『Hello, This is Yu-Rei』

pocket12 / ポケット12

こちらユウレイ、対話を求む

 生前の話なんだけどさ、僕の名前を聞くと、たいていの人はおもしろい顔をしたものなんだよ。つまりは、それが平凡すぎる名前だって思ったときの顔をね。


 でも残念ながら本当に平凡な名前なんだな、これが。日本じゅうに一万人はいるんじゃないのかな?


 僕もひとり会ったことがあるんだけど、実に平凡な男だったよ。なにしろ何の特徴もないんだ。一歩でも離れると忘れてしまいそうな顔に、ハエが飛ぶようなつまらない話を延々と繰り返すんだから。きっと名前に引っ張られるんだろうね。言霊ことだまってヤツさ。


 でもまあ、生前の話だからさ、今はそんな顔を見ることもないんだけどね。そりゃあ少しは寂しいけど、仕方ないよ、僕は死んでしまったんだから。


 わかってる。じゃあなぜこんなふうに喋ることができるのかってキミは言いたいんだろ? もちろん理由があるよ。相応の理由がね。


 でも、それには僕の死んだ理由から話さないといけないんだ。長くはないけど、短くもない話をね。


 僕が生まれたのは普通の家庭だったんだ。両親の仲が悪いとか、お金に苦労していたとかでもない、本当に普通の家庭で僕は育った。普通に学校に行き、普通に友だちと遊んで、普通に恋もした。まあ、とりとめもない人生さ。きっと世界中で一億人はおなじような人生を送っているはずだよ。たぶんね。


 でも普通すぎたんだな、やっぱり。だから僕はあのときヒーローになろうとしてしまった。分不相応にもね。そのことに後悔はしてないけど、ガッカリはしてるよ。結局僕にはどうすることもできなかったんだからさ。


 まあともかく僕はそんな平凡な毎日を過ごしていたんだ。大学を卒業した後はそれなりの会社に就職して、それなりの給料を貰って、それなりの生活を送ってきた。それなりに楽しんでもいたよ、もちろん。平凡だからって人生が楽しくなくなるわけじゃないからね。


 だからその日の朝もいつものように電車を待っていたんだ。六時起きの寝ぼけまなここすりながら、会社に行くための電車をね。社員よりもゴルフの方が大事な社長がやってる会社だったんだけど、就職して五年が経っていたし、小さな会社だったからさ、居心地は悪くなかったんだよ。


 それでまあ電車が来るのをホームで待っていたんだけど、ほら、駅のホームって点字ブロックがあるだろう? そう、あの黄色いヤツさ。あそこに女の子が立っていたんだよ、なんだか思いつめた表情を浮かべてさ。


 もちろん不思議に思ったよ。普通あんな場所で電車を待つことなんてないからね。大抵はドアが来る前に列になって待つか、ベンチに座って待つか、僕みたいに壁に寄りかかって待つかしかない。


 でも彼女は点字ブロックの上に立っていた。普通ならその場所に立つのは躊躇ちゅうちょするはずなんだけど、そんなことは気にした素振りも見せずに彼女は立っていたんだ。


 どうしてそんな所にってじっと考えていたんだけどさ、ふいにぴんときたんだ。


 ——ああ、飛び込むつもりなんだってね。


 きっと周りのみんなも薄々気がついていたと思うんだけど、ちらちらと物珍しげな視線をやるだけで足早にその場を去っていくだけなんだ。誰も声をかけようとはしない。


 まあ、けど当然だよ。誰だって知らない女の子に、それも見るからに学生の女の子に声を掛けたくはないものさ。とくにいまの世の中じゃあね。


 知ってるかい? 最近じゃあ公園で父親が子どもと遊んでるだけで警察を呼ばれるんだよ。信じられないかもしれないけど、これがホントなんだ。だから今の時代、女の子に声をかけるなんてのはさ、正義漢をきどったヤツか、自分をイケメンだと信じている人間にしかできないんだな。


 僕はどっちでもなかったからさ、ただ見ていたんだ。壁にもたれかかって携帯——僕はスマホなんて言い方は好きじゃないんだ——を見るフリをしながら、じっと彼女の様子をうかがっていたんだよ。


