〈推し活〉とは、〈推し〉を〈活きる〉こと

  • ★★★ Excellent!!!

主人公の望月唯(もちづき・ゆい)は、2次元アイドルの〈推し活〉にはげむ、20代半ばの自称社畜OL。

質素で、ほとんど禁欲的ともいえる生活をしている唯ですが、就寝前のゲームを楽しむわずかな時間だけが、彼女の生きがいになっている。

唯の〈推し〉は、スマートフォンの音楽ゲーム『月の輝きを胸に』に登場するキャラクター相楽祥平(さがら・しょうへい)くん。ゲームのなかの架空キャラなので、もちろん姿はアニメ絵だし、声や歌は声優さんの吹き込んだものです――――そう、ある事件が起きるまでは。

ある日のこと、唯は、頼んでもないのに、神様から願いごとをひとつ聞いてもらえることになり、頼んでもないのに、異世界に「転送」されてしまいます。それはなんと、相楽くんをはじめとする『月の輝きを胸に』の世界が、すべて現実になった世界でした。

願いごとを叶える相手や願いごとの決め方はいろいろ雑な神様ですが、1か月、3ヵ月、6か月、1年後に様子を見にくるという実に細やかなアフターケア。しかも、神様が直々に視察しにくるというのです。

「アフターケア必要? 推しキャラが2次元から3次元になったら、シンプルにメッチャ幸せそう!」などと思ったそこのアナタ! 残念ながら、ちがいます。

ゲームのアイドルたちが現実になったことをのぞけば、ほぼ元の世界と変わらない異世界。唯はあいかわらず社畜OLとして、せっせと〈推し活〉資金を稼ぎます。それどころか、元の世界よりアイドルとの接点(「供給」)は増え、彼女の〈推し活〉はますます多忙になっている。

それだけならよいのですが、唯は、推したちが3次元になったことで、まったく新たな問題に直面するのです。たとえば、生身のアイドルとなった推したちは、ファンである自分と同じように歳をとる。年ごろの男性である以上、女性と遊んだり、おつきあいしたりすることも当然ある、などなど。

こうした問題を前に、唯はファンとしての「アイデンティティ・クライシス」に陥ってしまいます。

「私って、本当に今の相楽くんのことが好きなのかな」(第4話)

推しのいる人にとって、これは一番つらくて、一番問いたくない疑問です。それはほとんど、自分の生きがいを見失うことに等しい。

だから、忘れたころに「様子を見にくる」神様と顔を合わせることが、唯にとっては次第に苦痛になってくる。

この作品の見どころは、この難しい関係に正面から向き合っていこうとする一人のファンの生き方を描いているところでしょう。

最終話(第5話)で、相楽くんとの関係にとって最大の危機を乗り越えた後、唯はこう言います。

「私、相楽くんのファンでよかった」

「~のファンでよかった」という典型的なことば。一見すると、このことばは「推し」に向けられているように見えます。でも、本当の力点は、「(自分が~のファンで)よかった」にあるように思います。

「~を好きでいる自分」、「~を応援している自分」、「~のことをいつも思っている自分」――ファンの生活は、基本的に一方通行なもので(=片務的)、推しからの見返りを期待してしまうと(=双務的)、簡単にバランスを失ってしまいます。アイドル(推し)は一人のファンのためだけに存在しているはずがないし、もし仮にそうなったとしたら、もうアイドルではなくなってしまうからです。

誰がみても明らかなこの不安定な関係をギリギリのところでささえるのは、「~のファンでよかった」という自分への肯定ではないでしょうか。

先のセリフのすぐ後、唯は、こう続けています。

「彼のファンであることを、私は誇りに思う」

〈推し〉というのはただ、たくさんいるアイドルやタレントのうち、特に好きになった一人という意味ではありません。

「~のファンでよかった」と心から思わせてくれる相手との出会い、そんな相手を〈推し〉として生きる自分との出会いです。

〈推し活〉とは、〈推し〉と〈生きる〉ことだし、それと同じくらい、〈推し〉を〈活きる〉ことなのです。

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