第7話 さざれ石

車は苔のむす細い坂道に入って行った。

白藤家の別荘のある北鎌倉へと着いたのだ。

窓から入る空気は凛として、それでいて心が和む杜の匂いである。

田中元曹長は思わず深呼吸をして、久しぶりに自然の織り成す様を眺めた。

鎌倉に来るのは初めてなので、心は少しざわついている。

そんな彼を見て、青年が話しかける。

「田中元曹長殿は鎌倉は初めてですか?」


田中元曹長はひとり笑った。

「あぁ。初めてだ。その田中元曹長と呼ぶのはやめてくれ。田中でいい。」


「わかりました…田中さん。明日は鶴岡八幡宮に行きましょう。」

「ねぇ。杉さん」


「そうですね。食料も買いに行かないといけませんしね。途中で建長寺に寄って行きましょう。私はあそこが好きなんですよね。

そんでもって鳩三郎も買わないと。」

杉さんは嬉しそうに話した。


「鳩三郎?」


「はい。田中さんは食べた事ないですかな?

鳩サブレー。美味しいお菓子ですぞ。」


「なるほど…」


鎌倉の話しをしていたら、白藤家の別荘に着いた。山の中なので、日が暮れるのが早いからと、杉さんは着くとすぐに炭を取りに行った。小さな古びた平屋だが、造りは手が込んでいる、居間に上がると青年が囲炉裏に火をつけた。


「すまないが、ラヂオをつけてくれないか?」


「はい。今つけますね。

 あと自分は父に電話しちゃいますね。」


空気の入れ替えに杉さんが雨戸を開けながら

田中元曹長に話しかけた。

「坊っちゃんがいないうちに話しておきます。旦那さんからの言伝で、ここに拳銃があるから、お持ちくださいとの事です。あれ(二十六年式拳銃)では頼りないだろうからこちらをと。」


廊下の端にある戸棚に案内すると、モーゼルC96自動拳銃を出して渡した。


「これは威力の強い拳銃だ。弾も十発入る。

どうしてこんな物を…」


「旦那様が青島に行った時に、ドイツ軍から鹵獲したもんらしいですよ。弾はそこに三十発あります。」


「確かに、こいつは頼りになる。」

そう言うと田中元曹長はモーゼルを鞄に積めた。


その時、ラヂオから流れて来た。

総理大臣が生きていたと。

叛乱軍に殺されたのは、秘書官であった…

田中元曹長は驚きを隠せずにいた。


なんたる事だ…

自分達が葬ったのは別人であったとは…

拳を強く握りしめた。


その夜、失望と行き場のない怒り、自分達の不甲斐なさに心をかき乱されながら、田中元曹長はなかなか寝れずに過ごした。

投降した上官は大丈夫だろうか。

他の連隊を率いた士官には自決した人もいる。そして、我らの仲間は何名が脱出できただろうか。

ゆっくりと夜は更けていった。


翌朝、青年は誰よりも早く起きると、木刀を手に取り外へ出て素振りを始めた。

これから待ち受ける事など、知るはずもなく。

春の訪れを感じながら、なんとも言えない高揚感に包まれ、日が昇るのを眺めた。


朝食に皆であんパンを食べて、茶を飲んだ後すぐに徒歩で鎌倉へと出発した。

古都鎌倉のまるで遥か昔にタイムスリップしたかの様な光景を横目に、田中元曹長は歩きながら「青年日本の歌」を歌い始めた。

当時人気があったが、この年1936年に天皇の不満を買い禁止された歌だ。


「ああ うらぶれし天地の

    迷いの道を人は行く

      栄華を誇る塵の世に

         誰が高楼の眺めぞや」

歌いながら歩いていると、すぐに建長寺に着いた。

本堂に行く途中にひときわ目立つ石が見えた、そこで田中元曹長が立ち止まると、

杉さんが後ろから

「それはさざれ石ですよ。小さな石が沢山集まってできた岩ですね。鶴岡八幡宮にもあるんですよ。」と話した。


「さざれ石か。確か府中の大國魂神社にもあったな。

さざれ石の巌となりて…か。

神社仏閣、さざれ石は天皇家とは切っても切れない関係だな。

この巌が日本ならば、小さな石とはまさに民の事だ。その民をまとめ、導くのが天皇家だ。

だがな、今の我ら民草が乗っているのは草の舟だな。」


建長寺を散策すると、杉さんはご満悦で、

「さぁさぁ~次は鶴岡八幡宮ですぞ。」

とひとり騒いでいた。


…国の為、天誅を叫び、人を殺め、そして賊軍とされ、犯罪者となった自分と居るのに、なんと陽気な人だと田中元曹長は恐れ入った。


砂利道を歩きながら、ふと口に出た。

 

「世は刈薦と乱れつつ

   紅さす日もいと暗く

      蝉の小河に霧立ちて

         隔ての雲となりにけり」


「あぁ。八月十八日の政変で、京の都から長州へ落ちた時の久坂玄惴の句ですな。」

杉さんは言った。


「いかにも。あの時の彼等の胸中はどうであったかな。

その後の禁門の変で長州勢は朝敵とされ、幕府によって成敗されるはずだったのに、それをひっくり返して明治維新を成した。正に勝てば官軍だ。」


「我々も宮城(皇居)を占領して、天皇陛下に直に訴えれば、我々が官軍になっていたかもな。1500の兵をもってすれば可能だったかもしれない。」…


「天皇陛下の御命令に従い、我らは刀を鞘に納めた。

我らは天皇に忠実過ぎたのか…」


三人はその後、沈黙の海に浸かり

鶴岡八幡宮へと歩いて行った。


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