第2話 ノブナガ、敵陣営に阻まれる

「怖いよー、誰か止めてよぅ」

 泣き喚いているのは、運転してる斎原さんだ。


 市街地を抜けると、両側が切り立った深い峡谷に入る。その川沿いの細い径を、あたし達の乗った車は進んでいるのだ。

「大丈夫だよ、ここは一方通行だし。対向車は来ないから」

「だって。横は崖だよっ」

 桜並木がガードレール代わりだ。


「ら、蘭丸、お主……意外と肝が太いのう」

「え、そう?」

 見るとノブナガは全身の毛を逆立て、耳を伏せて目の瞳孔までが開き切っている。これは相当に怯えているみたいだ。


「わしは金ヶ崎の撤退戦を思い出したぞ」

 なんだ、それは。


「ああ、やっと広くなったよ」

 ちゃんとしたセンターラインのある道に出て、斎原さんが安堵の声をあげた。


「やれやれ。あの場に伏兵を潜めておかれたら、我らは全滅だったぞ。ふん朝倉め、まだまだ甘いのう」

 ノブナガ、それは考えすぎだと思うし、誰だよ朝倉って。


 大きなダムを左に見ながら、やがて道は急な上り坂になった。

「これは例の『べた踏み坂』に匹敵するんじゃないかな」

 テレビのニュースか何かで見たことがある。


「ここは周囲が山だから、あれほど極端な構図にはならないけどね」

 斎原さんもやっと普段の冷静さを取り戻したようだ。

 そしてこのクルマ。大人の女性を二人乗せている割には軽々と坂を登って行く。やはりディーゼルだからか。



 坂を登り切ると、青空を背に三瓶山さんべさんの全容が目の前に現れた。

 三つの山体からなる三瓶山。岩がちなその山肌には登山客らしき人影も見える。そして、緩やかな裾野に広がるのは放牧場と葡萄畑だ。


「おお。綺麗だねー」

 期せずして、あたしと斎原さん、そしてノブナガは同じように嘆息した。


 ☆


「これは……寂れてるね、すごく」

「うむ」

 三瓶温泉、とカーナビは表示している。しかし、おもむきのある温泉街を想像していたあたしたちは、そろって茫然となった。

「何もない」


「あ、でもここに銭湯みたいな建物が」

 斎原さんは指さした。

「あ、まあ……よく言えば、その、年季が入っているけれど」

 どこもそんな感じだった。

 あたしたちの目的地は、この辺の筈なのだが。


「あ、ここみたいだよ」

 一見、ただの民家のようなその店の前には大型バイクがいっぱい並んでいる。おそらく、これはモンゴル騎馬軍団の一味なのだろう。


 あたしたちは、一台分だけ空いていた駐車場の隅に車を停める。


『霧の海食堂 きっ川』

 表の看板にそう書いてある。


「ここなのノブナガ?」

「間違いない。見ろ、やつらめ。早くも侵攻の支度を整えておるではないか」

 ノブナガは鼻を鳴らす。


「おお、たしかに」

 あたしと斎原さんは顔を見合わせた。

「すごくいい匂い」

 焼肉。それもジンギスカン特有のラムの匂いだ。

 孫子の兵法にも、腹が減っては戦ができぬ、と書いてあるらしいからな。


「よいか者ども。この戦、速戦即決あるのみじゃ、遅れるな」

 にゃう、とノブナガが叫ぶ。

「よーし、出陣だ!」

「お、おう……」

 斎原さんだけは、まだ状況がのみ込めていないようだが。



「はい。ではここにお名前を書いてお待ちください」


 満席だったようだ。

 あたしは順番待ちのリストに記入する。


「流石はモンゴル軍じゃ。想像以上に守りが固いのう」

 ノブナガは店先で毛づくろいを始めた。



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