第五章 京都禍乱②

 セクター1。そこは縦横40メートル四方の空間で、こちらも一面純白で埋め尽くされている。これだけ広い空間なのに使用用途が私の身体検査だというのだから拍子抜けしてしまう。座学で学んだ「がっこう」と呼ばれる教育施設にでも提供してやればいいのにと常日ごろから思っている。

 空間の中央には私専用と言って良い特注の椅子が用意され、そこでは血液検査による採血、脳波チェックが最初に行われる。その他にもセクター1に運び込まれた検査装置がずらりと並んでおり、その後も身体測定、眼科、聴力、呼吸器系、果ては尿検査まで行った。


「先生、今日は徹底してましたね」

「今日は特別なのよ。頑張ったわね」


 本日最後の診察、担当医師との面談だ。聴診・問診を行い適切な受け答えが出来ているかを確認するのだ。担当医師はもちろん緋凪先生である。


「頑張ってはないけど、疲れた」

「だから『頑張ったわね』と言ったのよ。あなた徹底的に嫌な日は検査嫌がるでしょ?」


 16にもなって検査から逃げるのもどうかと思うが、ほぼ毎日検査ばかりだとこちらの気も滅入るというもの。自分の部屋に戻っても白い部屋とベッドしかないので、気も紛れやしない。唯一の話し相手である姫もいつも受け答えしてくれるわけじゃない。彼女は自分の話したいタイミングの時でしか返してくれないから。


「嫌がるって言ってもあの部屋から出ないだけなんだけどね。子どもみたいだって分かってても、やりたくない時があるのよ」

「……そこに関してはごめんなさい。私もあなたの担当医師として、あなたのメンタルケアも含まれているのに」

「緋凪先生は違うわ。先生は私のこと見捨てることはしない。そこだけは信じられる」


 問診表に必要事項を記入する緋凪先生の手が止まる。


「姫のこともすぐになんとかしようとしてくれた先生には感謝しかないよ。私がここにいる間、ずっと先生は私のことを見てくれていたから。まるでお母さんみたいに」

「比佐奈。あなた」

「先生が私のお母さんだったら良かったのに」


 言ってもしょうがないことを口にした途端、緋凪先生の目から一筋の涙がこぼれた。


「先生、どうしたの?」

「え、あ、はは。年ね。本当に年だけは重ねたくないわ。すぐに涙もろく」


 乱暴に白衣の袖で涙をぬぐう。


「先生、泣いてくれるの?」

「……あなたは知らないと思うけど、私はここに来る前まで馬鹿な事ばかりしてた。人に言えないことも、たくさんね。でもあなたがそうやって笑顔で生きてくれるなら、私は自分のしていたことに意味があったんだって思える。だからこれからも生きてほしい。そしてどんな風になっても私はあなたの味方だから。忘れないで」


 緋凪先生は息を整え再度問診表を眺める。


「うん、これで面談もおしまい。今日の全工程終了よ。お疲れ様」


 先生が私に何を伝えたかったのか、私はこの時その半分もわかっていなかった。だからこそその続きを聞きたくて先生に質問しようとした時だった。


「なんだ、もう終わったのか緋凪博士」


 セクター1に現れたのは室内の純白に対比する漆黒の美女。深い闇を思わせる着物姿の女性は黒く長い挑発と相まって酷く美しい黒蛇を思わせる。20代中頃と思しき若さと妖艶さが絶妙なバランスで同居している大和撫子な彼女は、その実少しでも油断すれば丸呑みされかねない危うさを感じさせた。


「検査は昼からと聞いていたが?」

「築茂(つくも)様、何故ここに……」


 緋凪先生の声音からは若干の恐怖が感じられた。私も漆黒の着物女のことを一度だけ見たことがある。

 築茂葦七(つくもあしな)。緋凪先生からは「絶対に口を利いてはならない人」と教えられている。会って知ったことではあるが彼女からは得体のしれない「何か」を感じる人だった。この人がここにやってくる日は前日に先生から教えられるくらいに危険な人物なのだが、今日はこの人の来訪に関して一度も聞いていない。先生も相当驚いているようだ。


「なあに、お忍びというやつさ。博士は研究熱心で毎日のように彼女を検査していると聞いてね。部下の仕事を労うのも雇用主の仕事のうちだろう?」

「こよう、ぬし?」


 つい言葉を発してしまい、先生は驚愕を築茂葦七は口角を上げて笑みを浮かべた。


「そうだ、私は緋凪博士の雇用主、社長というわけだ十条比佐奈さん。社長という単語の意味は分かるかな?」


 私は口にしたことを後悔しながら必死に首を横に振る。


「そうかそうか。確かに現世の情報は極力避けるように私から申し出たんだったね。社長なんて言われてもわからないか。それよりちゃんと言語を介していることに嬉しくなってしまってね。これなら次の」

「築茂様。今日は何用でお越しに? まさか本当に労をねぎらいにだけ来られたわけではないでしょう?」


 先生は築茂にその先の言葉を言わせないよう、まくし立てるかのごとく質問の応酬を試みる。すると少しだけ勢いが落ちた築茂がため息交じりに話し始める。


「そう熱くなるな博士。あなたにとってもこの子が大事なのは百も承知だ。ただ先ほど九十九(つくも)大爺様から言伝が届きまして」


 大層面倒くさそうにする築茂は簡潔に伝える。


「ここが嗅ぎつけられたようなのです。しかも一組織ではなく教会に。どうやら虫が一匹ここに迷い込んでいたようで」


 先生は顔中に冷や汗を浮かばせる。きょうかい、むしってなんだろう?


「内通者と思しき男は数時間前に拘束、尋問したのですがその男、事切れるまで誰と繋がっていたか言わぬまま逝ってしまったので、こちらとしては本当に大迷惑なことはなはだしい」

「何故、情報が漏れたのですか?」

「ダブルフェイス。要は二重スパイなのですが、内通者と同行していた者が我ら築茂家の人間だったということです。おかげで早期に発見できたのですが、逝ってしまった男はすでに外部に情報を流した後でして」


 なんのことだかまるで分からない。ただ先生にとって悪い話だということはよく分かった。何故ならさっきから先生は恐怖のあまり小刻みに震えていたから。


「しかも流した相手が聖十字中央教会。おそらく数日後には教会の査察団、ないしはそれに近い信徒がこの地にやってくる。その前にこの施設の証拠を隠滅しなければならなくなりまして」

「教会に情報が流れた以上、逃げようがないのでは?」

「要はやりようですよ。大爺様が時間を稼いでくれますので、その間に我々はここのセクターを完全に閉じ、次のセクターに移動します。なに、ちょっとした小旅行だと思えばいい。明日にでも撤退と証拠隠滅作業が始まりますので」


 築茂は私に目線を合わせ邪悪な笑顔で告げた。


「最後の平穏を楽しんでください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無幻の蒼 suiho @togekuribo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