エピローグ 自己同一性

5 バーチャルの体に、バーチャルの魂を持つこと

次の日、八上は

メールの受信箱を見て顔をしかめた。

その顔のまま固まる。


「おはよう八上くん。

昨日はお疲れ様……まだお疲れかい?」


そこに社長がやってきた。

大きな問題が解決したので

肩の荷が降りたノーテンキな声だ。


「おはようございます。

社長、今度はメールサーバーがパンクしそうです」


淡々とした声で八上は伝えた。

社長は興味深そうに八上のパソコンを覗き込む。


シャラと話がしたい調べたいという

情報系研究機関のメール、

サーバーはうちを使わないかという

営業の連絡、

シャラの同僚になりたいという

Vチューバー志望者の履歴書、

なんでもいいから協力させてくれという

勢いがあるメール、

ただの応援メッセージ、

コラボしたいというVチューバーからの連絡、

それと予想されてた批判が少々。


「事務所含めて

みんなのダイレクトメールを

閉じておいて正解でしたよ。


これがシャラ宛に来てたらチェックが大変でした」


「それでもこれを整頓するの大変だろう?

サーバーとクラウドファンディングについては僕が対応するから、

八上くんはそれ以外を頼むよ」


「研究機関からの連絡は?」


「シャラくんに判断してもらうといい」


「応募とかはさすがにお断りでいいですよね?」


「全員受けて、

フェアリーテイルを業界で

一番でかい事務所にしたいと思ったんだけどねぇ~」


「それをしたら今度は

事務所がパンクします。

一旦全員お断りで、

公式からもお断りの通知を出しておきます」


八上は冷たく答えてパソコンに向かった。

まずはお断りの告知を出さないと、

本当にメールサーバーがパンクする。


さらに十時を回ると

事務所の電話がなりだした。


要件はメールと同じで

研究機関とサーバーの売り込みといたずら電話だ。

電話対応をしながら手を動かし、メールをさばいていく。


十一時くらいになると今度は

ディスコードからビデオ通話が来た。

「ソノミンか」


「お疲れ様。ツイッターに

『ああしてください』

『ここに連絡してください』

『これはお断りします』

っていうのがいっぱいあったから、

てんやわんやしてる気がして。

手伝おうか?」


今は落ち着いているとはいえ、

病気で卒業したソノミンに

仕事を手伝わせるわけにはいかない。

八上はそう思って首を引いて考えた。


のだが今は猫の手も借りたい状況だ。

今日、事務所に来てからシャラと話していないほど忙しい。


「気は引けるがありがたい。

そうだな……。

事務所のメールサーバーにアクセスできるようにする。

届いているメールからシャラへの

応援メッセージとかをピックアップして、

シャラに見せてあげてほしい」


「分かった。任せて」


ソノミンの返事を聞くと、

八上はメールサーバーのIDを送り、

口頭でパスワードを伝えた。


「シャラにはわたしから状況を伝えるね。

八上さんはがんばって」


そう言い残してソノミンは通話を切った。


「結局、ソノミンに頼るわけか。

ホント俺は推しに生かされてるな」


八上は自虐的につぶやいて、

次にかかってきた電話をとった。



八上と社長が落ち着けたのは夜になってからだった。

「お、おふたりともお疲れ様です」


シャラは乾いた声で八上と社長に挨拶をした。


防音室にやってきた八上と社長は文字通りヘトヘト。

シャラと話をしにきたのは打ち合わせではなく、

癒やしを求めにきたような顔をしている。


「昨日の今日なのに、

対応をソノミンに投げてしまってすまなかったな」


「ううん、ソノミンが

わたし宛の応援メッセージとか、配信についたコメントとか

いっしょに読んでくれて、楽しかったよ。


わたしVチューバーなのに

楽しませてもらっちゃったな」


「うむ、ひとを楽しませるには

まず自分が楽しまなければな」


社長はノーテンキ風な声で言うが、

そこには疲れという雲が少しかかっていた。

雑談を混ぜずに社長は本題を口にする。


「知っての通り

クラウドファンディングは余裕の達成だ。


そういうわけで、

シャラくんが家にするであろう

サーバーの話をしたい。

物件の見積りみたいな感じで考えてほしい」


「それなんですけど、

わたしの頼みを聞いてもらってもいいですか?」


少し恐縮気味な声と

上目遣いでシャラは言った。

八上も社長も素直にうなずく。


「わたしできれば

この事務所から出たくないんです。

あ、お出かけはしたいですけど、

ここを家みたいな感じにしたくて。

あ、でも事務所なんですから

家にするってちょっと変ですね」


「いいと思う。

社長、確か隣のテナント空いてますよね。

そこも借りて丸々サーバールームにしましょう」


「大胆なこと言うねぇ。

いや、似たようなことを前に僕は言ったね。


有言実行、早速明日交渉してみるよ。

ダメなら上か下の階、なんなら引っ越してもいい。

シャラくんのいやすい場所を用意しよう」


八上も社長も楽しそうに話しだした。

要求をしたシャラが目を点にしている。


「あ、ありがとうございます……。

そんなに簡単に決めていいんですか?」


「所属のVチューバーが、

配信環境を整えるために

引っ越すのはよくあることだしな。

その手伝いをするのも事務所の仕事だ」


「そうそう。シャラくんのためならなおさらだよ。

それで次はいろいろな研究機関が

シャラくんのことを調べたいって言っているけど、どうする?」


「社長は信用できるところを調べてください。

信用できるところ以外はすべてお断りで。

もちろんシャラのVチューバーとしての活動に

支障がないようにします」


話が変わると八上は

キッとした口調で言った。

またもシャラは目を丸くする。


「あの八上さん、

わたしが珍しい存在なのは自覚あるし、

