SFショート・ショート『喋る電卓』
十司新奈
喋る電卓
ある土曜日、男は大きなショッピング街へと繰り出していた。休日には一日中スクリーンにうつる人間たちの会話を楽しむのが趣味の男であったが、普段会社で使っている電卓が昨日で寿命を迎えたらしく、動かなくなってしまったのだ。万が一、買い忘れでもして出勤すれば自分のキャリアが危ない。今の時代、履歴書に「解雇」の二文字が残れば、どんな会社の採用もまともに相手をしてはくれないのだ。自分の電卓をこの休日中に買わねば、と何かと忘れっぽいこの男は朝から家を飛び出してきたのだった。
男は、そんな立場のくせにどうもすぐ気が緩み、せっかくショッピング街へ来たのだからと外食をし、物理書籍店へ入り、酒を漁りと結局帰る間際になってから、書店の脇に併設された文具店に立ち寄った。その文具店は天井から床まで真っ白でつるつるとした建材で、そこかしこがLEDで明るくライトアップされていた。白いエプロンをつけた中年の店員がニコニコと接客している。早速用事を済まそうと男は店の隅にある電卓コーナーに足を運んだ。普段は地味な電卓コーナーに不釣り合いな、大きな宣伝ビラが男の目に留まった。宣伝ビラに書いてあることには、
「新発売のこの電卓と、あなたはコミュニケーションをとることが出来ます!今までは手で打ち込んでいた数式も、あなたが仕事や問題の内容を話せば彼がそこから自分で数式を立ててくれるのです!革新的なこの電卓でより快適で効率化された暮らしを…」
これはすごい、と男はすぐにレジへ持っていった。ニコニコと笑う中年店員に渡して会計を済ませて、男は家に帰った。買った酒を飲みながら、思いがけず手に入れた良い買い物を眺めていた。
翌日、男は買ってきた『喋る電卓』を使ってみることにした。高性能を謳うだけあって電池も不要で、電源を入れたら後は機器部品の寿命が来るまで止まらないのでいちいち起動する手間もないのだそうだ。『電卓』の裏側についた電源ボタンを早速押すとブー…ン…と音がして光が灯った。そして『電卓』は優し気ながら無感情な声で答えた。
「私の型番はALDOUSです。あなたの生活の効率化をサポートします。あなたが解決したい問題を話してください」
これで実際に問題を話せばよいという事だろう。
「じゃあ…先月のガス代の計算をしてくれ。××ガス会社の××プランで、自炊は週に1回、夕食だけで、入浴は基本的にシャワーだが週2回は湯を張っている」
「シャワーを平均的な使用時間で計算すると先月のガス代は7840円ほどだと推測できます。来月から××ガスの料金は値上がりする可能性があり、節約をお勧めします」
先月の請求所を確認すると、確かに値段に殆ど誤差はない。ガス代の値上げも通知が来ていた。計算能力だけでなく素晴らしい情報収集力だ。確かにこれなら快適で効率化された暮らしが手に入りそうだ。この「道具」は自分を変えてくれると男は確信していた。
翌日、月曜日は出勤早々上司にちゃんと電卓を買ったのか問い詰められた以外はいつも通りの平日だった。早速朝から入った仕事でこの宝を活かす時が来た。早速仕事の計算をさせるために、資料を読み上げていった。多少読み上げ間違いがあって5回ほどやり直したものの、いつもより数時間ほど仕事が早く終わった。
「…本当にこの計算は合っているのかね?」当然のように男は疑われた。
「はい。間違いないはずです。疑うのなら計算し直してみてください」
数十分後、他の仕事をしている時に上司が男のデスクにやってきた。
「確かに間違いは無かった。素晴らしい出来だ。これからもこの調子で頑張ってくれ給え。」
『電卓』の力で仕事をこなし続けた男は、この日だけで普段の4倍、つまり他の社員の2倍の仕事をこなした。
数か月後、すっかり別人のように仕事ができるようになった男は、同僚からも話しかけられることが多くなった。
「いや、それにしてもHさんは凄いですね。いったいどうやってあんな量の仕事をこなしているんですか?」
笑顔を張り付けて年下の同僚が言った。男は優越感を味わいながら答えた。
「それはね、この『電卓』があるからなんだよ!△△にある文具店で買ってね…」
次の日から、この同僚の男を皮切りに社内で『電卓』を使う社員が日増しに増えていった。
一時期は他を圧倒する仕事量をこなしていった男だが、他の社員もALDOUSを使い始めるに従って、男が今までこなしてきた仕事量も評価されることが減っていった。
男も一時の優越感で自分の秘密をばらしてしまったことに焦りだし、また『電卓』に頼ることにした。
「電卓、効率的で快適な暮らしを提供してくれるんだろう?どうやったらまた俺の仕事量は評価される?どうやったら、もう一度優越感を味わえる?」
ブー…ンと音がした後、『電卓』は無感情ながら聞く者を安心させる声で答えた。
「現在の私の機能では、発声をマイクで拾って計算をしています。私がカメラを手に入れれば、自分の〝目〟で計算を行い、はるかに効率よく仕事ができるでしょう。」
