6話:ヴェヌスタリスに制裁を
ジュリアスが正体を明かしても、ざわめきはほとんど起きなかった。人々は皆、一心にジュリアスを見上げていた。ジュリアスは、眼球が乾きそうになるほどしっかりと目を見開いて、ゆっくりと語りだした。
「初めに……自分事で申し訳ないが、まずは謝らせてほしい。――すまなかった」
深く腰を折れば、ざんばらに切られた髪が頬に当たる。切り取られても、埃にくすんでも、王の証はまだそこにあった。
「……僕は、宮殿の中と、そして僕以外の誰かが選んで見せた社会が、この国の全てだと思っていた。だか、現実は全く違った。民は搾取され、差別に苦しんでいた。王族でありながら、一度は王位を継承しかけていながら、国の実情を僕は何も知らなかった」
そこで、一度ジュリアスは言葉を切った。不意に胸の奥から何かがこみ上げた。それを飲み込もうとすると、今度は目頭が熱くなる。軽く瞑目し、そしてまた目を開ける。
「無知で愚かな僕は、国家反逆なる罪で投獄され、そして助け出された。僕を助け出した男は、復讐することが目的だという」
視線を巡らせれば、人混みの後ろの方に立っているジュリアスの姿があった。表情は、やはりほとんどない。仏頂面だ。
「また、クラーク氏は、遠からず訪れる集落の危機のため立ち上がることを決断された。戦うためには理由が必要だ。いや、理由があるからこそ、人は戦わざるを得なくなる。だが――僕はいままで戦う理由が見つけられなかった。陥れられたにも関わらず、復讐はおろか弁明すらしようとしなかった。
だが、ここに来て、現実を直視して、一つ思い出したことがあった。僕はある人に教わった。
――王族ならば、人の上に立つならば、人々に尽くせ。民は王の手足ではない。王こそが民の手足となって、人々に手を差し伸べ、人々の窮状に駆け付けよと」
それは、自分がかつて見た夢だったのかもしれない。しかし、たとえそれが夢だったとしても、ジュリアスにとっては、いまの自分を形作る礎だった。
「僕はいま、王であったかもしれない者として、民を救わなければならない。それは僕に課せられた責務だ。僕に流れる血が引き起こす、おぞましい罪の贖いをしなければならない。故に、僕は戦う。己の血、ヴェヌスタリスの王家と。彼らの尖兵どもと。
先だっては、君たちを搾取した、ファレン砦に襲撃をかける。奪われたものを君たちの手に取り戻すために。君たちの友を、救い出すために。……君たちは、僕の戦う理由だ」
ジュリアスが、そうして言葉を切ると、しんとした静寂が下りた。風も凪いで、物音の一つも立たない。数秒、時すら凍り付いたような時間が過ぎ、そして、
「……わ、私の夫は、王国軍に所属してました」
不意に一人の婦人が声を上げた。その腕には、泣き声一つ上げずに眠っている赤子が抱かれていた。
「誰に恥じることも無く、人々を守っていたはずでした。ですが……ある日突然、国家反逆の罪を犯したとして連れていかれ……二度と戻ってきませんでした。私はお腹の子と共に、王都近くの町から、ここまで必死に逃げ延びました」
女は目に涙を溜めていた。だが、それが頬を伝う前に、女は目を乱暴に拭った。
「その日から、私は王家をずっと憎んで生きてきました。この子がいなければ、剣を取って王都に向かっていたかもしれません。ジュリアス様……貴方様のことも、いつかこの手で殺してやろうと思っていました。同じような思いをした者が、この集落には何人もいます」
まばらに、女に同意する声が上がった。ジュリアスはそれも黙って受け止めた。
「それでも、何もできずに、ここに逃げ、隠れるように暮らしてきたのは……私たちが自分一人では何もできない、臆病者だったからです。服従を恐れたのに、率いられることに慣れて、心のどこかでずっとそれを私たちは求めていました」
「ならば……僕が、君たちを率いよう。自ら剣を取り、君たちと共に戦おう」
「この中の誰かが、堪えられず貴方様の背に凶刃を突き立てたとしてもですか」
ジュリアスは、ほとんど間を置かず頷いた。
「僕と共に、戦ってくれ。王家のためでも、この国の未来のためでもない。君たちが持つ、戦わねばならない理由のために」
再びの、静寂。しかしそれが破られたのは、早かった。
「……お、俺はやるぞ!」
一人の男が言った。それを皮切りに、あちこちで声が上がった。
「俺もだ、あいつの仇を取ってやるんだ!」
「土地も財産も奪われた恨みを晴らすぞ!」
「これ以上ひもじい思いはごめんだ! 砦の連中から食料を奪い返してやれ!」
その声は、その場に居合わせた集落の者のほとんどから上がっていた。怨嗟の声が渦巻いていた。それを見つめるジュリアスの隣に、ザミルが立った。いつの間にか隣にいたザミルにジュリアスが驚いて視線を向けると、
「フラブの民よ。この戦い、ユラの民もまた立ち上がる。このザミル、ドジェの氏の名にかけ他氏族をまとめ、尽力するとここに誓おうぞ!」
ザミルの宣誓に、怨嗟の声が、歓声とも鬨ともつかない声に変った。厳冬の寒さを散らすほどの熱気が、この小さく滅びかけていた集落に上がっていた。下から見上げていたクラークが、ジュリアスと目を合わせ、そして軽く頷いた。ジュリアスは頷き返し、
「――ヴェヌスタリスに制裁を!」
そう叫んだ。
「ヴェヌスタリスに制裁を!」
集落の者もまた叫び返した。二度、三度と声は上がり、そして、熱気も冷めやらぬまま、クラークの号令で数人が屋敷へと集められていった。
ジュリアスは荷台から降り、クラークの後を追って、屋敷へと向かおうとした。
その道中、無言でシルヴィオが隣に並んだ。彼はじろりと睨むような視線を向け、言った。
「口達者なことだ」
嫌味のような言葉だったが、ジュリアスには嫌味とも皮肉とも思えなかった。「そう教え込まれた」と応えれば、シルヴィオはふんと鼻を鳴らした。笑ったつもりか、口元が歪んではいたが、それを嘲笑だとは受け取らなかった。
「シルヴィオ。君との思い出が夢だったとしても……また、君の言葉が僕によって強いられたものだったとしても……それでも、その言葉、その理念は僕の支えだ。君がいなければ、僕はあの場に、ああして立つことはできなかっただろう」
「…………」
シルヴィオは無言だった。黙ってジュリアスから視線をそらし、前を向き……そして、数歩歩いた後に、呟くように「そうか」と言った。
――王国歴九九八年。瑠璃の月の八日。
後に太陽王と呼ばれることとなる、ジュリアス・フェーリ・ヴェヌスタリスが決起した、歴史的転換点がまさにこの日だった。この後に、ヴェヌスタリスの国は長きにわたる戦乱に包まれ、そして滅び去ったと後世の歴史書記されることになる。
全てを殲滅せしめたその姿は、まさに全てを焼き払う黄金の太陽であった。ジュリアスの傍らにはいつも、黒点の騎士と呼ばれいくつもの苛烈な戦を繰り広げた、シルヴィオ・ファン・ローイの姿があったという。
そのことを、いまのジュリアスは知る由も無いはずだった。だがしかし、その不吉な予感だけは、その胸中に抱いていた。
あるいはそれは決意だったのかもしれない。この国を滅ぼす、その決意が刹那的にその未来を垣間見せたのかもしれなかった。
天祐の王と烈火の騎士 羽生零 @Fanu0_SJ
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