それでも私は完食したい

御角

それでも私は完食したい

 もし、自分の目の前に、他人が残した食べかけのチョコレートケーキがあったとしたら。


「ごめん……お腹、いっぱいになっちゃったかも」

「いいよ、別に。いつものことじゃん」

 友人が注文したケーキの皿を引き寄せながら、私はその懐かしさに苦笑した。


 高校生だったあの頃は、毎週のようにこのカフェに通って。勉強だの部活だの、時には恋なんかの話にまで花を咲かせちゃったりして。卒業して一年たった今でも、友人の少食っぷりは相変わらずのようだ。

 そのくせ、彼女は全くりず、いつもその胃の容量とは裏腹に、重いものばかりを頼んでは残してしまうのだから困り物である。

『超助かるー! 彼氏とかだとこういう食べかけのやつ、全然ダメでさぁ。食べないなら頼むなーとか、うるさいのなんのって』

『いやそれ、めちゃくちゃ正論なのでは』

『……デスヨネー、反省はしているんだけどもね』

 そうやって何気ない放課後を過ごすうちに、いつしかその食べ残しをつまむのが、私の中ではもう至極当然のこととなっていた。


「ねえ、大学、そっちはどう?」

 色褪いろあせた褐色の生クリームをすくいながら、私は久々に会った友人の顔にチラリと視線を向ける。

「うーん、ぼちぼち……。そっちは?」

「まあ、同じく。それなりに忙しくて、それなりに楽しいよ」

「……そっか、よかった」

 たった一年、されど一年。口の端についたチョコレートを舐め取って淡く微笑ほほえむ彼女は、あの頃よりずっと綺麗で妖艶ようえんで、どこか大人びているようにも見えた。

「あー、そういえば、彼氏は? まだ付き合ってるの?」

 紅茶のカップに伸ばされた彼女の手が、ピクリと震える。少し、質問が唐突すぎたか。

「……うん、遠距離で一応、ね。でもさ、聞いてよ! あいつ、メッセージは全然返さないし、電話もしてくれないし……。なら直接会ってやろうと思って『家行こうか?』って聞いても『忙しいから』って、もう怪しすぎない? 絶対浮気してるやつだよ、これは」

 訂正しよう。彼女は決して大人になったわけではない。ただ遠距離になった彼氏とのいざこざで、がらにもなくしょぼくれていただけのようだ。

「なるほど。それでぼちぼち、ね」

「……そういうこと」

 やけくそと言わんばかりの手つきで紅茶を一気に流し込み、彼女は一際大きなため息をついた。

「ねえ、これってさ……付き合ってるって、言えると思う?」

 言えない。被せるようにそう断言したいが、彼女がますます元気をなくすと思うと……やはり、言えない。それでも、いや、だからこそ。この湧き上がる感情をの一言で、片づけてしまいたくはない。


「……あのね、これはもしもの話だけど」

 友人は、言ってみればこのチョコレートケーキと同じだ。甘美なひとときを提供したにも関わらず、途中で残されて、気まぐれに放り出されて、そのまま腐りゆく時を待つだけの悲しい消費物。その末路はいつも、ゴミ箱の中と相場が決まっている。

 それならいっそ、初めから手なんてつけなければいいのに。腐る前に、さっさと切り捨ててしまえばいいのに。どいつもこいつも、本当に馬鹿ばっかりだ。

「今、食べかけのチョコレートケーキが目の前にあったら、どうする? というか、どうしたい?」

 でも私は、そんな馬鹿な友人が。

「もしもっていうか……実際にあるじゃん、そこに。どういう意味?」

 あなたと過ごす時間が。

 この、食べかけのチョコレートケーキが。

はね」

 最後の一欠片まで、口いっぱいに詰め込んで、私は彼女の肩をそっと抱いた。

「その彼氏みたいに放っておいたり捨てたりなんかしない。一生、ずっとこうやって完食し続けたいくらい、大大大好きだよ」


 彼氏とのやりとりを映したままの携帯が、彼女の手からゆっくりと、ゆっくりと滑り落ちて。その画面に、ほんの小さな亀裂が走る。

 やっぱり、突然すぎたかもしれない。下手をすると友人は、もう私の友人ではいてくれないかもしれないのに。

 ……こんな思い切ったことをやっておいて後悔するなんて、結局、私も馬鹿の一人。所詮しょせん、同じ穴のむじなだったというわけか。

 弱々しい吐息が、耳を優しく掠めていく。同時に、頬の産毛うぶげわずかに触れ合い、重なり合ったような気がした。

 彼女は今、一体どんな顔をしているのだろうか。驚いていることは確かだが、泣いているのか、笑っているのか。それすらも、私にはよくわからない。

 だけど、その真っ赤な耳から感じる体温は、どうしようもないくらいに心地良くて。口に残ったほろ苦さが溶けてしまうほどに熱く、身じろぎも出来ないほどに甘かった。

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