Iのママ
香久山 ゆみ
Iのママ
ピンポーン。
うららかな日曜日、こんな早朝から家を訪ねてくるのは一体誰だ? 眠い目を擦りながら玄関ドアを開けると、そこに、一人の少年が立っていた。
「……誰?」
見知らぬ少年の突然の訪問に、少々狼狽しながら尋ねると、少年は真っ直ぐ私の目を見て言った。はっきりと。
「ぼく、あなたの子どもです」
は?
聞き間違いかと思い、もう一度尋ねる。少年は答える。
「ぼく、あなたの子どもです」
え。いや。まてまてまて。こんな子ども知らないし。心当たりだってない。ましてや。
「あのね、少年。人違いだと思うんだけど」
だって、私は女だ。多少がさつでボーイッシュと言われることもあるけれど、れっきとした生物学上の、女だ。自分が子どもを産んだかどうか、分からないわけなかろう。第一この十歳くらいの少年をもし私が産んだのだとしたら、十四、五で産んだことになる。ありえないだろう。いや、生物学的にはありえるのか? って、いやいやいや。そうでなく。私は人生において未だ一人だって産んだ覚えはない。
「いえ、間違いないんです。おかあさん」
真っ直ぐ放たれた「おかあさん」という言葉に怯む。が、ここは毅然と答えなければ。
「私はあなたを産んだ覚えはないんだけれど」
「はい、そうです。ぼくを生んだのはおとうさんです」
??? やばい。頭痛がしてきた。やばい少年に絡まれた。新手のいたずらか?
「……あー……、そうだね。だよね。私産んでないよね。うん。だから、さようなら」
静かにドアを閉めようとしたところ、少年が絶望的な声を上げる。
「待って! おかあさん!」
ちょうどその時、隣の家の玄関が開きかけて、私は思わずとっさに少年の腕をひっぱって家の中に上げてしまった。ばたんとドアを閉めた瞬間にあーしまったと後悔。隣のおばさんは噂好きで、こんな場面を見られたらここら一帯でどんな噂を立てられるか分かったものではない。それで、とっさに少年を隠そうとうちに入れてしまった。
へなへなしゃがみ込む私を、「おかあさん、大丈夫?」と少年が覗き込む。
こうなっては仕方ない。今出たらおばさんと鉢合わせするかもしれない。
「よし。少年、話を聞こうか」
少し、この奇妙な少年の話を聞くことにした。あ、これ、未成年者略取とかになるかな? いや、大丈夫だろう。保護だ、保護。はあー……、溜め息混じりに、一人暮らしのリビングのソファに少年を座らせた。
少年は大人しくちょこんと足を揃えてソファに凭れかかりもせず真っ直ぐに座っている。行儀の良い子だ。利口そうな。
「あのね、もう一度聞くけれど」
「はい、おかあさん」
「……いや、おかあさんじゃなくて。さっきも言ったけど、私はあなたを産んだ覚えはないの。だから、申し訳ないけれど、おかあさんは人違いです」
「いえ、人違いではありません。ぼくを生んだのはおとうさんですから」
「だからね……」
頭を抱えていると、少年もじっと私の様子を見て少しだけ首を傾げ、それから「あ」と何か閃いたように口を開いた。
「ごめんなさい、おかあさん。ぼくの説明不足でした。おかあさんに会えたのがあまりにも嬉しかったもので」
そして少年は言った。
「ぼくは、ロボットです」
「はい?」
少年は真顔で私を見つめている。
「いや、どこからどう見ても人間なんだけど」
「ですよね」
少年は嬉しそうにはにかむ。
「限りなく人間と同じに作られたので。だから、証拠といわれると難しいんですよね。見える部分は全部人間と同じにしてあるので。えーと、皮膚をめくったりしたら分かりやすいんですけど、博士がいないから修理できないし……」
「わ、分かったから。皮膚とかめくらなくていいから。とりあえずロボットってことでいいから。で、どこで作られたの? 研究所とか? そこに帰んなくていいの?」
慌てて続きを促す。……ロボットと信じたわけではない。けれど。重かったのだ、さっき、少年の腕を引いた時に、その華奢な見た目からは想像しなかったずしりとした重さを感じたのだ。
「ぼくを作ったのは、一人の男の人です。研究者でしたが、変わり者だったので研究所には属さず、一人でぼくを作りました。その博士こそが、ぼくのおとうさんです。変わり者でしたが、優しい人でした。ぼくが研究材料にされないようどこにも発表せずに、一人でぼくを育ててくれました」
「なら、その人があなたの親でしょ。早く帰んなさいよ」
「いえ……。おとうさんは、もういません」
少年が長い睫毛をさっと伏せる。私はぎょっとする。まさか、や、殺ったのか?
