2 封印された悪役令嬢が皇帝にお持ち帰りされるまで(2)

 遠目にちらりと覗き見ただけの男は、実際に間近に見るとエレノアが思っていた以上に美しく、犯しがたい雰囲気をまとっている。

 夜の帳のような黒髪。冷たい光が浮かぶ黒い瞳に、瞼を開いたエレノアの紫色の瞳が映っていた。

 

「――これが魔法で造られたモノ・・なら、見事だな」


 思いの外、奪われた……と呟き、エレノアから離れていった薄い唇は、いまはまるで何事もなかったように引き結ばれている。

 賢帝の一方で、継承位争いでは兄弟親類を容赦無く屠り、無能の貴族は言葉通りに切って捨てた冷徹な皇帝とも外の様子を探る中でエレノアは耳にした。

 その評にふさわしい、冷淡な声だと彼女は思う。

 まだ横たわったままでいる彼女をほぼ真上から見下ろしている、尊大な顔つきもいかにもで気に食わない。


(気に食わないけれど、これは群がるわね……)


 黒地に薄い灰色で襟を縁取った騎士見習のような制服を、目立たぬようにかたった二人しか連れていない側近と揃って着ている。


(なにを着ようと、素材の良さを示すだけで意味のない人種っているのよね)

 

 かくいうエレノアもその類であった。

 彼女が着ている薄い青色のドレスは百八十年前の古い時代のものだけれど、そんなことはきっと誰も思うことはない。

 解けた腰まで届く銀髪に、透き通るような白磁の肌。豊満で柔らかそうな胸に細い腰、華奢な手足……。

 紫水晶の瞳や赤い唇が醸し出す得も言われぬ妖艶さや、人を惹きつけ従わせることに慣れっ切った彼女独特の雰囲気に魅了される。

  

「おい、どうした? ハインツ。らしくもなくぼうっとして」

「……魔力を少々奪われて、噂話の意味を考えていただけだ」

「魔力を!? おい、大丈夫なのか。いやでも、魔女が造ったって……どう見ても人間だよな? そのお姫様」


(このいかにも単純そうな男は……たしか名は、ノルベルト・ヴィーラント)


 側近の護衛騎士で公爵家次男。日焼けた褐色の髪に緑色の目。体格がよく、無骨さを育ちの良さが和らげている様は美丈夫といえなくもない。

 皇帝を愛称呼びなどと、親しい間柄にしても随分と礼儀がなっていないが、エレノアが宮殿を覗いた時も側に付いている姿を見かけた。


「さあな。どんなもの・・か……」


 明らかに人間とわかるはずのエレノアに対し確信を持てない様子でいるのは、彼女の美貌がなせる技であったが本人はそう思っていなかった。

 ノルベルトの言葉に、言われなくても流石に起きた後では苦しい設定だと自分が一番よくわかっている、と若干むっとしつつ、封印を解除してくれた皇帝である男の顔を見ながらエレノアは考えを巡らせていた。

 目が開いたので封印は解けたと考えていい。あとはどう誤魔化して籠絡するか。

 こればかりは相手の出方を見てとは思うものの、黒い眼差しの鋭さ、いかにも切れ者で手段も選ばなさそうに見えるこの男に生半可な言い訳が通用するとも思えない。

 どうしたものか。


(でも、嘘は言ってなくてよ。貴き魔法仕掛けって凍結封印は王家の魔法だもの)


「側に置いて、調べる」


(わたくしがこうなったのも、あの魔女といってもいい女狐のせいと言っても……って、ん?)

 

「なにを考えてっ、反対です! 得体がしれない!」

「少なくとも口付けた際、人らしい体温はなかった。私から魔力を奪うなど人間業とは思えない」


(し、至近距離の人前で恥知らずなこと言うのじゃないわよ! 凍結封印だもの冷えてるでしょうよ。それにわたくしを誰だと思っているの、条件さえ満たせばそれくらい……もしかして知識がすたれている?) 


 エレノアはまだ彼女の顔を見下ろしている男の顔を見ながら、再び考える。

 この部屋がまるで氷室みたいな冷気に満ちているのも、エレノアを閉じ込めていた封印魔法の影響であるし、それを知っていれば「人らしい体温がなかった」なんて言葉は出ない。


(王家特有の封印魔法を知るのは、それなりの地位にいる者に限られていたけれど……仮に知らなくても、この男くらい魔力を持つ者なら、魔力の扱いも基本的なこと以上は学ぶはずが「人間業と思えない」なんて)


 いまは、エレノアが封印される前の時代よりも強い魔力を持つ者の数は減っている。

 それに当時、ローズィユは隣国から分離して間もない新興国だった。それが徐々に領土の範囲を増やし、周囲の疲弊した古い国々を吸収していまの帝国となっている。


(わたくしの国を滅ぼした時同様、吸収した国の王族や高位貴族の粛清を繰り返してきたのなら……残っているのは残り滓のような者達ばかりよ。二百年近くの間で知識の一部が失われても不思議じゃない)


「だからって、こんな精巧なものがありますか? そもそも噂の出所だってはっきりせず怪しさこの上ない!」

「興味がある」

「陛下!」


 どうやら、珍しい魔法の知識が集めるのが趣味というのも本当のようだ。

 だからといって、まるで珍しい機械でも検分するような不躾な眼差しで見るのは不愉快であるけれど。


(まあでも、眼鏡の側近はまともね。右腕の文官といったところかしら)


