5 目覚めた悪役令嬢が帝権の象徴になるまで(3)

 使用人の躾がなっていなくてよ、ハインリヒ・ノトルガウ――と。

 エレノアは、枕と枕に重ねたクッションを背もたれにベッドに腰掛け、ベッドの左右から彼女を好奇の眼差しで覗き込んでいる者達をじっとりと半ば呆れた思いで睨め付ける。


「起きましたよ」

「起きて動いたわ」

「目を開けるともっとお綺麗ね」


 目を開けるまでの間で、この部屋にいる者達の名前は彼等の会話から把握済みである。

 部屋の出入口に近い左側、エレノアとさして変わらない年頃の侍女が三人。

 エレノアの足元から順に、コリーナ、ネリー、イリス。

 

(行儀見習い上がりの、下級貴族令嬢ってところかしら)


「本当に人形なのでしょうか?」

「陛下がそう仰ったからにはそうなのでしょう」


 部屋の奥の右側、三十近い年頃の女性と四十近い年配の女性。若い侍女達の指導役と侍女頭といったところ。

 指導役がマルゴット、侍女頭がブリギッテ。


(こちらは既婚の中級貴族夫人といったところね)


「魔法仕掛けであるらしいが」


 そして、皇帝ハインリヒが「後は任せる」と指示した初老の男。

 オズヴァルト。


(まあ使用人の教育は皇帝ではなく、この爺か侍女頭でしょうけど)

 

 ハインリヒがこの部屋から出た後、十分に間を置いてから目を開けて身を起こしたエレノアだったが、彼等は彼女を物珍しげに眺めるばかり。

 この豪奢な部屋付の使用人としての働きを一向に見せようとしない彼等に痺れを切らして彼女は、不快も露わに目を細める。


「わたくし、見世物ではなくてよ」


 低く漏らせば、「喋ったっ」と反応しする若い侍女コリーナに、お前の頭は美容ことしかないのとエレノアは思う。

 若い侍女の中で一番、髪と肌の色艶がよい。

 

「特に、お前。わたくしがなにかと首を傾げるよりすることがあるのではなくて」


 オズヴァルトを指差してエレノアが言えば、彼ははっと表情を引き締めはしたが、まだ主の言葉が半信半疑で彼女を窺っているのには呆れてしまう。

 はあぁっ、と落胆したようにエレノアは俯いてため息を吐くと左手を肩に、艶やかに波打つ銀髪を持ち上げて背に払うと、その手を口元へ添えて人を嘲る歪んだ笑みを浮かべた。


「嫌だわ、まだ動けないなんて。侍従長らしき服を着せて、上着から鎖の飾りを垂らしただけの出来損ないの木偶なのかしら」

「なっ」

「ああ、いいのよ。木偶だというのなら、お前の元の持ち主はろくな魔法も施せなかったのよね。可哀想に」

「……お嬢様、私は魔法仕掛けではございません」


 自分よりも主を侮辱された憤りを抑えつつ、「この部屋に見合う対応で頼む」と命じられたのを守る姿勢は気に入った。だが、だからといって職務怠慢を許すほどエレノア・シャテルローという元公爵令嬢は慈悲深くはない。

 彼女は濃く澄んだ紫色の冷ややかな眼差しを、再びオズヴァルトへ向けると命じる。なぜなら「この部屋に見合う対応で頼む」とハインリヒは言い、「後は任せる」と言ったのである。

 この部屋を使う者の世話を任せたということは、つまり、いまや彼らが尽くすべき主はエレノアであるということだ。


「であれば、お前の仕事をなさい。わたくしは慈悲深いから一度の失態は見逃してあげる。先程から人の顔をじろじろ見ているそこの三人っ!」


 きっ、とベッドの左端に並ぶ、三人の侍女にエレノアが声を掛ければ、その女王然とした圧力に、「ハイっ!」と彼女達は反射的に返事をして背筋を伸ばす。 


「お前は湯を用意なさい、コリーナ。わたくしはオリーベの油脂かバラの香油しか使わなくてよ。お前は着るものよネリー、この中で一番まともなものを選びそうだもの。あら、イリス。お前は手先が器用そうね。わたくしの髪を結う機会を与えてやってもよくてよ……」

