吾輩はケット・シーである

十余一

吾輩はケット・シーである

 吾輩はケット・シーである。 名前はまだ無い……と言ってみたいところだが、この家では「ダイフク」などと呼ばれている。豆大福に似たぶち猫だからだ。どこで生れたかとんと見当がつかぬ……わけでもない。由緒正しきアイルランドの妖精である故、当然ながら生まれもその地だ。しかし、今は縁あって日本のとある一家と共に生活している。


 今日はそんな吾輩の優雅な一日をお届けする予定だったが、時刻はもう夕方だ。早朝に世話役を叩き起こし食事を用意させ、朝食後に家の者たちが職場や学校へ行くのを見届けたまではよかった。問題はその後である。家に一人残った婦人に構ってやろうとしたところ、恐るべし撫でテクで眠りの世界へ送られてしまったのだ。柔らかな日差しと相まって気持ちの良い午睡であった。


 人間がアフタヌーンティーを楽しむ時分に目が覚め、その後は近所の猫から報告を聞く。新入りの歓迎、いさかいの仲裁、それから取り留めのない雑談。これも王の務めである。



 そうしている間に世話役の一人が帰還したので出迎えてやった。しっかりと手を洗いうがいし、吾輩を一撫でしてから宿題に取り掛かるようだ。真面目で大変によろしい。

 吾輩は広げたノートの上に寝そべった。


「大福〜邪魔ぁ〜!」


 パン生地の如くねられたうえに押し退けられる。無礼な小童め。吾輩が勉強を見てやっているのだぞ。そこ、間違っているではないか。英単語のスペルミスを尻尾で叩いて教え、消しゴムを手元に蹴飛ばしてやった。こうして臣下を啓蒙けいもうしてやるのもまた王の務め。

 ようやく宿題を終えた世話役は「はいはい晩飯ね、晩飯」と吾輩の夕食を用意した。大義であるぞ。


 食後には入念な毛づくろい、それからキャットタワーを登り降りし具合を確かめる。飽きたら小童が興じているテレビゲームを至近距離から観察。そして「大福ー画面見えない!」という文句と共にに腕の中に閉じ込められる。不敬であるが今回は膝の上でおとなしく過ごしてやろう。王は寛大なのだ。


 そうしていると、また一人世話役が帰還した。この娘子むすめごはチョロい。一声鳴いて擦り寄ってやれば吾輩の意のままよ。さあ、食事を用意するがよい。あの美味いものは無限に欲しくなるものよ。


「姉ちゃん、大福もう飯食ったから騙されんなよ」

「そうなの!? ごはん食べてませんよ〜みたいな顔してきたのに」


 口を挟むな小童め! 吾輩に逆らう気か!

 致し方あるまい。カリカリを出さぬのなら“ちゅ〜る”を捧げよ。


「食べてばっかだと本当にモチモチの大福餅になっちゃうよ〜。大福、運動しよ!」


 娘子はそんなことを宣い、吾輩の目の前で羽飾りを揺らす。やめろ……やめ……目の前でそんな……。


「大福凄いぞ〜! 次はこっちだ! ほら、こっち!」


 羽飾りを追いかけ飛びつき、強烈なパンチを食らわせ、また飛びつくの繰り返し。娘子は手を変え品を変え吾輩を楽しませる。なかなかやるではないか。


 吾輩がエビのぬいぐるみに連続蹴りを炸裂させていると、この家の最後の住民も帰還する。男は両手で無遠慮に撫でてきたので、フシャッと短く威嚇してキャットタワーの一番上に登った。逃げたのではない。戦略的転進である。


「父さん撫でるの下手すぎ」

「お母さんを見習いなよ〜」


 全くもって小童と娘子の言うとおりだ。繊細さの欠片もない無礼者め。しょげている場合ではないぞ。婦人の元に弟子入りし撫でテクを習うがよい。

 その様子を見ていた婦人が笑い、注意が疎かになったのか不意に手をぶつけ皿が床に落ちる。吾輩は咄嗟に魔法を使い割れぬようそっと降ろしてやった。まったく、世話の焼ける臣下だ。「割れなくてよかった」ではない。吾輩のおかげであるぞ。


 人間が四人揃ってテーブルを囲み食事を摂ったあとは、風呂などという恐ろしい場所へ順に入っていく。水を浴びたり浸かったりすると疲れが吹き飛ぶという。人間の最も理解しがたい行動の一つである。


 夜も更け、人間も眠る時間がやってくる。吾輩の二度目の夕食を阻止した小童に罰を与えるべく、ふかふかの寝床を占領してやった。人間は冷たい床にでも転がっていろ。

 しかし小童は器用に体を滑り込ませ、布団に横たわった。これではただの添い寝ではないか。まあ、王たるもの臣下の無作法も許してやらねばな。それにしても暖かい。


「おやすみ、大福」


 人間よ、明日も王の統治の元平穏に暮らせることに感謝するがよい。

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