いた。

 それは、藍条あいじょう森也しんやを呼ぶ声だった。


 「丹精込めて育てた野菜が虫のせいで全滅、か。ま、農業の世界ではよくあることだ」

 黒瀬くろせヒロの運転する車の助手席に座りながら、藍条あいじょう森也しんやはそう呟いた。

 「しかし、三〇代で脱サラして就農か。お前もいろんな知り合いがいるな」

 「あたしって言うより、親の顔が広いのよ」

 と、森也しんやの担当編集である黒瀬くろせヒロは言い訳がましく口にした。

 「でも、今回は妙に素直じゃない? いつもならあれこれ文句つけるのに」

 「おれだって農家の端くれだ。一応、仲間意識はある。それに……」

 「それに?」

 「今回はちゃんと、うちの利益にもなる」

 「……まあ、なんでもいいわ。文句言わずに助けてくれるならね」


 「なるほど。これでは野菜として売り物にはならないな」

 翔平しょうへいの畑を見るなり、森也しんや無慈悲むじひなほどはっきりと口にした。翔平しょうへいは見るからに悄然しょうぜんとした様子で立ち尽くしている。ヒロはそんなふたりを見て、

 ――もう少し言い方に気をつけてあげてもいいじゃないの。

 と、森也しんやの冷淡さに腹を立てた。

 「しかし、死んだわけじゃない。どれもちゃんと生きている。もう少しすれば薹立とうだちして花が咲くよな」

 「えっ? それはまあ……」

 森也しんやの言葉の意味がわからず、翔平しょうへい曖昧あいまいに答えた。

 森也しんやはかまわず告げた。

 「花が咲くまで育ててそれから収穫しろ。うちのカフェで全部、買い取る」

 「ええっ⁉」

 翔平しょうへいは驚きの声をあげた。

 森也しんやはさっさときびすを返して歩きはじめた。

 ヒロがあわてて後を追った。

 「ちょ、ちょっとまってよ、藍条あいじょう! 全部、買い取ってくれるって言うのは嬉しいけど、あなたに損をさせる気なんて……」

 「おれを誰だと思っている? この藍条あいじょう森也しんやが人助けのために損をするなど、あると思うか?」

 「それは……思わないけど」

 ロジカルすぎて冷淡なる藍条あいじょう森也しんや。そんな、情に流されるような真似をするわけがない。そのことはヒロもよく知っていた。

 「そう。おれはそんなことはしない。きちんと商品として買い取るだけだ。ちゃんと売り払って金にするさ」

 「どうやって⁉ 野菜としては売り物にならないんでしょう?」

 ヒロにそう言われて――。

 森也しんやはいかにも『青』っぽく指を立てて見せた。

 「ひとつ聞こう。野菜を野菜として売らなきゃいけないなんて誰が決めた?」


 その日、森也しんやが経営するクリエイターズカフェには虫に葉っぱを食い荒らされてボロボロの、それでも健気に花を咲かせたコマツナが並んだ。何本も束ねられ、黄色い小花のブーケとされている。そして、その横には――。

 幼い子供にコマツナの束を贈る親の姿が描かれたイラストと共に、この一文が大きく書かれていた。


 きずな。

 虫に食われ、ボロボロになったコマツナたち。それでも、めげずに花を咲かせた。

 人生には辛いこともある。苦しいこともある。傷つくことはいくらでもある。それでも――。

 それらの苦難に負けずに花を咲かせられるよう、この『きずな』を君に贈る。


 小谷おたに翔平しょうへいは山の斜面に広がる畑で今日も汗を流して働いていた。畑には一面、新しいコマツナが育ちつつある。

 「精が出るわね」

 ヒロが半ば呆れるように感心しながら声をかけた。

 「やあ、ふたりとも!」

 翔平しょうへい森也しんやとヒロに気が付くとにこやかな顔で近づいた。

 「藍条あいじょうさんのおかげで見事、金になったからね。おかげで反対してたまわりも納得してくれたし、頑張らないとね」

 翔平しょうへいはそう言ってから森也しんやに頭をさげた。

 「本当にありがとうございます、藍条あいじょうさん。藍条あいじょうさんのおかげで助かりました。あのまま借金だけが残る状態だったら、まわりからなんと言われていたか。女房にも今度こそ離婚されていたでしょうしね」

 「でしょうね。あたしだったら確実だし」

 と、口には出さずに心のなかで呟くヒロだった。

 「いいさ。誕生日用のブーケとして野菜として売るより高く売れたからな。うちにもちゃんと利益は出た。それになにより、話題になったことでカフェの名を売ることが出来た。こちらこそ礼を言う。ありがとう」

 森也しんやのその言葉に――。

 翔平しょうへい破顔はがんした。

 「それにしても、驚きましたよ。まさか、傷だらけであることを逆手さかてにとって、誕生日プレゼント用のブーケとして売り出すなんて。『きずな』というネーミングも最高! 畏れ入りました』

 「天才なんでね」

 と、森也しんやは照れもせずに言ってのけた。

 「でも、本当、きずなというアイディアは素晴らしい。おれも自分の子供の誕生日に贈るつもりです」

 「だからって、虫食いの野菜ばかり育てるなよ。それじゃ、本末転倒だぞ」

 「わかってますって。今度こそちゃんとしたコマツナを育てて、まっとうに売りさばいて見せますよ」

 翔平しょうへいは畑に向かって走って行った。そして――。

 新米農家は嬉々として山の斜面の畑を上って、下りて、また上った。

                 完

 

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問題とするべき点がちがうだろ 藍条森也 @1316826612

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