封印された悪役令嬢は魔法仕掛けの人形として皇帝陛下にお持ち帰りされました
ミダ ワタル
プロローグ
その噂が、いつ頃から人々の間に伝わり始めたのかはわからない。
はじめはどこかの町の住民達の間。
それをたまたま耳にした旅人、商人によって他所の町にも。
いつしか噂は、詩歌や読み物、絵の題材にもなりさらに広がる。彼らを支援し庇護する貴族社会をも巻き込んで。
『偉大なる古き大帝国の系譜を持つ、滅ぼされし国の都。
荊に護られた廃城に、呪われた魔女が造りし貴き魔法仕掛けの美姫は眠る。
“選ばれし者”の目覚めの接吻を待って――』
神秘と英雄譚的な甘美の気配を漂わせ、噂は、国中を駆け巡る。
たかが噂と看過できない者のところへも。
「“選ばれし者”とは、なかなか興味深い……」
形の良い唇が薄い笑みの形をとる。
すっと細められた黒い瞳の眼差しにかかる、瞳と同色の軽くうねった艶やかな前髪を掻き上げた象牙色の手の指は金彩の施された椅子の肘掛けに落ち着いた。
噂は巡る。
弱体化した古き国々を吸収し、苛烈な継承争いを経て、建国以来、最高の繁栄を迎えつつあるローズィユ帝国。
その玉座に座る、若き皇帝の耳にも届くまで――。
◇◇◇◇◇
「おおっ、おおおっ! 緩く波打つ銀色の髪に白磁の肌っ、赤き唇っ! 女神の化身の如き均整の取れたその姿! 噂通りのなんという美しさ――我が口付けでその眠りを……へぶしっ!!」
「うわああっ、ベルンブルク伯が突然床から出てきた氷の串刺しに――!」
じっと、ただ横たわっているだけの彼女は、大の男が複数慌てふためいている周囲の騒がしさに疎ましげに呟いた。
呟いたといっても彼女の胸の内でのことである。だからこの広々とした部屋に彼女の声が響くことはない。
崩れかけた柱や壁の隅、天井の要所に
いまや荊の蔓に覆われた廃城と化しているものの、そのつもりで見ればわかる。
煤け、剥げ落ちかけている金彩の名残や、床に倒れ砕けているのは煌びやかな調度が据えられていた台の残骸、壁にぶら下がるぼろ布は美しく織られたタペストリーの一部である。
塵芥が積もり、ひび割れている床も、磨けば美しい
そんな部屋の中央に仰々しく設られた石造りの台の上で、彼女は目を閉じて横たわっている。
(ちょっとした幻覚魔法よ。城の外に出れば傷も痛みも消えるはず)
それなりの魔力持ちならこの程度、稚技にも等しいはずだ。
落ち着きなさい、と言いたい。
血の一滴だって流れていない。そんな汚らしいもの、この場に残されても困る。なにせ彼女は、“眠った状態のまま動けない”のだから。
(わたくしを誰だと思っているの)
不恰好に唇を突き出す身の程知らずに軽く殺意は覚えても、だからといってそれを実行してやるほどの相手でもない。
貴き血筋と力と美貌と高い魔力を受け継ぐ公爵令嬢が、気に食わないからとそんな弱い者いじめのようなこと。
(ただそうね――凍結封印されている身でも選ぶ権利はあるということよ)
それに醜い豚でも伯爵であるらしい。
ここを出た後、彼とその随行者達は見たものや起きたことを、誰かと会うたびに熱心に語るだろう。
彼女が仕掛けた噂の信憑性はますます高まり、これでようやく上位貴族達の社会にもその噂話は広がるに違いない。
広がりはじめれば、彼等のもう一段高みにいる者の耳へ届くのも時間の問題だ。
「た、退却っ、退却――っ! やはり呪われた魔女の城っ!」
横たわる彼女をぐるりと護るように。
氷でできた鋭利な剣が床から生えた様は、近づく者への拒絶の意を示すには凶暴すぎる禍々しさで来訪者の目に映ったようである。
ぽよんと突き出たお腹を串刺しにしている氷を、えいやっと鞘に収めたままの剣で叩き折り、目を回している情けない主人を複数の護衛騎士が抱え上げ、退却していく。
それらを閉じた瞼に魔力を流して透し見ながら、彼女――エレノア・シャテルローは今度は胸の内で毒づく。
(まったく腹立たしいったらないわ、あの
そもそも王太子妃になってくれ、と王家がシャテルロー公爵家に頼んできた縁談だった。
当時、ノワイユ王国の宰相家だったからだけではなく、シャテルロー家は他の公爵家にはない血を入れていた。
偉大なる古き大帝国スリジール王家の血。
その由緒正しき血統の証、
エレノアも、別に構わないわよと承諾した。
エレノアの後をついてくる、彼女にとっては出来の悪い
その伴侶は必然的に王妃となる。政略結婚として悪くはない。
(向こうから頼んでくるのなら、これと断る理由もないもの)
ところが、
子爵令嬢相手に“真実の愛に目覚めた”と言い出したあげく、王家主催の夜会でエレノアを子爵令嬢暗殺を企てた首謀者と断罪し、婚約破棄を申し渡してきた。
恋は人を狂わすと聞くけれど、常軌を逸している。
常軌を逸しているといえば、
貴族社会の中にも階級の区別がある。
天真爛漫といえば聞こえはいいが、エレノアからすれば頭のネジが外れているとしか思えない女であった。
いくら可憐な容姿だろうが、社交界でそれなりに人気だろうが、普通、子爵令嬢ごときが、王族や公爵令嬢になれなれしく近づくなどあり得ない。
まるで親しいお友達のように振る舞う様が迷惑かつ不愉快で、何度かその横っ面を扇で叩き、ドレスの裾を踏んでよろけたところを足蹴にし、たまたま手に持っていたグラスの中身を浴びせもしたけれど、暗殺を企てた覚えはエレノアにはない。
(正気じゃないわね。まるで悪役、稀代の悪女でもあるかのように)
嫌がらせの数々……といった言葉も聞こえた気がするけれど、なにを言っているのかエレノアにはさっぱり理解できなかった。
嫌がらせというのは、家ごと没落させて弱ったところへ悪人をやり甘言で騙しさらに追い討ちをかけたり、あるいは失脚させて貴族社会から追放したりするようなことであるし、少なくともそうする必要有りと認識できる相手に対し成り立つものだ。
人間がひらひらと近づく目障りな蛾を扇で叩き落とし、爪先で小突いて、あるいは水をかけて追い払ったからとて、誰が裁かれるべき罪とするだろう。
付き合いきれない、と。
誰もが目を奪われる優雅さで一礼し、エレノアはざわつく夜会の場を黙らせて家に帰った。
二日後、エレノアを離宮へ呼び出す書状が届き、大方、謝罪だろうと彼女は向かった。正直、詫びに来いと思うものの、公爵家とはいえ王太子が自ら出向くわけにはいかない事くらいは理解できる。
時に煌びやかな夜会の場ともなる指定の広間にエレノアが辿り着けば、人払いがされていて、待ち構えるようにそこにいた
「エレノア・シャテルロー! 其方を封印する永久に――!」
下級貴族の娘のくせに、何故か無駄に高い魔力を持って生まれた彼女は、不意打ち同然に
高貴な血筋と美貌、高い魔力を持ち、その資質で王宮社交界を魅了して女王の如く君臨する公爵令嬢だったエレノア・シャテルローは。
あろうことか婚約者である王太子と彼の想い人の手によって、永き眠りについたのである。
その日は、彼女が十八歳になった日でもあった。
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