10 Typhoon 2
「東京支所の助手っていったらあれだよな。先月、お中元にビール一箱持ってきた奴」
「
「いや、ない。でも、
「東京支所から助手が来たときはいつも一哉の機嫌が悪いから、一哉が黙っててもわかるよな」
「でも昨日も一昨日も、一哉はいつもと同じだったよな」
「あのゴリマッチョの歓迎会を来週するって言ってた」
アイ探偵事務所の動向は、ハウスメイトである一哉の言動からあるていど推察できた。
アイ探偵事務所は、以前から
「京都の事件になんで東京の助手が
「わからない」
723は困惑した様子で首を横に振った。
「一哉が、東京の助手が
「だろうね。東京支所の助手は一哉の天敵みたいなものだから、一哉はそいつの顔を見ただけで不機嫌になるよ」
優雅と風雅は首を傾げながら意見を述べる。
「東京の奴が、勝手になにか調べてるってことか?」
「勝手に動いているのかどうかはわからない。京都の助手と顔を合わせると面倒だから京都の事務所に顔を出していないだけで、探偵からなんらかの指示が出ている可能性は高い」
「探偵から――」
10008メンバーの誰一人として、アイ探偵事務所の探偵の姿を見た者はいない。
以前、風雅が世間話のついでを装って一哉に「探偵ってどんな人?」と聞いたところ、一哉はしばらく考えてから「理想の上司」という曖昧な返事をしたので、よくわからないままだ。
「アイ探偵事務所そのものが、どういう活動をしているのかよくわからないんだよ。事務所は京都の他に東京と山口にある。それぞれの事務所に所長または事務員と助手が一人か二人。京都はこれまで助手はひとりだったけれど、元刑事が加わってふたりになった。探偵業が儲かっているかどうかはわからないけれど、それなりに依頼はあるらしい。あと眉唾物だけど、都警察の諮問探偵だって噂もある。都内の事故や事件で未解決のものは、被害者家族がアイ探偵事務所に相談に行ってから警察が動いたってこともザラだ」
「それでも、これまでアイ探偵事務所が直接僕たちの依頼人に接触したことはなかったよね?」
723の話を遮って877が尋ねる。
「なかった。これが初めてだ」
「妙だね」
877はため息をついた。
「オレは、元刑事って助手がアイ探偵事務所に入ってから、探偵たちの動きが変わっているように感じる」
風雅はこれまで黙っていた違和感を口にした。
「
「あ、そういえばきびだんごのお土産貰ったな」
優雅は食べた物に関しては細かく記憶している。
風雅は「ほぼぜんぶひとりで食べたよな」と相手を睨んだが、優雅は涼しい顔をしていた。
「岡山って、春の備中松山城のやつ?」
「多分。山城に行ったって言ってたし」
「あそこの展望台まで行くの、大変だったよなー」
インドアの優雅と風雅は、いくら仕事とはいえ夜明け前から備中松山城が雲海に包まれる景色を写真撮影に行くという標的を追って、三月末の暗い山道を歩く羽目になったのだ。
仕事を終えて京都に戻ってきたときには、二人とも筋肉痛になっていた。
学生時代は運動部だった一哉は、探偵助手となったいまでも毎日自転車で走り回ったり徒歩で調査に出向いているので、山城や展望台を往復するくらいたいしたことではなかったようだが、歩き慣れない山道をしかも明け方の暗い中で歩いた優雅と風雅には大仕事だった。
他に殺害場所はなかったのか、と帰ってきてから
「東京支所のチャラい助手が依頼人とどんな話をしたかまではわからないが、10008の依頼人として特定されていたと考えてほぼ間違いないはずだ。助手が接触して依頼人になんらかの揺さぶりをかけたことで、依頼人は動揺していつものストレス発散のための行動である万引きをおこなったと推察される。ただ、その万引きで
「それは、ゴリマッチョがしたってこと?」
「誰がしたのかはわからない。探偵なのか、京都の助手なのか、東京の助手なのか」
アイ探偵事務所の京都事務所に普段出入りしているのは現在三名だ。
そのうちの一人は事務員で、探偵事務所を訪れる依頼人とのやりとりはほとんど彼がしているらしい。
助手である一哉は探偵の指示による調査が専門だ。依頼人や容疑者と接触することはこれまでまずなかった。