 そのうちに駅員のアナウンスが聞こえてきた。もうすぐ電車がやってきます。白線の内側をご通行ください。僕は携帯をポケットにしまって彼女の動向に注意を払うことにした。


 そしたらさ、案の定、その子は飛び込んだんだ。電車がやってくる間際に、線路の中にね。悲鳴があがったと思うよ。でも僕の耳には聞こえなかった。なぜかって? 僕も線路に飛び込んだからさ。


 ——もちろん助けるためだよ。僕には自殺する気なんてさらさらなかったからね。


 さっきまで無関心を決めていたくせになぜってキミは思ってるかもしれないけどさ、どうしようもないよね、身体が動いてしまったんだから。


 別に正義感に溢れていたわけじゃないんだけど、やっぱり普通で平凡な人生を送ってきた弊害なんだろうね。刺激を求めていたってことなんだと思う、後から考えればさ。


 でも勝算がなかったわけじゃないんだ。実際、頭の中では少女をかかえてホームの下の隙間に華麗に潜り込む映像が流れていたんだよ。


 でもダメだった。人間、そんなふうにできるわけがないんだ。ましてや僕のような平凡を絵に描いたような男がさ、コ◯ンくんやジェームズ・◯ンドの真似事をしたって上手くいくはずがないんだな。


 それでも女の子だけはって思ったんだろうね。ありったけの力を込めて女の子を抱えて放り投げたんだ。火事場の馬鹿力ってヤツさ。


 僕もなんとかして飛ぼうとしたんだけどね、間に合わなかったよ。衝撃を感じるひまもなく僕の意識はブラック・アウト。死の間際には走馬灯が流れるなんていうけど、アレは嘘だったね。ああ、僕は死ぬんだとか、もっと楽しんで生きるんだったなとか、女の子は助かったのかなとか、そんなことは何ひとつ思い浮かびやしないんだ。後から思い出そうとしてみても、電車が僕の身体にぶつかった後は、暗幕を引かれたみたいに何も見えなくなってしまう。


 ゲームオーバー。ジ・エンド。エス先生の次回作にご期待ください……。


 とまあ冗談はさておき、普通だったらそれで僕の人生は終わりのはずだったんだけど、神様があわれに思ったんだろうね。僕は意識を取り戻したんだ。


 だけどそこは病院のベッドの上じゃなかった。びっくりしたよ、起きたら目の前に雲があったんだから。


 はじめは夢だと思ったさ、もちろん。頬をつねっても痛くもかゆくもなかったからね。だけど一向に覚める気配がない。


 そのうちに怖くなってきた。


 いったい僕はどうしてしまったんだって、クラゲのように空中を漂いながらずっと考えていたよ。


 でもまあ、いくら考えたところで結論は一つしかなかったんだ。幸いにして記憶は残っていたからね。——うん、つまりはそういうことなんだ。僕は死んで、幽霊になった。シンプルな話さ。幽霊というヤツが実際に存在していたんだっていう驚きは別にしてね。


 まったく神様もイジワルだよ。どうせなら生きたまま助けてくれたらよかったんだからさ。こんな身体じゃ生殺しもいいところだよ、ホントに。


 でも実際のところ、悪いことばかりじゃないよ。結構便利なんだ、幽霊の身体ってヤツもさ。なにしろほら、生きていないんだからね。生命維持に必要な全てのことが不要になったんだよ。食事や睡眠といった面倒な要素がさ。


 それになによりも僕が便利に思っているのが、実体を持たないということなんだ。


 どこにでも入りたい放題さ。映画館や動物園、水族館に植物園。ライブや劇なんて舞台裏まで見られるんだからね。出演者の裏の顔を見て幻滅したり、逆に意外な一面を見て興奮したりさ、色々なことがあったよ。


 口にするのもはばかられるようなこともしたよ、もちろん。僕も男だからね。でもすぐにやめたんだ。理由はまあ、言わなくてもわかるだろう? もしわからないっていうならヒントをあげるよ。つまりはブタに真珠は必要ないってことさ。


 しばらくはずっと映画を観続けたよ。動物や植物を何度も見たってどうしようもないし、他にやることもないからさ。


 でも映画ってのはどれも一緒なんだよ、基本的には。明るくなって、暗くなって、また明るくなる。そりゃあテーマの違いはあるんだろうけどさ、僕にはサッパリわからないんだな。


 そのうちに気づいたんだよ。この身体じゃあろくな娯楽がないってことに。ゲームもできないし、本だってよめない。テレビは見れたけど、主導権はあっちにあるからさ。いつだって好きなものが見られないのは辛いよ、やっぱり。


