第8話 義経の首
歩いていると活気のある通りに出た。
雪ノ下である。
すぐ左手には鶴岡八幡宮への入り口がある。
杉さんが歩くのが早いせいで、皆早歩きになってしまう。
「あぁ~うな重でも食べたいですね。
買い物する前に行きましょう。」
「杉さん。先に参拝しましょうよ。
もう…いつもこうなんですよ。」
青年がそう言うと、田中元曹長は笑いながらポケットから煙草を出して火を付けた。
「近くに煙草屋はあるか、後でチェリーを買いたい。」
「はい、はい。後で買いましょう。
では参拝に行きましょうや。」
池に掛かる太鼓橋を渡り、歩いて行くと
杉さんが舞殿を指差し、あそこが静御前が頼朝の前で舞を披露した舞殿で。関東大震災で倒壊したのだが、新しく建てられたと教えてくれた。
大石段を登り、後ろを振り返ると鎌倉の街並みが見えた。
「ここが、かつての鎌倉幕府のあった場所なのだな。
栄枯盛衰…盛者必衰の理をあらわすか…」
田中元曹長は独り言を言った。
「南無八幡大菩薩」…
参拝を終えると、皆で参道へと向かった。
通りで警官を見かけると、青年は心配そうな顔をして、田中元曹長の顔を覗いた。
すると小声で、
「大丈夫だ。まだ指名手配は憲兵にしかされていないだろう。おまけに陸軍と警察は仲が悪いからな。情報もあまり流さない。
ゴーストップ事件は知っているだろう。
それになんかあっても、俺は拳銃を持っている、案ずるな。」
そう言われると青年は頷いた。
この当時、警察官は警棒か六尺棒のみで、拳銃は所持していなかった。常時携行するようになったのは昭和二十五年からである。
「さぁ、うなぎ、うなぎ~」
杉さんの先導で通りに面したうなぎ屋に入った。
食事を済ますと時間もあるので、由比ヶ浜まで散歩する事にした。
青年は海に来るのは九月以来である。
この時期に来るのは久しぶりで、藤沢に住む友達の事が頭をよぎったが、流石に今回は会えないだろう…
磯の香りとカモメの鳴き声が三人を出迎える。
「やはり海はいいな~」
田中元曹長が珍しく大きな声で言った。
「海が好きなんですか?」
青年が聞くと、
「うむ、小さい頃から好きだぞ。
去年の暮れもひとりで横浜に行ったさ。」
嬉しそうに口にした。
あれ、杉さんがいない。
いつの間にか浜の遠くまで行ってしまった。
「由比ヶ浜にこれて良かった。
鎌倉は良い所だな。赤坂はどうも息苦しくてかなわなんだ。」
「ここ由比ヶ浜は源 頼朝の命で、謀叛者の義経と静御前の間に出来た子供が捨てられた場所なんですよ。男の子だったから殺されたそうです。」
「そうだったのか…
それは知らなかった。」
「自分も知らなかったのですが、藤沢にいる友達が教えてくれました。
義経の首を洗ったという井戸もあるんですよ。今度行きましょう。」
「そうか。奥州の衣川の戦いの後に義経の首は鎌倉に運ばれて来たのか。兄、頼朝の為に尽力し、平家との戦いに大いに貢献したのに朝敵にされるとはな。なんと哀れな事よ。」
「今度その場所に是非連れて行ってくれ。
だが、その前に東京に戻らなくてはな…」
「東京に戻る?」
その時、杉さんが戻って来た。
「魚の干物とハマグリを買って来ましたよ。
…東京に戻るんですか?」
「あぁ。投降した日から一週間後に靖国神社に行かなければならない。
投降から一週間経った日から、一ヶ月以内に靖国神社の、ある桜の木に脱出した者は暗号を結び付ける約束だ。
自分のいた歩兵第一連隊の人間は、自分と吉川上等兵だけだが、他の連隊の者と民間人の活動家の者も皆あそこに暗号を結びに来る。
そして、階級に関わらず、一番最初に結んだ者が、一ヶ月後に全て回収してその後の指示する手筈になっている。
暗号はシンプルに、出身地と連隊番号のみ
民間人は出身地と民の一文字だ。
自分なら茨城出身の歩兵第一連隊だから
イバラキ 一
という具合だ。」
「しかし、靖国神社とはまた。
事のあった赤坂の近くで危なくはないですか?」
青年が心配そうに言った。
「確かにそうだな。
だがな、東京には歩兵連隊が六個もある。
その人数は一万二千人を超える。
赤坂区を歩いている軍服は何人いる事か。
軍人を隠すなら軍人の中。
貝を隠すなら貝の中。
そうだろう、杉さん。」
「なるほど、考えましたな。」
杉さんが袋の中のハマグリを見てそう答えた。
「さぁ~それでは残りの買い物をして帰りましょう。」
三人は由比ヶ浜を後にした。
菊の行方 人喰い刀 @4shin6
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