「あの……」


 右側から、そろりと伺いを立てるような呟きにエレノアは、弾かれたようにバタバタと命じられた仕事へとりかかるためにベッドを離れた三人の女達の背を見送ってから、ゆっくりとベッドへの右側にいる侍女頭のブリギッテを見上げる。


「ああ、古参のお前達はそうねえ……」

「あの、お嬢様」

「なに?」

「何故、彼女達の名前と得意とする仕事を知っていらっしゃるのですか? 陛下からお聞きに?」


 動揺を隠した静かな問いかけに、まあ悪くないわねとエレノアは胸の内で呟く。若い侍女達の指導役のマルゴットなど、驚きに大きく目を見開いて口元は半開きに声を出せないでいる。修養が足りない。


「聞くわけないでしょ。ずっと眠っていたのだから」

「では、どうして」

「別に。見て適当に出来そうな仕事を与えただけよ。名前のことならわたくしが起きる時にお前達がひそひそと話していたではないの」

「え、でもお嬢様は先程目を開けたところで……」


 悪くはないけど、頭の巡りはいまひとつねと、エレノアはやれやれと目を伏せた。皇帝ならもう少し機敏な者を選んでつけて欲しいものである。


「お前は、わたくしを誰だと思っているの」

「はあ……誰……」


 ブリギッテの隣で、ようやく声を出したと思えば間抜けな言葉だ。

 間抜けと呼ばれたいのかしらこの侍女はと、マルゴットへと目を向けてエレノアは呆れる。


「わたくしはエレノア・シャテルロー、いまこの瞬間からお前達の主よ。わかったなら誠心誠意務めなさい。まったく喉が渇いたわ……本来お前がすることなのにマルゴット。お茶くらいはいれられるのでしょうね」

「えっ」

「直ちに、マルゴットっ」


 仕えるべき相手と即座に理解したならまずまず及第点である、ブリギッテがマルゴットせき立てるようにお茶の用意にベッドを離れたのに、まったく世話が焼けるわねとエレノアは再びオズヴァルトを見た。

 先程、役立たずな木偶のようだった彼の、エレノアを胡乱そうに見る目が明らかに変化しているのを見て、彼女はふっと今度は愉快そうに目を細める。


「お見事の一言ですな。大君の言葉は真であるのか、“選ばれし者”を待っていたものと」

「そうね、選びはしたわ。けれど、あの男は皇帝とは名ばかりなのかしから。だとしたらわたくしは困るのだけれど」

「はあ。そのようなことは、大君はれっきとしたローズィユ帝国第十三代皇帝陛下にございます」


 エレノアに答えるオズヴァルトに、どうかしらと彼女は思う。れっきとした皇帝陛下であるならば、“選ばれし者”を待つ魔法仕掛けなど一笑にふせばいいものだ。噂を撒き、煽るよう仕掛けたのはエレノアで自身であるものの、彼女ならそうする。

 興味があるなら、目覚めさせないで持って来させ大勢の前で目を覚まさせるなり、覚まさないなら下らぬ噂として壊す。たとえ人形ではなくてもだ。

 人々の上に立つ強者とは、そういうものである。

 誰かに持ち去られてはと隠すように、こんな部屋へは置かない。

 

(皇帝の座にはついているけれど、支持しない派閥の抵抗もあるってところかしらね)


 そういった場合は大抵、皇帝側に抵抗される弱みがある。

 例えば、愛妾かなにかの子で正統性に欠けるとか、本来玉座につく予定であった者を血生臭い手段で排してその座についたとか。


「なににせよ、お前はあの男にわたくしの世話を命じられたことを忘れぬことねオズヴァルト。聞きたいことがあるのだけれど」


 侍女達とは違って、この爺は一筋縄ではいかなさそうであると判断して、エレノアはひとまず彼の忠誠心を利用して縛りつけることにする。

 悪いようにはしないわよと、いかにも悪い心向きで考えながら。


「なんなりと」

「季節柄、陽気な宴が絶えない時期よね。今夜、最も立派な浮かれ者達の巣を教えなさい」

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