「あのゴリマッチョが探偵事務所に加わったことがきっかけで、アイ探偵事務所の動きが変わったことはほぼ間違いないと思うよ」
877が宣言すると、優雅と風雅は頷いた。
「ゴリマッチョは元刑事だから身元は明らかだ。
「マジでゴリマッチョじゃん」
元陸上選手だった一哉はほっそりとした体形なので、長身で恰幅が良い小林満の前に立つと完全に隠れるくらいだ。
「アニキでも苦戦しそうだな」
「そんなマッチョに腕を掴まれたら、俺だってひとたまりもない」
部屋の隅で黙って話を聞いていた
彼もそれなりに体格は良いものの、格闘技の経験はない。殴り合いの喧嘩くらいならなんとかなるだろうが、自分よりも大柄な柔道選手が相手でタイマンとなれば勝てる見込みはほとんどない。
「しっかし、なんでそいつは刑事を辞めて探偵助手になんてなったんだ?」
「岩田陸殺害容疑で逮捕された宅配業者の配達員の
「もしかして、怖い話?」
「オレたちにとっては、かなりホラーかもしれない。ひとまず、あの依頼人が10008に岩田殺しを依頼したって自白して高橋吾郎が釈放されたとしても、それでゴリマッチョの溜飲が下がるとは思えないからね。都警察辞めたってことは、四ツ坂マンション転落事件は奴の警察官としての将来をすべて奪ったくらいの事件ってことになるじゃないか。親友を事件に巻き込んだ10008許すまじ、ってなるかもしれない」
「えー? 冤罪で逮捕されたのは警察が馬鹿だったからで、逮捕された人は運が悪かったってことで終わってくれないかな」
「無理だよ。
「――許さない」
「そーゆーこと」
風雅は険しい表情になった優雅を見つめながら「いざとなったら逃げるしかないなぁ」と呟いた。
「小林満、か」
プロジェクターが白い壁に投影している723のパソコンの画面を見ながら、634は小林満の写真を睨んだ。
「なにか気になることがある?」
634がアイ探偵事務所の助手に興味を持つのは珍しいため、877が軽い口調で尋ねる。
「……どこかで見たことがある気がする」
「四ツ坂マンション転落事件の捜査に加わっていたらしいから、四ツ坂レジデンスで聞き込みをしているところを見たんじゃないの?」
「いや。もっと前だ」
「あ、わかった。アニキが前にパクられたときだ!」
優雅が冗談で言うと、634は目を吊り上げた。
「俺は警察の世話になったことなど、一度もない」
「毎日職質されてそうな顔をしてるのにぃ」
「人を見かけで判断するな」
634が優雅を睨むと、877が口を挟んだ。
「人は見かけで判断するものだよ。僕なんか、車椅子に乗ってるってだけで『あの子、かわいそー』とかこそこそ言ってる大人の声がよく聞こえてくるもの。かわいそーってなんだよ。あんたらの頭の中身の方が可哀想だよっていつも思うけどさ。世の中には自分のフツーが世間の普通だって思ってるおめでたい連中が多すぎて困るね」
「はいはい。ひとまずバナナ食べてコーヒー飲んで落ち着こうか。今日のミーティングで重要な議題は、依頼人が逮捕されて依頼料が回収できそうになくなった不測の事態にどう対処するべきかってことと、今後アイ探偵事務所をどのように警戒するかってことだからさ」
723は熱いドリップコーヒーを877用のタンブラーに注ぐと、バナナと一緒にテーブルの上に置いた。
「ゴリマッチョと東京の助手の動きは、要注意だ。特にゴリマッチョは、10008に対して感情的になっている可能性がある。他の助手たちは仕事として10008の動向を探っているだけだろうけど」
877が告げると、他のメンバーは一斉に頷いた。
「小林満……小林……」
小林満の写真を睨み、634は呟く。
「アイ探偵事務所の助手って、みんな小林だよな?」
「助手の採用基準に名字が『小林』であることと、って決まってるとか」
「なんだよ、それ」
笑い合う優雅と風雅を横目に、634は人差し指で眉間を押さえた。
(見かけで判断するわけじゃないが、不愉快な顔だ)
それは、634が小林満を天敵として認識した瞬間だった。
10008(ヨロズヤ)の流儀 紫藤市 @shidoichi
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