中国人留学生宿泊拒否の一件

 彼が退職してからというか……本来は4月初めにはすでに転職先を決めていた訳なので、法的には5月には次の職場に移れるのだ。でも当時のいわくつきの支配人、田野倉さんは『1ヶ月待ってくれないか』と無駄に引き留めをしたらしい。説得が否応なくうるさいので、一先ひとまずは新しい職場に電話してその件を認めてもらったわけだが……きっとその短い間にコロナ禍も去って、彼が気変わりするとでも踏んでいたのだろうか。社員サービスも徹底し始め、宿泊客が減って規定通り社員が出社する必要もないからと、給料は出勤時と同様にあげるから休んでいいよという制度が作られた。その休みを利用して彼は新しいアパートを探し、引越しを済ませたのはとてつもなく皮肉だが。




 そういえば彼が転職を決断する前に、支配人よりもさらに上のブロック長である大矢さんから電話があったそうだ。








『ずっと俺は君を八戸中央の支配人にと考えてきた。でも1年以上断り続けているのは何なんだ。じゃあ本八戸の方がいいのか?いい加減支配人になる気があるか決断してくれ』








 結果として彼の決断に間違いはなく、今日のセレスホテル八戸中央の炎上騒ぎを見れば尚更だろう。ただし断り続けていた理由は当然今の事態を予想したからではなく、あくまで彼自身が支配人という立場に魅力を感じていなかったからである。問題ある店舗を受け持つ気は毛頭なく、給料という点でも1万円増えるだけであったから。








 ホテルへ振り替えることなく去っていった彼を見て、田野倉さんはありとあらゆることを彼のせいにした。思うようにいかない今の状況を何かに当たりたかったのもあるだろうし、何もためらいもなく職場を捨てることが出来なことへの驚きややっかみもあっただろう。ちなみに彼自身も白状していたのだが、『ホテルが大変な時に逃げるのか』という思いから多くの従業員が彼を敵視しているような状況であったので、4月ぐらいからは “人から見える仕事” のみしっかり行ったのだという。




 SNSで脅しをかけるような田野倉さんのツイートを見て怯える彼。そこで彼はしばらく支配人のアカウントを見ないことにしたそうだ。




でもその間に、例の事案が起きていたとは……。








"《東邦日報7月紙面》




身分証不提示青森のホテルで宿泊拒否/中国人留学生不快




観光客の増加に向け、おもてなしの向上を図ってきた青森県。新型コロナウイルス禍の中、宿泊施設は難しい対応を求められているが、関係者の間にはあらためてコンプライアンスの徹底を求める声もある




6月下旬、身分証を提示しなかったことをきっかけに、20代の中国人男性留学生が青森市内のホテルに「宿泊を断られた」ケースがあった。身分証を示さないことを理由に宿泊を断ることは、旅館業法に違反する。ホテル側は、男性とのやりとりに関する説明を避けているが、新型コロナウイルスが収束していないこともあり、県内の宿泊業者の中にはホテル側の対応に一定の理解を示す声もある。




男性は関西地方の私立大学4年生で、日本に住んで5年目。就職活動のため青森県を訪れ、青森県を離れた後、東邦日報「あなたの声から『フカヨミ』取材班」に情報を寄せた。




旅館業法は(1)伝染性疾病にかかっていると認められるとき(2)とばくなど違法行為をする恐れがあるとき-などを除いて「宿泊を拒んではならない」と規定。コロナ感染拡大を受けて日本ホテル協会が定めたガイドラインは、国内に住所がない外国人の宿泊者に対しては「国籍と旅券番号を記載し、旅券の写しを保管しましょう」と記すが、国内に住む外国人については特段触れていない。




男性は6月21日夕方、事前予約していたホテルにチェックインする際、フロントスタッフから在留カードやパスポートの提示を求められた。男性は「(提示する)法的根拠がない。民間人に在留カードなど大切なものを安易に見せることに抵抗があった」ため、提示しなかった。するとスタッフから「それでは宿泊できない。別の宿を探してほしい」という趣旨の話をされたという。




男性は警察官を呼び、警察官に身分証を提示。身分証の内容を警察官から説明してもらったが、それでも宿泊を認めてもらえなかった。男性は「ホテル側は警察官を通じて身分を確認したとして宿泊を認めてくれてもよかったのではないか」と話す。男性は国内企業から内定をもらっており、今後も日本で暮らす予定だが、「今回のことは不快に思った」と語った。




一方、ホテルの管理会社(東京)の担当者は取材に対し「社内で調査したが、当方としては宿泊拒否をしていないという認識だ」と答えた。ただ、男性とのやりとりについては「顧客情報のため明らかにできない」と繰り返し、スタッフの対応に関する詳しい説明はなかった。"








 最初は彼自身、そんな事案が起こっていたことなんて全く知らなかった。でも非通知着信も初めて来たことであるし、もしかして……と久しぶりに興味本位で支配人のアカウントを覗いたそうだ。すると事案が起きたのは正しくセレスホテル青森であり、その拒否した当事者がまさしく支配人の田野倉さんだったことが分かったのだ。しかもそれを、すでに退職していた彼が暴力団を使って悪意を持って仕掛けたことにしていた。




 つまり彼がもし後1ヶ月長く勤めていたらこの事件に遭遇したことになるし、もしくは当事者にさせられていたかもしれない。相手が中国人だというと……英語が使う必要があっただろうか。英語がまともに話せる社員は彼だけであったし、意思疎通困難の先に行き違いがあったのかもしれない。しかし留学生でしかも日本に住んで5年目なら、だいぶ日本語も上手いはずだ。








 その紙面に躍っている話を僕に動揺して話す彼であったが……とここで彼は思い出した。セレスホテルが急ごしらえで作ったコロナ対策マニュアルのことを。確かに相当厳しいこと書いてあったらしく、海外から来たと思われる方には “宿泊拒否してもいい” と書いてあったのだそうだ。しかもそれで相手と言い争ったなら、なおさら意固地になって。あの田野倉さんならやりかねない。












 その後、田野倉さんがどうなったかは分からない。彼自身は他従業員と連絡を取っていないそうだ。でも社員向けに配信されているyoutubeで社長が『問題を起こした社員がいました』とコメントしていたので、恐らくは怒られたに違いない。

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