第18話 黒く鈍く青く
聞くからに残念そうな声は見るに堪えなかった。
私が抗おうと、うつぶせ寝から起き上がろうとした右手に強い力が入り、彼は私を阻止しようと刻々と熱くなった利き手で私をさらになぎ倒した。
他者の手が触れたのを私は否応なしに感じる。
「帰るんだ。せっかく来たのに?」
胸がじりじりと熱を帯び、肩幅も猖獗のように熱くなっている。
ゆっくりと私は荒れた息を整えながら彼を物乞いするように見上げた。
「莉紗たちのところへ戻らんといかんの」
「まだ、誘われていないのに?」
利き手ではない左手をその白蛇のような手で強く握られ、私は導かれるように深く動揺した。
この展開の先はもう十分すぎるほど熟知している。
このまま、奈落の底へと歩みを呑まれるように止められないんだ。
「分かんないの?」
声がかすかな木漏れ日のように漏れた。
息が詰まり、生臭い唇がじんわりと濡れる。
顔の熱をあっという間に感じ、唇の先がぬるま湯のようにたゆたう。
瞳の奥の木立闇で唇を交わす二人の人影を目撃した。
もう、元には戻れない、赤い禁断の扉を開けてしまった。
胸も固く握られ、乳房から細やかに夕影の下で照らされる、淡紅色の芙蓉の花が咲き乱れるような痛みが広がった。
私は静かに祈るような心地で目を開けた。
彼と目線が繋がり、それは委縮するような怖い眼だった。
私をまるで、秋赤音を捕獲するために追い求めようとしている、小さな悪童のような眼だ、と思った。
瞳の奥が黒く鈍く青く光る。
息が集中できず、切れ切れとなった吐息が白い芙蓉の花をさらに咲き乱れさせる。
「やめて」
否定形の声が出たときはもう、魂が抜けた亡骸のように力が抜けていた。
「私、帰る」
彼は私を見つめた。その眼は深く閉ざされ、満ち足りてもいない、中途半端な大きな改悛が残っていた。
「……ごめん、こんなことをして」
瞼の奥が火照り、じわじわと幻覚を促すように精神性を攪乱した。
なぜ、こんな結果を招いてしまったんだろう。
まだ、傷口を分け合う仲のままでいたかったのに、なぜ?
「僕は他の誰よりも穢れている。だから……」
彼の消える筈もない、過去が私の中で廃園になった遊園地で偶然にも誤作動した、月影のメリーゴーランドのように回転した。
私はそのまま、独りぼっちのまま、夜逃げのようにカサブランカの家から抜け出し、太宰府天満宮の前の境内でみんなと合流した。
君は最初から計画を立てていたように見送りをしなかった。
カサブランカの棘 百合の花言葉は純潔。でも、怖い意味もあるの。 詩歩子 @hotarubukuro
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