食べかけのチョコレートケーキ
ヤン
第1話 シェア
駅前のファミリーレストランでアルバイトをするようになって、半月ほど経った。高校を卒業してからずっと勤めていた会社を、いろいろあって、やめた。本当はやめたくなかった。でも、仕方ない。自分が悪かったんだって、諦めることにした。
もうすぐ上がりという時だった。店のドアが、音を立てて開いた。すぐにそちらを向いたが、目をそらしそうになってしまった。
来たのは、高校の時に同級生だった、
私は、自分の立場を思い出して、「いらっしゃいませ」と声を掛けた後、空いているテーブルに案内した。お冷を置くと、「お決まりになりましたらお呼びください」と声を掛けて奥に行った。もう上がる時間になっていた。
着替えをする間も、出るのは溜息ばかりだった。会社を辞めた後、何度か彼と電話で話していたが、言えなかったのだ。
着替えを終えて、ブラシで髪を整えると、「話そう」と、わざと声に出して言った。荷物を持って、伊藤憲太の席へ向かい、「久し振りだね」と声を掛けた。彼は笑顔で、
「そこに座りなよ。三上さんも何か注文すれば」
言われて椅子に座ると、チョコレートケーキとアイスティーを注文した。彼は、クリームソーダを飲んでいる。私は顔を強張らせながら、伊藤憲太を見て、
「辞めたんだ、会社。辞めたかった訳じゃないけど、いろいろあって」
私がそこまで言うと、彼は頷き、「わかったよ」と言った。まだ、説明の途中だった。でも、彼は、これ以上話さなくていい、という代わりに、そう言ったんだと思った。私は、黙ることにした。
その時、注文した物が運ばれてきたので、アイスティーを一口飲んだ。伊藤憲太は、チョコレートケーキをじっと見た後、
「そのケーキ、おいしそうだね。一口欲しいんだけど」
思いがけないことを言ってきた。今までの私なら、迷うことなく、絶対断った。異性だからではなく、同性の友人とすら、私はシェア出来ないのだ。
それは、ずっと昔、母が、父という人がいながら、若い男の人とデートして、ケーキを分け合って食べているのを目撃してしまったからだ。あれから、人と分け合うことが、無理になった。
友人は、みんなそれを理解してくれていたから、私と何かを分け合うようなことを持ちかけたりしなかった。もちろん、伊藤憲太もそれを知っている。それなのに、今、まるで私を試すように、そんなことを言ってきた。
断ろう。そう思ったのに、迷った末に、私は、ケーキを差し出してしまった。変わりたい、という気持ちがどこかにあったのかもしれない。
「いいよ。食べなよ」
私の言葉に、伊藤憲太は驚きの表情になり、
「え? いいの? じゃあ、一口もらうよ」
私が頷くのを確認してから、フォークを手にして一口食べた。彼は、笑顔になった。それを見て私も、つられるように笑顔になり、
「おいしいでしょ。甘すぎないから、私でも食べられる」
伊藤憲太は、ケーキを返してくれたが、さすがに彼が使ったフォークを使うのは無理だった。新しいフォークをもらって、食べかけのチョコレートケーキを、おっかなびっくりだが、食べ始めた。やはり、おいしい。
彼は、私をじっと見ている。私の、今までにない行動を、喜んでくれているのだとわかっている。が、つい、
「そんなに見られてると、食べにくいんだけど」
軽く抗議をしてみる。彼は、そんな言葉を気にした様子もなく、ほっとしたような表情で、
「ごめん。嬉しくて」
伊藤憲太の優しさに、思わず微笑んでしまった。 (完)
食べかけのチョコレートケーキ ヤン @382wt7434
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