イスラムの妖精ジン

森新児

イスラムの妖精ジン

「『コーラン』によれば、アッラーは理知を備えた三種の生物を創造した。

 ひとつは泥から創造した人間、

 ひとつは光から創造した天使、

 そしてもうひとつが火から創造したジンである。

 ジンは天使と人間の中間的存在で、知能は人間より劣る。

 また、ジンにはイスラムに帰依した良いジンと、そうでない悪いジンがいるとする。

 しかし、一般的にはジンは、悪い存在として認識されている。

 その正体は不明で、人や動物に変身する超能力をもつとされる」


『イスラム教の本』吉田邦博『ジン(魔怪)』より





 イスラム教はキリスト教よりずっと論理的な宗教だ。

 とくにアッラーの絶対性は徹底されている。


 神は不可知な存在で見ることなどできない。

 もちろん信者が神の姿を描くという不敬などありえない

 だからイスラムにおいては「見る」ことより「聞く」ことのほうが尊ばれ、このため絵画より音楽のほうが発達したともいわれている。


 これは自分の偏見だが現代音楽ロックンロールの源流はイスラム教の弦楽器の、熱狂的な調べにあると思っている。


 イスラム教は見ることより聞くことを尊ぶ。

 だから預言者ムハンマドの肖像画すら残されていない。

 イエス、ブッダと並ぶ世界三大宗教の開祖としてただひとりその実在を確認されている人物なのに。

 ちなみにムハンマドはわが国の聖徳太子と同時代人である。





 イスラムの論理はこのように徹底している。

 キリスト教の三位一体説のように、曖昧な論理が曖昧なまま展開することはない。

 この神の不可知が徹底しているためか、神が生んだ三つ目の存在である妖精ジンの姿もコーランにはっきりと描かれていない。

 だからジンはムスリム(イスラム教徒)にとって今なお


「よくわからないが恐ろしい存在」


 なのである。





 中東の砂漠で生まれたイスラム教は、やがてアフリカに伝播した。

 現在アフリカにある国のほとんどの国教はイスラムである。

 敬虔な信仰が伝われば、それにともないうろんなオカルトも海を越える。

 祈りとともに、妖精ジンもアフリカを訪れた。


 熾烈な内戦を経験したアフリカのつのソマリアにもジンがいる。

 ソマリアの人々は口々に、砂漠でジンを見た、と語る。

 しかしそれがどういう姿をしているのかというと、さっぱりわからない。人々の話が急に要領を得なくなるのだ。

 砂漠の陽炎のように、ジンの正体はいぜん曖昧模糊としている。


 ただひとつはっきりしているのは


「アフリカの砂漠にジンがいる」


 ということだけだ。





 一八八八年十月、三十二歳の「もと呪われた詩人」アルチュール・ランボーはひとりで三十頭のラクダを率いて、ショアの首都アンコベール目指して小銃二千挺、弾薬筒七万五千個を運ぶ砂漠の旅に出た。

 伝説のメネリク王と取引するためだが、「武器商人」という言葉が喚起するような、これは勇ましい旅ではなかった。


 ランボーの立場は現代でいえばコンビニの雇われ店長のようなものだ。

 だからこそ無理にノルマをこなそうとしてたったひとりでラクダ三十頭を率い、砂漠に出るという無茶をするのだ。

 人生の一発逆転を夢見るのは、今も昔も変わらぬフリーランサーの悲しいさがだ。


 しかし取引の相手はあのメネリク王である。

 はじめから詩人の手に負える相手ではなかった。

 ランボーは王に脅迫され、資本の六十パーセントを失う。

 呪われた詩人の旅はこうして大失敗に終わる。



 自分は時折夢想する。


「たったひとりでラクダの群れを率いた砂漠の旅で、ランボーはジンを目撃しなかったのか?」


 と。

 残念ながらランボーは十九歳で筆を折っている。

 だから彼がジンについて語ることはなかった。


 ちなみにランボーが砂漠の旅に向かう直前の九月、フランスの『ラ・ヴォーグ』誌にはじめて長編詩『地獄の季節』が掲載されている。

 しかしそんなことは詩を捨てて久しい中年の雇われ店長にとって、どうでもいいことであった。


 この旅から五年後、ランボーは病をえて右足を切断した末に亡くなる。

 享年三十七。





 アフリカに広がったイスラムは、やがてアジアにも広がってゆく。

 マレーシアの国教もイスラムである。


 第二次世界大戦の最初期、大日本帝国陸軍は東南アジアに上陸し、タイ→マレーシア→シンガポールを進軍する電撃作戦を実行、最終的に英国領シンガポールを占拠し、石油地帯の確保に成功する。

 この電撃作戦こそわが帝国陸軍の「世界戦史に残る」と評された栄光の絶頂であり、このあとは戦争が終わるまでずっと恐るべき急角度の下り坂となる。


 電撃作戦を裏から支えたのがF機関といわれた陸軍の諜報機関である。

 諜報、すなわちスパイ活動である。

 F機関のFは有名な陸軍中野学校出身の藤原岩市少佐のFである。

 F機関は電撃作戦成功の影のMVPといわれている。


 このF機関に協力した現地人が「マレーの虎」ハリマオである。

 ハリマオ(虎の意味)というが、その正体は日本人で、福岡出身の谷豊という不良あがりの青年だった。


 谷はF機関に協力し、電撃作戦を実行する軍に先行して現地人でも恐れるジャングルを一気に突っ走り地元民の宣撫作戦を行った。

 が無理がたたったのかマラリアに感染し、マレーの虎はあっけなく亡くなった。


 イスラムの教えが伝わるマレーシアのジャングルにも、アフリカの砂漠と同じように妖精ジンがいる。

 ただ中近東やアフリカの砂漠にいるジンと違って、マレーシアの森にいるジンの姿はかなり具体的だ。

 それは虚空に浮いた女性の頭で、胴体はなく、その代わり剥き出しになった内蔵が頭からぶらさがっているという。


 こういう姿の妖怪に暗い森の中で出会ったら恐ろしいと思うが、果たしてハリマオはマレーのジャングルで、ジンと遭遇することはなかったのだろうか?

 ランボーと同じように、ハリマオもジンについて語ることはなかった。

 ハリマオは病床で「イスラム教徒として死ぬこと」を強く望んだという。享年三十一。

 ちなみにオランウータンはマレー語で「森の人」という意味である。





 何気なくテレビのバラエティー番組を見ていたら、タイでもっとも恐れられている幽霊ガスゥーを紹介していた

 頭に内臓だけがくっついて空を飛ぶ幽霊だ、という話を聞いてスタジオの芸能人たちが「怖い」といいながら笑っていた。

 この「頭に内臓だけがくっついて」という話を聞いて、自分はとっさに「ジンだ」と思った。


 ジンはマレーシアの森からタイの都市へ飛んだようだ。

 ガスゥーは昼間は普通の女性として生活していることが多いという。

 そこも「人や動物に変身する超能力を持つ」といわれるジンに似ている。


 ジンはとうとうタイまでやってきた。

 もうすぐ日本の、あなたのところにくるかも……

 いや、もうきているかもしれない。



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