「おとうさんは、先日亡くなりました。老衰です。昨日納骨を終えたところです」
「じゃ、じゃあさ、そのおとうさんの家族に面倒を見てもらえばいいじゃない」
「おとうさんは天涯孤独だったので。ぼくが一人でおとうさんを見送りました」
「うそ。そういうのって、死亡届とか何とか、親族関係を証明するものとか必要なんじゃないの」
「それは、ちょっと色々細工をして……。ぼく、パソコン関係は得意なので」
いたずらが見つかった子どものようにピンクの舌を出す。
「ITとか機械工学とか、色んなことをおとうさんに教わりました。おとうさんがおかあさんに出会ったのもインターネットを通じてですよね」
「いや、ちょっとちょっと待って」
慌てて遮る。そんな出会いは身に覚えがない。なのに、少年はうっとりと語る。
「当時、おとうさんはぼくを――アンドロイドを作ろうと研究に没頭していましたが、失敗ばかり。行き詰っていました。どんな研究書を読んでも解決しない難点がある。友人知人のいないおとうさんは、インターネット上の研究者が集う掲示板に、事態を書き込み意見を募りました。数々の研究者やマニアが案を述べましたが、解決に至りません。そんな中、一つの書き込みがおとうさんの目に留まります。――人間を作るのにそんな複雑なものはいらない。必要なのはただ一つ、I(アイ)だけ。――おとうさん、その書き込みにビビッときたそうです。その書き込みをヒントに、ついにぼくを完成させました」
それがあなたです。少年が熱い視線を送る。
まったく覚えがない。が、学生時代には暇にかまけてだらだらネットサーフィンして、たまたま辿り着いた掲示板に適当な書き込みをしたりしていた。それがまさか?
「で、でも。そんな、Iが足りない、なんて書き込みでどうやってアンドロイドが作れるっていうの」
「説明しましょうか? ……」
「ちょ、分かった。いや、分からないからもういい」
少年が理解不能な化学式を述べ始めようとするのを制する。納得しましたか、と少年がにっこり笑う。
「あの書き込みがなかったら、ぼくは生まれてこなかった。あの書き込みをした人がお前のおかあさんだ、おとうさんはそう言っていました」
なるほど、話は分かった。が、しかし。
「で、少年は私にどうしてほしいの?」
「ぼくのおかあさんになってほしいんです。もっと世界を勉強したくて。学校にも行ってみたいけれど、戸籍がないと行けないし、保護者がいないと色々大変だし。あ、もし、おかあさんがだめなら、後見人とかでもいいです。書類関係はぼくが何とかしますし……」
だめですか? と少年が上目遣いに尋ねる。
くらくらする。もちろん少年の可愛らしさにではない。いや、愛らしい子なのだが。愛されて育ったのが分かる。孤独な研究者が最期に少年を作った理由、それは、自分の存在の証を残したかったからなのかもしれない。学生時代の私がネットの世界のあちこちに自分の存在を書き残していたのと同じように。そして、この少年も。
「あ! でも。その前にもう一つ、おかあさんにしてもらいたいことがあります」
ぱっと瞳を輝かせた少年は、すぐにもじもじと俯いてしまった。
「なに? 言ってごらん」
少年の林檎のように赤い頬を覗き込む。
「あの……、おかあさんにぼくの名前を呼んでほしいんです。女の子の名前みたいで恥ずかしいんですけど。……アイ、って」
Iのママ 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
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