6 目覚めた悪役令嬢が帝権の象徴になるまで(4)

「まあいいでしょう」


 鏡に映った自分の姿を見て、エレノアはそう言って耳元を飾る大粒の石を揺らした。薄青い氷の粒のような貴石が銀髪の艶を透して輝く。

 

「それにしても……これほどろくな衣装がないのも珍しくてよ」


 エレノアは彼女の背後に控える、さして歳の頃は変わらない若い侍女達三人に向かって鏡越しに言って、胸の下で腕を組む。

 深い葡萄色の絹のドレスの開いた襟元から、透けるように白い胸元の膨らみが強調され、後髪の上半分を編んで結い上げた髪から垣間見える首筋に侍女達はどきりとする。


「最近は、こういったのが流行りなの?」


 露出が過ぎるのではないかしらと、己の着ているドレスに目を細めたエレノアに、彼女から衣装選びを命じられたネリーが、はいと控えめに答える。


「よくお似合いですっ」

「当然でしょ。わたくしを誰だと思っているの」

「……はあ」


 エレノアを褒めた彼女の髪を編んだイリスは、彼女が返した言葉に虚ろな相槌を打った。

 侍女達は口にこそ出さないが、思っていることはほぼ同じであった。

 このお嬢様……と言っていいものか、なにしろ彼女は生きた人間のように見えても主君の話では魔法で動いてる人形であるらしい。

 そのためなのかまるで全世界の人間が自分のことを知っているように振る舞う。なんとも高慢極まりない。しかし。


(((なんだか納得させられてしまう……)))


 腰まで届く長く艶やかな銀髪。

 陶器のように滑らかで白い肌、深く濃い紫色の瞳、蠱惑的な赤い唇の美貌。

 豊満かつ華奢な体つきに、玲瓏たる声。

 なによりも指先のほんの些細な仕草までも優雅でいて、女王の如き堂々としたその雰囲気――たしかに、こんな完璧なまでの美しさとまだ若い娘といっていい年頃の女性にあるまじき雰囲気は人間離れしている。

 

「まあでもお前達、頭は虚そうだけどなかなか腕はいいわ」

「え」


 湯浴みの世話をしたコリーナが反応すれば、エレノアはくるりと彼女達を振り返って、呆れたような冷めた眼差しで無数のドレスや小物が散らばった部屋の床を見下ろす。


「本当に、これだけ衣装を運んできて目に叶うものがかろうじてこのドレスだけってどういうことよ……」


 とにかく色味がけばけばしい。刺繍やレースの取り合わせもわざとよく見せないようにしてるのではないかしらとエレノアが思えるようなものばかりである。

 ネリー曰く、彼女に合いそうなものを選んで持ってきたというから、これ以外はもっと酷いのだろう。もはや見る気も起こらない。

 いま彼女が着ているドレスは、少し古いものであるようだが流行は巡るものなので、いまの型に近いものとなっているらしい。

 深く濃い葡萄色のドレスは着る者によっては、品のない感じになる場合もあるが、彼女の容姿と女王然とした雰囲気に合っていた。

 彼女のために作られたものではないかと思えるほどである。腰や胸元を編み上げたリボンで調節できるものであるため寸法もそれなりに合い、借り物のような違和感はない。


「……本当に、行かれるのですか?」


 部屋の隅から話しかけてきた初老の侍従長のオズヴァルトに、エレノアはその髪も眉も白いものが混じる顔を見た。

「心配だ」と紙に書いて貼り付けたような表情をしている。


「行くわよ。お前に娘がデビュタントに出る父親のような顔をされる筋合いはないのだけれど?」

「しかし、今宵の小離宮の主催はケストリッツ伯爵でして……」

「それが今宵、最も立派な浮かれ者なのでしょう?」

「少々、立派過ぎると申しますか」


 たしかに、ここは皇帝がおわします帝都の宮殿である。

 皇族でもないのにその小離宮を使って、夜会を主催するなど大層ご立派な浮かれ者であるのは間違いない。

 

