第3話 ノブナガ、モンゴル軍を撃退する

 ノブナガはあおむけに転がって斎原さんに撫でられている。

「うわ、やわらかい」

 目尻を下げ、わしゃわしゃ、とお腹をくすぐる斎原さん。

 あ、そこはあぶない。


「ぎゃ」

 ノブナガは斎原さんの手を両方の前足で押え、後ろ足でケリを入れはじめた。

 こいつ、興奮するといつもこうなのだ。

「最初に言っておいてよ」

 斎原さんは、引っ掻かれた手をフーフー吹いている。


「まあ、それくらいならツバをつけておけば治るから。何ならあたしが舐めてあげてもいいけど」

 メガネの奥で斎原さんの目が細くなった。

「君依くんみたいな事を言わないで。結構です」

 おや。がっちゃんめ、斎原さんにそんなセクハラ行為を仕掛けているのか。

「許せんぞ、がっちゃん」

「だからって、女の子同士でもダメです」

 そうなのか、残念。


「次のお客さん、どうぞ……あら」

 店員さんがノブナガに目をやった。

「猫は入店禁止ですよ」


「ノブナガ。出禁って何をやらかしたの」

 まったくもう、ほんとうに困ったやつだ。

「それは単にペット不可なだけでしょ、折木戸さん」

 それはそうか。


「あのう、このネコ。実は織田信長さまなんですけど」

 念のため言ってみる。

「……」

 店員さんの返事はない。ぴくぴく、と頬がかすかに動いているのが怖い。まずいぞ、このままでは、あたしたちまで追い出されてしまう。


「おい蘭丸。ちょっと来い」

 ノブナガに呼ばれ、駐車場に出る。

「お前たち、そこに並んでみよ」

 言われるままにあたしと斎原さんは向き合って並ぶ。


「蘭丸よ、この娘にあってお主に無いものがあるであろう」

 なんだろう。知性かな。

「それは胸じゃ」

 な、なんと。


 ふっ、しかしノブナガ。馬鹿なことを言う。

「よく見てごらん。これが肩で、これがお腹。間にあるのが胸だよ」

「愚か者め。そんな解剖学の話をしているのではない。この娘のように、服を押し上げているものが無い、と言っておるのじゃ」

 ぐ、ぐぬぬ。遠回しに厳しいことを……。


「だから、わしがそこに潜り込む事も可能であろう」

「ああ。映画のナウシカみたいな感じだね」

 たしかに飛行服の胸元から小動物キツネリスを入れていたな。だが、このデブネコ。

「もはや小動物とは言えないと思うんですけど」



「どうかな、斎原さん」

 あたしは巨大化した胸を斎原さんに向けた。

「ふっふっふ。あー、胸が大きくてシャツのボタンが弾け飛びそうだぁ」

 これ一回言ってみたかった。

 中でノブナガがずり落ちないように、片手で服の上から支えなきゃならないから、肩も凝るし。そうか、これがいわゆる巨乳の悩みなのだな。


「一体……何をやっているの折木戸さん」

 意外と視線が冷たい。きっと自分を凌駕されて落ち込んでいるのに違いない。


 ☆


 席に着くと、すぐに黒光りする山型の鉄鍋がコンロに置かれた。なるほど、これがジンギスカン鍋か。

「お肉と野菜、持ってきますね」

 言いながらも店員さんはあたしの胸に目が釘付けだ。何か言いたそうに、店の奥に戻っていった。

「あー、胸が大きいってこんなに注目されるんだね。知らなかったな」


「折木戸さん、襟元からノブナガが顔を出してる」

 なんと。そのせいだったか。


「完全に諦めた表情だったね、あれは」

「胸毛が濃い女だな、って思われたのかも」

「思わないでしょ、茶トラだし。トラ柄のビキニなら有るかもしれないけど」


 それは大皿に載って運ばれてきた。

「おおお、お肉(と野菜)!!」

 驚くほど大量のラム肉が皿を占めている。こんなに食べてもいいのか。


「ええっ、これラムなの」

 斎原さんもテンションが激しく上がっている。

「ラムだっちゃ」


「いやいや、そうじゃなくて。普通あれでしょ、もっと薄切りで」

 ロースハムみたいな丸いやつ。

「あたしもそう思ってた。さっきまで」

 でもこれは。


「分厚い角切りだ」

「ほえー」


「全体に色が変わったら食べられます。くれぐれも焼き過ぎないで下さいね」

「はーい」

 とりあえず鍋に脂を塗って、野菜をのせる。キャベツ、玉ねぎ、ピーマンといったところだ。

「玉ねぎはいらぬぞ」

 ノブナガは顔をひっこめた。


 肉を焼き始めると、いい音と匂いが立ち昇る。

「こりゃたまらん」

「も、もういいかな、折木戸さん」

「落ち着きなさい斎原さん。まだ片面焼けただけだから」

 じゅうじゅう、と全面に焼色をつける。


「もうよいのではないか。わしはもう我慢がならぬぞ」

 シャツのボタンの間からノブナガが手を伸ばしている。やめろ、あたしの胸の谷間が衆目にさらされ……。

「いや。そんなモノ、もともと無いし、見る人もいないけどさ」

「急にしょげて、どうしたの」


「よし、第一弾、焼けました」

「いただきますっ!」


 羊独特の匂いは脂身に多いらしい。その点、ここのお肉は赤身が主体だから、本当に臭みがないのだ。

「うまっ」

「羊なのに」

 さらにはタレがいい味。このタレと肉汁で口の中を満たし、そこに投入する白ご飯。大盛りどんぶり飯がどんどん減っていく。


「折木戸さん、野菜もたべなさいよ。この玉ねぎが甘くておいしいよ」

「わしはいらぬぞ」(ネコにネギ類を与えてはいけません)



「ふはー。食べた」

 さしも強大と思われたモンゴル帝国軍も、最後の肉ひとかけらを残すのみとなった。これは、もちろんこいつに。

「はいノブナガ。あげる」

 ちょっと焼き過ぎになったが、仕方あるまい。


「うむ。よい戦であった」


 ☆


「ところで、何で斎原さんを誘ったの。車を出してもらうためだけ?」

 うちに帰り、窓際で丸くなっているノブナガに訊いてみる。


「なにを言う。やつの能力とはそれではない。かつて日の本を侵略したモンゴル帝国軍を撃退した者の名を知っているか」

「えーと、北条氏だったよね、確か」

 執権がどうとか。


「その者はおおきい胸を持っていたというのだ」

「はあ。だから、斎原さんか」

 まあ、そういう事なら反論はできないけど。



「それは、『おっきいむね』じゃなく『ときむね(時宗)』だよ。北条時宗!」

 後日、斎原さんにしっかり怒られた。


 でも、もう一度食べに行こうと誘ったら喜んでいたから、まあいいか。




――おわり――



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ある日うちのネコがモンゴル軍を迎え撃ったんだけど 杉浦ヒナタ @gallia-3

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