 結局僕には映画を観るか、芝居を観るか、他人のセッ◯スを覗きみるかしかなかったんだな。


 次第に僕は人間性をなくしちゃってさ、一日じゅうほこりみたいにちゅうを漂っている日もあったよ。まあ、それも案外気持ちの良いものだったけどね。


 でも退屈だということに変わりはない。


 そんなときさ。彼女を見かけたのは。


 彼女というのは、つまり僕が助けた女の子のことなんだけど、その子のことを偶然見かけたんだよ。


 驚いたね。生きてたんだとか、良かったとかよりも先に驚いたんだ。なにをそんなに驚いたって、彼女は歩道橋の真ん中あたりに立ってさ、欄干らんかんを越えようとしてたんだよ。


 そんなみじめなことってあるかい? 命と引き換えに助けた女の子がまた自◯しようっていうんだ。侮辱ぶじょくされた気がしたよ。いくら平凡な名前の僕だと言っても、許されることじゃない。


 怒鳴りつけたよ。彼女のそばでさ。何やってんだ! 僕の犠牲を無駄にするつもりか! って。


 でももちろん聞こえやしないんだ。幽霊ってヤツはそこが不便だね。僕らの言葉は霊媒師にしか届かないんだから。


 とうとう彼女は欄干のうえに立ち上がった。風に揺れる髪を払おうともせずに、彼女はじっと地面だけを見つめていた。


 見過ごすわけにも行かなかったからさ、せめてもの情けとして僕は腕を伸ばしたんだ。他人にれられない以上、どうしようもないって思いながらもね。


 しかしどうだい、僕の手は彼女の腕を掴んだんだよ。僕は慌てて彼女を欄干から下ろすように引っ張った。尻もちをついた彼女はとても驚いていたけど、僕ほどではなかったはずだよ。


 さわれた、触れた、触れたんだ!


 だけどそれは奇跡だったみたいでさ、それから何度れようとしても彼女の身体には触れられなかったんだ。元通りすり抜けるだけ。奇跡は二度と起きなかった。


 ガッカリしたね。とてもガッカリしたんだ。キミにはまだ想像もできないと思うけど、僕は本当にガッカリしたんだ。


 神を呪ったよ。幽霊になったとき以上にね。だいたい少しの希望をちらつかせるのがいちばんタチが悪いんだ。男がいるくせに僕みたいな人間にも優しくする女みたいなものでね、僕の心を折るには十分すぎる仕打ちだったんだ。


 気がついたら彼女はいなくなっていたよ。僕が絶望に打ちひしがれているうちにね。もしかしてと思ってすぐに地面を見たけど、幸い飛び降りるのはやめたみたいだった。しばらく彼女の姿を探してみたけど、結局見つけられなかったからさ、僕は諦めて元の退屈な生活に戻っていったんだ。


 だけどそれからどれくらい経った頃だったかな、また彼女を見かけたんだよ。ビルの屋上から飛び降りようとしている彼女をね。


 呆れたよ。僕はもう放っておこうって思ったんだ。そんなに死にたいなら死ねばいい。そして幽霊になればいいんだ。そうすれば自分の選択がいかに愚かだったかがわかるはずさ。


 でも彼女がたたずんでいるのを見ているうちにさ、だんだんと苛立ってきたんだ。そして僕の苛立ちが決定的になることが起こった。


 ——笑ったんだよ、彼女。まさに飛び降りようとする間際に。これで苦しみから解放されると思っているみたいに。限界だったね。


 今度はそんなに興奮しなかったんだ。なんだかそうなる予感がしたんだよ。つまり、自◯しようとする彼女になら触れられるはずだって無意識に理解していたってことなんだ。


 涙を流す彼女を見下ろしながら、僕は考えていた。どうして彼女は執拗しつように死のうとするのか。いったい何が彼女をそこまで追い立てるのか。僕は理由を知りたいと思ったんだ。


 僕は彼女の後を付いていくことにした。背後霊ってヤツさ。あながち冗談でもないなってひとりで笑ったよ。僕はもう二度も彼女を救っていたわけだからね。優秀な背後霊っぷりだよ、ホントに。


