発端 それは2019年
催事があれば非常に高い値段で売る行為というのは……彼が覚えている限りでは、2019年の青森に遡らなければなりません。当時彼はその某ホテルことセレスホテルの従業員であった。
ところでなぜ青森の話をするのかと疑問に思われるかもしれない。”羽生の宿騒動” はあくまで八戸で起きたことなのだから。実のところセレスホテルでは青森市内の1店舗と八戸市内の2店舗が同じ管轄であり、ブロック長を仮に大矢さんと名付けておこう。その大矢さんは本社より『どうにかしてもう少し “ねぶたプラン” を高く売ることは出来ないだろうか』と指示を受けたのだという。
セレスホテルのねぶたプラン価格設定は例年2万円台から7万円台ほどで、シングルからトリプルルームになるに従って順々に値段が上がっていくイメージ。この価格を高いと思われるかもしれないが、青森市内にある他のホテルも実際そのようなもの。
そこで例年の価格帯に1万円ほど上乗せするために、土産物を付けることにしました。でも彼は思ったのだという。『土産物ならお客さんが勝手に好きなのを買って行くから、わざわざプラン自体に付ける必要はあるのか……?』
お客様にはそれぞれ好みというものがあるし、プランに付けるというよりは自由に選ばせてお買い上げいただいた方がよいだろうと考えたのだ。そこでセレスホテルには土産を売るような売店はなかったので、ねぶた期間だけでも売店を呼んだらどうかと。現に交差点向かいのホテルでは売店が常設されている。
でもこれに大矢さん含めほぼ全ての従業員が難色を示したらしい。『売るとしたら自分たちの仕事になるわけだから嫌だ』と。つまりプランに予めついてる土産物にしてしまえば、あくまで渡すだけだから、そこに会計を間違えるリスクは発生しない訳だが……ある意味で普段から会計のお金が合わない現場ならではの悩みかもしれない。
彼はならばと土産物にホテルでしか手に入らないプレミアを付けるべきだと考え、某キャラクター屋さんと提携してグッズ販売をしている青森市内のお店と接触して、珍しい土産物を選ぶのが良いのではないかと提案したそうだ。でもこれも拒否されるに至った。これは大矢さんとしては、こうもねぶたの定番から脱線しすぎるのはいけないのではないか。それにそのキャラクターが嫌な人もいるかもしれないと。
まあ……ここまでの話ならば、他の青森市内のホテルでも話されていそうな内容かと思う。でもここからが違ったのだ。
『よし楽天じゃらんは1万上乗せで3万台から売るけど、agodaで7万円からのスタートにするぞ!』
はっ?
『agodaはまだ日本に浸透する前だし、主に海外の人が見てるんだ。だから奴らに高い値段で売りつける。もし非難されても言葉はろくに通じないし、元々リピーターになる可能性だってないさ。』
えっ?
『ついこの間 宴会場の天井から水漏れして、朝食を食べてるお客様方にまじまじと見られたじゃないですか。各部屋のお風呂の排水だって、そのまま栓を抜いたら汚いのが溢れちゃうから、ナットの大きなやつを買ってきて排水溝の入り口に入れてスピードを遅くするような部屋を売ってるんですよ。そうしてもまだなお汚水は溢れるんですよ?そんな部屋を7万から売るんですか??』
『しかも原価1000円にも満たない土産を付けたところで、ガイドや観覧席が一緒についてくるわけでもない。朝食はいつもより豪華かもしれませんが、それ以上のことは何もないのに……。』
逆に考えれば、そこでしっかりと稼ぎ出すことによって客室の修復費用を捻出も出来る。セレスホテル自体が全国各地に存在する中古ホテルをリノベーションするという事業を行っている。だからこそ高く売る必要があるのだと語るが、日に日に故障頻度が高くなるホテル自体にリミットが近づいているような気もして、そうなれば商売としての限界も感じられる。
それにあくまで客が “ねぶた” という祭りに心惹かれて泊まりに来るのだから、高い値段が嫌なら予約しなければ良いだけの話……。
結果として彼だけ反対だったらしい。それは単純に高い値段で売れればセレスホテルの売上が上がって、社員の報奨金が増えるから。普段は13万円が手取りのところ、そこに3万増えるから大喜びという状況……。じゃあ逆になぜ彼だけ反対できたかというと、それは倫理観や良心云々ということもあっただろうが、実は裏でトレーダーとして稼いでいたからなのであった。通貨や先物まで幅広く手掛けているらしいが、一方で観光業界に魅力を感じてホテルに勤めたという。
ある意味でホテル以外で彼の生活の糧があったことがその判断に影響していたのだが、それをまったく知らない他社員はさぞかし理解できなかったであろう。
結局その年のセレスホテル青森、ねぶたプランでしっかりと稼ぐことは出来たのだろうか?
……実は出来なかったのだ。
最初こそagodaで売った7万円から13万円の部屋は好調だったものの……途中から全予約サイトで販売が不調になった。これはおそらく6月上旬という、ねぶたプランにしては遅い時期に販売を始めたせいだと思われる。大きなお祭りともなると3~4カ月前から予約を組む人が多い傾向があり、一番売れ行きが多いのは3月~5月頃なのではないだろうか。そんな状況下で6月から販売を始めても思うようにいかないのも当然。しかもこれに従来より高い料金設定となれば……尚更だろう。
ちなみに彼は7月中旬に、しれっと料金設定をいじって1万ほど下げるという暴挙に出た。一応大矢さんの許可を得たらしいが、他従業員からしたら批判の的だったろう。なにせ報奨金が下がってしまうのだから。
結果として8月度の売り上げは目標を達成できず、報奨金自体を全員貰うことができなかった。これを他社員は彼が料金設定を下げたせいだというが、それは違う。売れ残るのは料金設定が従来より高いせいであるし、大矢さん含め上層部はこれを決して認めることは無かった。
これが2019年、値段吊り上げをグループ全体で一番最初に行った例となった。次の年、さらには次の年も本社で設定した目標を達成するために、部屋の価値と相反するような価格設定をしようと上層部は考えたのである。それは “ねぶた祭り” という価値を過信することによって倫理観を封じ込めたのである。
次のターミングポイントは、2020年3月。
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