Epilogue

 広がる灰色の空の下。

 冬を迎えた森の中で、葉の落ちた樹々が連なっていた。


 かれは真っ白の毛並みと、黄金の瞳を持っていた。四足獣でありながら、背中からは大きな翼が生えていた。

 そんな〈蛮魔レシェン〉の前には、幼い兄妹がいる。二人とも、濃い藍色の髪をしていた。震えながら泣いている妹を庇うように、兄が立ちはだかっていた。


〈蛮魔〉はすっと口角をつり上げる。鋭く尖った歯の隙間から息を漏れさせながら、言葉を発する。


「あははっ、もう諦めなよお。美しい兄妹愛って感じ? いやはや、反吐が出るなあ」

「うるさいっ……! リ、リーリアをいじめるな!」

「はあ、虐めてなんかいないよお? いいかな、この世界は弱肉強食なんだあ。人間はね、ボクたちに殺される運命なの!」

「だまれっ……!」


 兄は〈蛮魔〉のことを睨み付ける。弱者から向けられる憎悪の視線を、酷く愛おしいと思いながら、〈蛮魔〉はゆっくりと兄妹に歩み寄る。


「それじゃあ、いっただっきまあす!」

「おにいちゃん……!」

「リーリア、おまえだけでもにげろ!」

「やだあっ! おにいちゃんをおいていけないもん!」


 妹は立ち上がって、兄のことを後ろから抱きしめる。

 温かさを感じて、でもそれがどうしようもなく苦しくて、兄の瞳から涙が一筋零れる。

 そのまま、目を閉じた。



「ああああああああああああああああ……!」



 聞こえてきた叫び声に、兄はびくりと身を震わせ、それからゆっくりと目を開いた。


 ――誰かの、後ろ姿だった。


 銀雪を溶かしたような髪と、丈の長い暗い赤色をしたローブ。

 視界に映る〈蛮魔〉の身体は、透明な氷に覆われていて。


「お前はっ、お前は……〈氷を継ぎし魔術師ウィフテリア・オフ・イスィアーノ〉じゃないかあ! どうして、どうしてここにい!」


 兄妹は呆然と、前に立っている者のことを見つめていた。



「誰かを守ろうとすることに、特別な理由が必要?」



 透き通った声が、世界に響いた。

 そのまま彼は、左手に嵌めている〈指輪リング〉を、さらりと撫でた。


氷殺イスィレル――〉


 その言葉が紡がれた瞬間、〈蛮魔〉の身体は粉々に砕け散る。


「あ……」


 兄は、声を漏らす。

 銀髪の彼が、ゆっくりと振り向いた。

 綺麗な顔立ちをした、美しい少年だった。双眸までもが、銀の色彩だった。

 少年はそっと、兄妹に歩み寄った。


「余り見ない方がいいよ。大丈夫? 怪我はない?」

「あ、リーリア……いもうとが、ひざ、すりむいてる」

「本当? ちょっと見せてくれるかな」


 少年はそう言って、妹へと歩み寄る。兄の言葉通り、彼女の膝は擦りむけてしまっていた。少年は自身の右手を怪我に近付けて、口を開いた。


救癒シュリア――〉


 淡い光の粒に撫でられ、傷口はすぐに塞がり、綺麗な皮膚となる。

 妹は驚いたように瞬きを繰り返してから、少年を見上げてにこっと笑った。


「ありがとう、おにいさん……!」

「どういたしまして。ところで二人とも、歩けそう? ここは血生臭いから、少し遠くへ向かおう」


 兄妹は、こくりと頷いた。少年は優しく微笑む。

 手を繋いで歩く兄妹の隣を、少年はゆっくりと歩いた。

 段々と曇り空が晴れて、微かに落ちる陽の光が、三人のことを淡く照らした。


 幾らか歩くと、開けた場所に出る。そこには、少年と同じ暗い赤色のローブに身を包んだ人々と、兄妹の母親の姿がある。


「レンス、リーリア……!」

 母親は涙を流しながら、兄妹のことをぎゅっと抱きしめる。


「本当に、本当に無事でよかった……」

 少年はそんな家族の姿に、安堵したような微笑みを零す。


「ありがとうございます、〈魔術師ウィフテリア〉さん」

「いえ、ぼくはやれることをやったまでです。お気になさらないでください」

 にこっと笑った少年に、母親は頭を下げる。


「じゃあ、ここからは私たちが引き継ぎますねえ」

「お任せをー」


 二人の少女が、家族に歩み寄る。少年は「ありがとう」と告げて、家族に背を向ける。そのまま、青みがかった黒い髪をした少年の元へと歩み寄る。


「……あのな、君は独断で動きすぎだと思うんだが」

「あはは、ごめんごめん」

「まあ、そのお陰で助けられたのもあるから、礼を言うよ」

「え、どうしたの? なんか素直だね、明日雨でも降るのかな」


 そんな会話を交わしている彼に、兄は母親と妹から離れて、そっと近付いた。


「あのっ……!」


 銀髪の少年は、不思議そうな顔をして振り返る。

 それから柔らかく微笑んで、口を開く。


「どうかした?」

「その……ありがとう! リーリアとおれを、たすけてくれて!」

「あはは、そんなの気にしなくていいよ。〈蛮魔〉は狡猾だから、これからも気を付けて過ごしてね」

「うん! あの……おにいさん、なまえ、なんていうの?」


 そんな質問に、少年はにこりと笑う。



「――カトレア、だよ」



 彼の両手に付けられた鋼色の〈指輪〉たちが、陽光を受けて微かに煌めいた。

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いつか〈魔術師〉となる少年 汐海有真(白木犀) @tea_olive

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