 とにかく僕は彼女の後を付いていったんだ。そして理解したよ。彼女の抱える闇ってヤツをね。


 彼女は孤児だったんだ。それもとびっきり陰惨な背景を持つね。ハリウッドが放っておかないような人生さ。


 詳しいことははぶくけど、彼女の父親に恨みを持った奴がいてさ、その結果として彼女は両親と妹を失ったんだ。


 明るい性格だったそうだけど、見る影もなかったよ。


 あるいは親族でもいてくれたらよかったのかもしれない。でも残念ながら彼女には他に身寄りがなかった。だけどまあ、考えてみると、親族がいたところで一緒だったかもしれないね。やっぱり扱いに困っただろうからさ、きっと。


 施設に送られた彼女は一日じゅう塞ぎ込んでいたみたいだよ。初めはそんな彼女に周りの人間も同情的で、なんとかして元気づけようとしていたみたいなんだけど、彼女が拒絶を続けるとそのうちに諦めて離れていった。入所していたのは彼女だけじゃなかったし、他に助けを望んでいる人がいる以上、彼女にばかり構っているわけにもいかないからね。


 そんなの無責任じゃないか。仕事としてやっている以上、たとえ拒絶されたとしても面倒を見続けるべきだ、ってキミは思うかもしれないけどさ、それはキミが関係のない立場にいるから言える言葉なんだよ。そんなものはただの理想論で、理想は理想であるからこそ、理想って言うんだ。


 現実の人間っていうのはさ、思っているよりもちっぽけな存在なんだよ。他人を救えるなんて考えるのは烏滸おこがましいことで、結局僕ら平凡な人間には自分ひとりすらも助けられはしないんだ。


 そりゃあなかには完璧超人のような人もいるよ。自分を救った上で、さらに他人にまで手を差し伸べられる菩薩のような人がさ。でも、そんな人は滅多にいないし、たとえ身近にいたとしても、彼らにだって腕は二本しかないわけだからね。救える人数にはどうしたって限りがあるんだ。それに彼らにしても、たくさんの救いを求める腕に視界をさえぎられてしまうからさ、膝を抱えてうずくまっている彼女のような存在は目に入らないんだな。


 だから結局、本当の意味で他人を救うなんてことは誰にもできやしないんだ。もしも誰かに救われたことがあるっていう経験を持っている人がいても、それはただその人自身が救われようとしていたんだって僕は思うよ。


 予定調和ってヤツなんだよ、一種の。救われたい人を救うということはね。払う労力が少なくて済むから僕ら凡人にもなんとかできるし、自分を頼ってくれるのがわかるから自尊心も満たされるしね。


 だけど救われることを拒絶する人を救うということはさ、おおかみに育てられた子どもを人間社会に順応させるようなもので、だからこそ、長い時間と労力を掛けてしっかりとやっていく必要があるんだ。でも普通はそんなふうに他人に構っていられる余裕はないし、拒絶されるっていうのは傷つくものだからさ、やっぱり。


 そしてそれは施設の人もよくわかっているんだ。


 だから彼女は放って置かれて、それでも施設の入居者である以上、一応は生活の面倒を見なきゃいけないわけだからね。彼女が拒絶を続ける限り、彼らにとって目の痛い厄介者になるだけだった。


「はぁ、まったく……自◯でもしてくれたら楽なんだがな」


 実際に僕も聞いちゃったんだよ。施設の人がこんなふうに言ってるのをね。


 ひどいとは思ったよ。でも僕はそこで働いたことがないからさ、本当のところはわからないんだ。それが本当にひどいことなのかっていうことがね。僕だってそこで働いていれば愚痴のひとつやふたつ言いたくなるかもしれないし、厄介な入居者に対して嫌な陰口を叩いてしまうかもしれない。それは体験してみないと絶対にわからないことなんだ。


 想像力は無限なんて言うけど、僕が思うに、それはプラスの方向に限ったことなんだよ。マイナスの想像力には限界があるんだ。人間、本当にひどいことは想像できやしないんだよ。


 まあとにかく僕が背後霊として見守っている間にも、彼女は何度も自◯を試みるんだ。そのたびに僕は止めたよ。本当に勤勉な背後霊っぷりさ、まったく。


 正直に言うとさ、嫌になったよ。普段はさわれやしないってのに、そんな時だけれられるようになるんだ。気が狂いそうだった。


 だけどいくら防いだって彼女が自◯を止める気配はない。結局、根本的な問題を解決しなければいけなかったんだ。


 でもいったい僕になにができる? 実体を持たない僕に。優しい言葉を掛けることも、そっと抱きしめられもしない僕に。


 なにもできるわけがないんだよ、実際。自◯を止められるのだって奇跡なんだ。そのうえ彼女の抱える問題を解決できるようになれば、それこそ神のおぼしってヤツだろ?


