第3話 転霊

 そこまで伊海さんが話をしたとき、彼のもとに見舞客があらわれました。「伊海さん」と呼びかけた女性は、年のころなら30歳ぐらいで、細面の、切れ長の涼やかな眼に、鼻筋がすっととおり、長めのストレートの髪を肩の下まで伸ばした美形でした。「お邪魔をして、すみませんが」と私の方に顔を向け、頭を下げながら「伊海さん、私たちもう行かなければいけない。彼が還ってくるから」とはっきり私は聞き取ったのですが、その時は、何を言っているかわかりませんでした。「そうか。彼が還ってくるなら、もう行かないとね」そういうと伊海さんは私に明るい笑顔を向け「ながながと私のお話を聞いていただきありがとうございました。急用ができたので、これで失礼します」と立ち上がり、丁寧にお辞儀をすると「じゃ、行こうか」と言いながら、その女性の手を握りました。女性は「伊海さん、あたしと一緒でいいの」と小さな声で言ったのを私は聞き逃しませんでした。伊海さんは「何を言うの、酒井さん。僕が望んだことだよ。それに彼が還ってくるのだから」と言いながら、手をつないで二人で1240の病室に入って行きました。そしていつもは開け放たれてあるドアーを閉めたのです。私は二人が恋人然として仲睦まじい様子でしたので、何かまぶしいものをみせられたようで、言葉も出ず、ただお辞儀をして、二人が病室の中に消えていくのを見送りました。

 私は、立ち上がり、なにげなく窓の方向に数歩あゆみ、今聞いた話をゆっくり頭の中で反芻しながら、しばらく窓外の夕暮れに染まる景色を眺めていました。明日は晴天なのでしょう、窓の左隅に沈む夕陽に照らされ、へんぽんと浮かぶ雲があかあかと輝いていました。と背後で、パタパタと慌てた足音がしたので、何事かと後ろ見ると、看護師が二人、1240の病室に駆け込んでいくではありませんか。えっと思い伊海さんに何かあったのかと、ふらふらとそばによって中を覗くと。一人の看護師さんが部屋のインターホンで、「先生、先生、大変です。当山さんが意識を回復しました。すぐ来てください。」と大きな声を出し、もう一人の看護師さんが、さまざまな管やコードに繋がれた若い男性の枕もとで、男性の脈を測るように手を取ったり、その言葉に耳を傾けているのです。あれ、伊海さんは、奥のベッドかなと、奥を見ましたが、この部屋にベッドは一つだけで、若い男性以外は見当たりません。さっき伊海さんとともに入った女性の姿もありませんでした。目を凝らしましたが、二人は、見えないのです。医者や看護師がつぎつぎと集まる中、私は、すっかり動転してそばの椅子に崩れんばかりに座り込みました。近くにいた看護師さんがあわてて大丈夫ですかと訊いてきたほどです。私の背中を幾筋もの汗が流れ落ちていました。私は、無意識のうちに何かを確かめるように、先ほど伊海さんが座っていたあたりに目を向けました。彼の座っていた椅子の上には、白い小さな人形が置かれていました。


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