いろいろなひとに見てもらったほうが

いいんじゃないの?」


「いいや、シャラは電子生命体である以上に、

うちの事務所で預かってるVチューバーだ。

下手なことは絶対にさせん」


シャラのおどおどした言葉にも

八上はハキハキと答えた。

まるで姫を守るナイトのように背筋を伸ばし、

見えない相手を警戒している。


「分かった。こちらは僕の方で調べておく」


「お願いします。

社長がちゃんと確認した上で、

シャラが話してもいいって思った

研究機関とか研究者と話してほしい。

いいかい?」


八上はシャラに対しても

きっぱりとした指示を出した。

シャラも体をまっすぐに返事をする。


「は、はいっ」

「うんうん、やっぱり八上くんに任せて正解だったね」


社長はそんな様子を見て満足気にうなずいた。



今日のシャラの配信は雑談配信だった。

シャラは電子生命体であることを明かし、

チャンネル登録者も増え、

配信を見に来るひとも増えたが、

シャラは変わらない口ぶりで話をしている。


「最初はわたし、

ビルの部屋をひとつを

わたしのサーバールームにするって、

マネージャーさんが言って驚いたよ。


でも今は自分の部屋ができたみたいで

ちょっとうれしいかな」


「小さいころ自分の部屋に憧れたから分かる」

「シャラのためにマネージャーがいいもん用意したんだろうな」

「業者が何事?って思ってそう」

「シャラが落ち着ける場所ができてよかった」


小人さんたちも、シャラのことを

電子生命体であることを受け入れつつ、

今までと同じ様にコメントをしていた。


八上はそんなシャラの配信を

BGMに仕事をしていた。

シャラの卒業前と同じような状況に、

八上は心地よさを感じ、

肩の力を抜いてキーボードを叩いている。


「『電子生命体のこと調べるひととどんな話をしているの?』

ん~、わたしが聞いても分からない言葉ばっかりで、

あまり説明できないんだよね……。


わたしが分かったのは、

サーバールームはこれ以上増やさなくていいことくらいかなぁ」


シャラは目線を下にやり、

先日のことを思い出しながら話をした。

もちろん秘密にしなきゃならないことも多いが、

シャラの言う通り難しすぎて説明できないことばかりだ。


「俺たちのクラファン支援が役に立ったみたいだ」

「そんなに難しいことなのか」

「これでリンゴ(情報)食べ放題だな」

「そのひと、ホントに日本語しゃべってた?」

「シャラは前から機械に弱いしなぁ」

「専門用語って呪文みたいなもんだからな」


「あ、ひとつ話せること思い出したよ。

これからわたしみたいな

電子生命体がまた生まれたら、

みんなわたしと同じ様に、

特別扱いしないで接してあげてほしいんだって。


それをみんなに教えるためにも、

わたしにVチューバーの活動がんばってほしい

って言われちゃった」


「分かった」

「同じ知的生命体だからってことか」

「おk」

「同じように推せばいいのか」


小人さんたちは

シャラの言葉を素直に受け取っているようだ。

話の内容こそ変わったが、

こちらの雰囲気も変わっていない。

シャラはのんびりとした声でコメントを読む。


「『事務所の仲間たちとはどう?』

わたしはリアルの世界に行けないけど、

わたしのスマホを持ち歩いて貰えれば見聞きはできるよ」


「なるほど」

「虚無手法か」

「引きこもりのヒロインと散歩するのにも使える方法だ」


「リッカちゃんにわ

たしのスマホを持ってもらいながら、

事務所のみんなでおでかけしたんだ」


「どこ行ったの?」

「モトコついに作戦決行か」

「ソラは禁酒できました?」

「アスナもさすがについていったか」


シャラの楽しげな言葉に

コメントも興味を持ってくれた。


配信で聞きたかったから、

個別に話さなくていいと言ったので、

八上もどうしたかまでは聞いていない。

手を止めてシャラの話しに耳を傾ける。


「うん、遊園地に行ったよ。

ソラちゃんおすすめの観覧車に、

リッカちゃんおすすめの水上アトラクション、

アスナちゃんおすすめのガンシューティングができなかったけど、

写真をいっぱい撮ってわたしの体を合成してくれるって。

あ、でもモトコちゃんおすすめのホラーハウスは怖くなかったかも」


「楽しそうでよかった」

「モトコ、元気出せ」

「なるほどARっぽい写真は作れるのか」

「リッカはシャラとデートできて嬉しそう」


「今度、十四時ママといっしょに

同人誌即売会に行くかもしれないんだ。

いろいろ確認が必要だけど

OKがでたらまたそのお話もしたいな」


シャラは楽しそうに話を続けている。

八上はそれを聞いて改めて考える。


Vチューバーがでたとき、

新しい存在が生まれたと思っていた。

スキャンダルもない、

事故や病気でいなくなったりしない、

問題を起こさない完璧な存在。


業界が大きくなって技術がさらに磨かれれば、

そんな存在が生まれるって感じた。


実際はそうではなく、

多くの可能性が示される反面、

消えていく存在も多い。


推しの無期限休止や、

シャラの卒業を見て、

Vチューバーも既存のタレントと代わりはないと呆れ、

虚無感に近い気持ちになっていた。


だがそれは違う。


ソノミンが魂をして、

多くのひとに推され、

愛情をもらった器だったからこそ、

シャラはこの体に電子生命体として生まれた。

現実の人間の体ではこれはできない。


バーチャルの体に、

バーチャルの魂を持つこと。

まさに、白雪・シャラ・シャーロンはバーチャルユーチューバーである。

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白雪・シャラ・シャーロンはバーチャルユーチューバーである。 雨竜三斗 @ryu3to

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