 でもどうやら本当にそうだったらしいんだよ、これが。


 ある時僕は気づいたんだ。


 彼女に言葉を伝えたいと思ったときにだけペンを持てるってことに。


 どんなご都合主義な力だって笑ったけど、こんな姿になったことだってとんでもないデタラメなんだ。今更なんの不思議もないよね。


 僕は彼女の目の前で文字を綴ってみた。


『Hello, This is Yu-Rei.』


 どうして英語なんだって僕もおもうけど、その時はそれが一番いいとおもったんだよ。でも幽霊の英語がどうしても思い出せなかったからさ、ローマ字で名前みたいに書いたんだ。あとから考えると『Ghost』だってわかるんだけど、その時にはどうしても思い出せなかったんだ。でも間違ってなかった。


 彼女は目を見開いて文字を見つめていた。そしてきょろきょろと部屋の中を見渡したんだ。良しって思ったね。すかさず僕は文字を書いていった。もちろん、今度は日本語でね。


『こちらユウレイ。対話を求む』


 まったくいい加減にしてほしいよ。僕の性格ってヤツは面倒くさいんだ。きっと名付けられたときから決まってるんだね。なんだってそんな言葉遣いをしたんだか。もっと普通の書き方はできなかったのかなって。


 でも幸いにも彼女は興味を示してくれて、隣に文字を綴ったんだ。


『What your name?』

『あなたはだれ?』


 律儀にも英語と日本語でね。僕は思わず微笑んだよ。そりゃそうさ。誰だってそんなふうに書いてみたくなるものだ。でも僕は既にその答えを書いていたから、もう一度おなじ返答をしたんだよ。


『こちらユウレイ。対話を求む』


 彼女は眉をひそめていたよ。当たり前だよね。ユウレイってなんなのさって話だし、それに対話を求むって意味がわからない。彼女の優しさに感謝した方がいいね、僕は。こんな面倒な奴に付き合ってくれたんだからさ。


『ユウレイってなに?』


 今度は彼女も日本語だけだった。僕も日本語で答えた。


『死んだ人間が成るもの』


 僕としてはね、軽いジョークのつもりだったんだ。意味がわからないってツッコまれるって思った。でもあろうことか泣き出したんだ、彼女。すすり泣くんじゃなくて、声を出してさ。僕はわけもわからず彼女の泣き続ける様を見守っていたよ。


 彼女が落ち着いたのを見計らって僕は文字を綴った。


『理由を知りたい。キミが泣いた理由を』


 彼女は目元を拭って答えた。ペンを持たずに、掠れた、けれど自分の声でね。


「……死んだ人間がユウレイになるのなら、わたしの家族も、ユウレイになったってことでしょ?」


 もちろん否定することもできたよ。実際のところ、僕は僕以外の幽霊に会ったことがなかったわけだからね。でも僕のペンは動かなかった。


 それからも彼女は自分の意志を言葉で伝えてきた。僕はそのたびに文字を走らせていったんだ。もちろん、彼女が傷つかないように細心の注意を払ってね。


「……わたしもなりたいな、ユウレイに」

『やめておいた方がいい。つらいだけだから』

「そうなの?」

『かなりね。この世界を永久にさまようハメになるよ』

「そっか。それは嫌だね」

『なら、精一杯生きるといいよ』

「……うん、そうだね」


 そうして彼女はベッドに潜り込んでいったよ。安らかな寝顔だったな。


 翌日の朝、彼女は死んだよ。僕が目を離した数分の隙に窓から飛び降りたんだ。あっけないものさ、人が死ぬっていうのは。


 なんだかずいぶん驚いた顔をしているね。いや、もしかすると、アレかな? キミはこの話がハッピーエンドに終わると思っていたのかもしれないな。


 でも違うんだ。この世のたいていの物事はハッピーエンドで終わることのほうが珍しくて、だからこの世にはハッピエンドで終わる物語が溢れてるんだよ。だれだって物語の中でぐらい気持ちのいい思いをしたいからね。僕もそうさ、もちろん。