 エレノアを側に置く言葉にすかさず反対した。その後の発言も常識的な判断だ。

 だからといって、ここに放置されても困るけれど。

 ええと、誰だったかしらと、エレノアは宮殿を覗き見た記憶や外を探った際に聞いた人の言葉の記憶を探る。

 元は王太子妃、将来一国の王妃となる身だったのだ。

 どこの誰がどんな者達でどんな振る舞いをし、誰とつながっていそうか……王宮社交界で誰が従うべき主であるかを示すためにも観察力と記憶力はそれなりに必要だ。


(茶色の髪と褐色の目をした眼鏡の側近は、たしか伯爵家三男……オットー・アスカーニエン)


 こちらは皇帝の右腕にしては身分が低めである。

 護衛騎士は身分が高過ぎるし、能力主義と耳にしたのも本当らしい。


「それに、“選ばれし者”を待つなどと広まっていては、ここに放置しておくわけにもいくまい」


 エレノアは彼女を見下ろす男の顔に意識を戻す。

 少し迷って、彼女の目論見通りに、“魔法仕掛け”と“選ばれし者”の部分に食いついたらしい男の言葉に便乗することにした。

 封印されていた間、肉体は時を止めていただけ。衰弱してはいない。

 エレノアは腹筋を使って、真っ直ぐ機械的な動きで上半身を起こす。

 彼女の動きに合わせるように、前屈みになっていた姿勢を男は戻した。


「――オマエ、礼ヲ言ウワ」


 封印を解いてくれた男へ目をやって、エレノアが言い放った最初の言葉が妙に片言めいた響きになってしまったのはわざとそうしたわけではなかった。

 慣れない他者の魔力に触れた口の中が少し痺れているのと、流石に百八十年も凍結されていては封印解除されても、肉体のこわばりまですぐ解けるわけではなかったためだ。

 しかし、エレノアとしては失態と思ったそんな様子は、却って彼女を人ではなさそうなものと彼等に印象づけることに成功したらしい。


「成程、魔力を与えた相手を認めるらしい。たしかに精巧な、魔法仕掛けの……そうだな人形・・のようなものか?」


 言葉と同時に、ふっと黒い眼差しが細められた。

 なにか嫌な微笑だ。

 エレノアがそう思ったとほぼ同時に、彼の指にくいっと顎先を持ち上げられた。


(なに? ――っ!?)


 防ぐ間もなく再び重なった唇とぬるりと入り込んできた舌……なにより奪った時の比ではない、とんでもなく強い魔力を注ぎ込まれてエレノアは頭が真っ白になる。

 ンッ……と、彼女の喉の奥から声がこぼれる。

 その艶めいた声音と、どこからどう見ても濃厚な口付けをねっとりと交わす美男美女の姿に、側近二人は狼狽した様子で後ろを向いて無言になる。

 廃城の広間に、なんとも居た堪れない微妙な沈黙の空気が流れた。


「んんっ……っっ!!」

「――ふん、所有者は私と覚えたか」


 この恥知らずと、エレノアが腕を振り上げる前に掴まれる。

 男はまるで平然としていて、思い直したエレノアは腕を動かそうとしたのを止めた。


(試されている)


 せっかく釣り上げた魚を逃すことになりかねない。

 それにここで無様な動揺を見せれば高貴なる令嬢の名折れだと、顔色表情ひとつ変えないようエレノアは己を抑え込む。

 案の定、エレノアを眺めていた黒い双眸が不意に至極つまらなそうに外れたのを見て、やはりと彼女は思った。


「へ、陛下っ……なんてことをっ」

令嬢・・ならともかく、人形なら問題ないだろ。連れ帰る」

「なぁっ!」

 

 言うが早いか、男に腰から抱えられ、左肩に腹部をうつ伏せに雑穀袋でも担ぐように持ち上げられて、エレノアは思わず変な声が出た。


「おいおいおい、“それっ”……本当に問題ないのか?」

「陛下! ノベルト殿も言う通り、“それ”はどう見ても」

「……それ・・?」


(お前達、わたくしを誰だと思っているの?)


 担がれ、男の背中に逆さに顔を伏せていた首を回して、エレノアはぎらりと側近二人を睨め付ける。

 威圧した彼女に、眼鏡も護衛騎士も揃って、「いっ……!」と声をあげ顔を引き攣らせたのを見て、彼女はふんっと小さく鼻を鳴らした。

 それよりも失礼なのは、エレノアを担いでいるこの男である。


「そうだな――急に生きものめいてきたようだ。やはり最初のあれでは魔力が足りなかったらしい」


 足を軽くばたつかせようとしたエレノアに苦笑の声を漏らした男の背に、彼女はさっきあれこれと考えを巡らせていたことも忘れて声を上げる。


「なんなのお前はっ!」

「……所有者への態度ではないな。どうやらただ魔力を与えるだけでなく、それなりに調整・・も必要らしい」

「はぁっ!?」


 呆然としている側近二人を置いて、来た経路を逆にずんずんと進む男にぞんざいに運ばれながら、エレノアは胃が熱くなるほど腹が立った。

 皇帝かなにか知らないけれど、なんて傍若無人な男なのと、エレノアは廊下の壁にまで侵食している荊の蔓を苛立ち任せに彼に差し向けようとした。が、動かしかけたところで弾かれたように蔓の先が砕け散る。


(この男……)


 運ばれながら、エレノアはひとまず大人しくすることを選んだ。

 どのみちこの男に宮殿へ連れていくよう仕向けるつもりだったのだから、男はエレノアの思う通りに動いている。

 

(お前は自分の意志でわたくしを扱っていると思っているかもしれないけれど、そうではなくてよ)


 多少の細かな思惑違いは、この際だ、目を瞑ってあげることにして。

 こうしてエレノアはローズィユ帝国第十三代皇帝ハインリヒ・ノトルガウに持ち帰られた。

 “魔法仕掛けの人形”として。

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