(たしかに、たかが伯爵にしてはご立派ではあるわね)

  

 エレノアはオズヴァルトにため息を吐き、侍女三人へ目をやってドレスが散乱する部屋を片付けろと視線で指示した。いちいち命じなければ彼女達は動けないのだろうかと思いながら肩をすくめて、再び歯切れの悪い侍従長との会話に戻る。


「まどろっこしい会話は好きではないの。何者なの」

「教皇ベネディクト様のご子息で、治癒魔法が使える帝国で有名な好事家です。父君が教皇選で選ばれたのは、ご子息の力あってのものとか」


 オズヴァルトの話に、エレノアが思ったことは二つ。

 まだ、教皇なんてものは残っていたのかということ。

 治癒魔法なんてものまで、もてはやされるほどになっているのかということ。


「治癒魔法……? 中位の神官なら必須のようなものじゃない」

「生きてさえいればどんな怪我も治し、病気の回復も助けるとか」


 そこまで強力なものならわからないでもない。治癒魔法といえばちょっとした怪我を癒すようなものがほとんどだ。骨折など重症のものを治すなら何日かかけて癒す。

 生きてさえいればどんな怪我や病気でも治すというのなら、いくらでも金を払うという者もいるだろう。

 

「どうせ高額な治療費と引き換えにでしょう」


 ふんっ、とエレノアが肩にかかる後ろ髪を払えば、オズヴァルトは控えめな相槌で肯定した。


「ご子息はまだお若い方なのですが、教皇は聖職者と教皇領を管理する立場ですから家督を譲られたのです」

「好き勝手できるようになった放蕩息子が、うなるほど持っているお金で羽目を外しているわけね。面白そうじゃないの」

 

(あの無礼で無愛想な男より、そちらのほうがいいかも……)


 教会権力は、古くから王権とも貴族社会とも一線を引く、教皇を頂点とする単一の組織でその力は皇帝であっても無視はできないはずだ。


(皇帝だというあの男の立場がどんなものか確認がてら、乗り換え先を探すのも悪くないかもね)


 それはいいとして、と侍女達が片付けに抱える衣装を横目に肩をすくめた。

 探るにしたってそれなりの仕度がいる。

 いま着ているドレスを毎日洗って着るわけにもいかないし、普段着や室内着だっている。衣装部屋にある衣装とやらをあてにする気はもはやエレノアには微塵もない。


「ですがお嬢様っ、せめて陛下に……」

「お前、どうしてわたくしが、ただわたくしを復活させただけの男に遠慮しなくてはならないの」

「なっ……そんな」


 絶句したオズヴァルトは無視して、エレノアはマルゴットに付き添いを頼んだ。淑女が侍女の一人もつけずに歩きまわるなどありえない。


「それから……ブリギッテ」


 侍女長に声をかけ、エレノアは部屋を片付けている侍女達を顎先で示した。 


「商会と仕立屋を明日来させなさい。祭りの仮装に使うのじゃなく、淑女が昼と夜に着るものや身の回りのものが必要ときちんと伝えるのよ」

「……かしこまりました」


 これでよしと、エレノアはずんずんと部屋の出入口へと向かい扉を開けさせる。

 扉が開いた左側に立っていた、青年をみて、お前と声をかける。


「護衛としてきなさい」

「えっ、はっ? そのっ……私はまだそんな……」

「ああ、心配しなくても飾りでいいのよ。淑女が護衛の一人もつけないないなんて格好がつかないでしょ」

「いや飾りって、この宮殿は陛下の味方ばかりではございません」


 扉の右側にいた、おそらく先輩騎士らしい男の言葉に煩いとばかりにエレノアは顔の前に持ち上げた手を振った。


「ご心配は結構よ、魔獣退治の任に就く騎士よりわたくし強いもの」


 ふふんっと、蠱惑的な口元を笑みに釣り上げてエレノアは行くわよと声を張った。

 

 

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封印された悪役令嬢は魔法仕掛けの人形として皇帝陛下にお持ち帰りされました ミダ ワタル @Mida_Wataru

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