 だけどここは現実だからね、仕方ないよ。僕にはどうすることもできなかったんだ。彼女は死にたがってたし、彼女を止めようとする人間は誰もいなかった。つまりはそういうことなんだ。シンプルなことなんだよ。


 後始末は簡単に終わったよ。遺体を発見した職員の誰かが形式的な悲鳴をあげて、救急車と警察がやってきて、彼女だったモノを運んでいった。それで終わりさ。


 簡単な事情聴取を終えた後はみんなほっとしたような顔でさ。正直よかった、もうこれで面倒なことはなくなる、なんて話したりしてさ。


 むかついたよ。でも僕にはどうすることもできないんだ。殴れもしないし、罵倒することもできない。幽霊っていうのは無力すぎる存在なんだよ。


 彼らの顔を見ているとイライラするし、一秒だっておなじ場所にいたくなかった。でも僕には行くあてもないからさ、仕方がないから部屋に行ったんだ。彼女が寝泊まりしていた部屋にね。


 それまでにも何度か入ったことはあったけど、やっぱり何もない部屋だって思ったよ。本当に何もない部屋だった。ベッドとテーブル以外の物がなくて、まるで独房みたいだった。


 しばらくぼんやりと部屋のなかを見つめていたんだけどさ、ふいにテーブルの上に何かが置いてあることに気づいたんだ。近づいてそれが日記だってわかった僕は、知らず身体が震えていくのを感じたよ。


 それを読んではいけない。もし読んでしまうと、お前は後悔する。だから止めるんだ、それを見てはいけない。


 心はそう叫ぶんだけど、やっぱり見ないわけにはいかないんだよ。


 ずいぶんくたびれてしまった、おそらくは七年まえで止まってしまった日記。何度も開かれたのが分かるくらいにヘタれていたページ。開かれたまま放置されていたそのページに僕は目を通してみた。


 八月二日(金) はれ

 きょうはママがたくさんあそんでくれた!

 あしたはパパもお休みだから公えんにつれて行ってくれるって。

 とってもたのしみ。アオイもうれしそうにしてる。

 きょうは早くねようっと!


 彼女がなぜ自◯を選んだのか。僕には想像することしかできないけど、たぶん本当に限界だったんじゃないかな。でもさっきも言ったように僕は想像力を信じていないから、やっぱりそれはただの想像でしかないんだ。本当のところは彼女にしかわからないし、あるいは彼女にだってもうわからなかったのかもしれない。


 でもそれはあまりにも悲しい選択だって思ったよ。あったかもしれない未来の可能性を閉ざしてしまったわけだからね。


 もっと何かできたんじゃないか。自問自答するけど、結局僕にはどうすることもできなかったって思うんだ。幽霊だからって理由じゃなくて、ただ遅すぎたんだよ。彼女と出会うのが遅すぎた。ただそれだけの理由で、だけど結局はそれが理由で僕は彼女を助けられなかったってわけさ。まったく世知辛いよね。


 それから数え切れないくらいの時間が過ぎていったよ。僕にはもう思い出すことすらできない時間がね。


 たくさんの出来事があった気もするし、たくさんの声を聞いた気もする。


 いずれにしろ、とても長い長い時間が流れて。


 ——キミと出会ったんだ。


 思い出したかい?


 ならよかった。そのために僕はキミと話していたんだからさ。


 どうだい? 幽霊になった感想はさ?


 キミはもう自◯もできないし、だれかからいらない子扱いされることもない。もちろんだれかに優しい言葉を掛けてもらったり、優しくきしめてもらうこともできないけどね。


 これから先、キミはずっと永遠にさまよい続けるんだ。この退屈な世界を、神様の気が変わらない限りはね。


 だからさ、ゆっくり見届けようよ、僕と一緒に。この世界の結末ってヤツを。いずれ太陽に呑み込まれて消えてしまうまでの、バッドエンドの決まった世界の行く末を。


 案外楽しいと思うよ。映画を見て、舞台裏に幻滅して、他人のセッ◯スを覗くんだ。


 そしてキミみたいな自殺志願者を見つけたらそれを防いでさ、それでもまだりずに自殺しようっていうんなら、


 こう書くんだ。


『Hello, This is Yu-Rei. Welcome to The Fxxking World!』ってさ。


 どうかな、結構楽しくなりそうじゃないかい?



(了)

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