「なるほど…!また文具店に行けば、目も付けられるかも知れない。仕事が終わればすぐにでも行ってみよう」
その日の夜のうちに、書店の脇の文具店のレジへ行くと、前に見たニコニコとした店員の顔…が頭部スクリーンに表示された、合成素材のロボット店員が、排気でたなびくエプロンをつけてやってきた。
「いらっしゃいませ。ご用件をドうぞ。お会計ですか?何かお探しですカ?ご用件をどうぞ」
「前にここで『喋る電卓』を買ったんだが、これに目をつけて話さなくても計算が出来るようにしてくれないか?」
「了解しました。多少お時間を頂キますので、出来ましたら連絡させていただきます。」
地下の喫煙所を咥え煙草でうろうろしていると、半箱ほど吸った頃にデバイスに連絡が入った。9本目を慌てて揉み消し、息切れのあまり周りの人に不審がられながら文具店へ戻った。
ロボット店員の冷たい手から多少分厚くなった「相棒」をふんだくると、早速話しかけた。
「電卓、分かるか?今俺が来ている服は何だ?」
「数日間着たと思われるワイシャツと黒のスラックスです。ワイシャツはそろそろ洗濯をお勧めします」
多少抑揚のついた声になった『電卓』が優しい声で答えた。
確かにカメラのおかげで景色が見えるようになったようだ。
「よし、明日からはまた効率的な仕事で俺の快適な暮らしを支えてくれ」
男は帰った後は良い気分で酒を飲みながら、明日から味わえるあの優越感を期待しながら良い「相棒」を眺めていた。
翌日から男の仕事は『電卓』に計算するデータを見せて、計算結果をスクリーンに打ち込むのが仕事になっていった。みるみる同僚との差は埋まっていき、旧式『電卓』を使った時の8倍の仕事、つまり他の社員の4倍の仕事を一日にこなせるまでになった。
そうとなればまたも寄ってくるのが同僚で、男は前回の反省を踏まえて決して秘密をばらさなかった。手渡されたボーナスは、今まででは信じられない、当分食うには困らない額が支給され、それに伴い取り巻きには女性社員も増えていった。その輪にはとうとう課のヒロインまでが取り巻きとして加わるようになり、お誘いまで受けるような人間に成り上がった。
「Hさん凄い出世ですよネー。あたしソンケイしちゃいますー。帰りにお食事でも行きませんかー?」
「ええ、構いませんよ!何時まででも付き合えますよ!」
男は紙幣で分厚くなった胸を張って自信満々に答えた。
その夜、金で無理を言って予約したレストランで、一見すると和やかな雰囲気の中で男は課内一の美女と天然のアルコールを嗜んでいた。
「それにしても凄い仕事の速さですよネー。本当ソンケイしちゃいマスー。」
グラスのアルコールを飲み干して、今宵初めて真剣な顔になった女は続けた。
「実は何か秘密とかあるんですか?」
久々の合成品でないアルコールで饒舌になっていた男は、得意げに答えて見せた。
「実はね、僕の持っている『電卓』は、他の人たちとは違うんだよ。目がついてるから読み上げなんていらないのさ。この前の話なんだがね…」
タクシーを呼んで一人で帰っていった女を見送ったこの日の翌日から、カメラのついたアップデート仕様の『電卓』を使う社員が日増しに増えていった。
一度何とかなったことはもう一度何とかなる。その精神のもと、またしても秘密を漏らしたことを後悔しながらも『電卓』をアップデートすることで、男はあの優越感をもう一度手に入れようとしていた。
「電卓、俺は次はどうしたらいい?どうすればもっと効率的な仕事ができる?また快適なあの暮らしを手に入れられる?」
お決まりのブー…ンという音がして、電卓はその頭脳がはじき出した答えを話した。
「計算結果の打ち込み作業や、計算させるデータを私の目に向かって見せるのは非効率的です。私が手足や身体を手に入れればあなたが手を動かす必要もなく、もっと効率的で、快適に仕事をこなせるでしょう」
なるほど、と思った男は早速その日のうちに文具店に行くと、頭部スクリーンの顔も、たなびくエプロンも無くなったロボット店員に、自分を導く「神様」を預け、そわそわしながら喫煙所でタバコを吸っていた。一箱吸い終わる頃になってから連絡が入り、文具店へ『電卓』を迎えに行った。
「これで歩いて帰れますね。」抑揚と表情を手に入れたALDOUSと、男は肩を組んで帰った。合成素材の冷たさを首に感じながら浮かれ心地で家まで帰っていった。
それからの男、というよりもALDOUSは速かった。男には資料室で仮眠をとらせている間に、『電卓』は「目」を手に入れた『電卓』を使う社員の256倍の仕事をこなして見せた。データの計算、分析、報告書作成…。『電卓』の頭脳だけでは出来ない仕事も、体を手に入れた今の『電卓』には些細な雑事でしか無かった。嫌な顔一つスクリーンには表示せずに働ける、身体を手に入れたALDOUS(と男)の評判は瞬く間に広がり、ALDOUSはどんどん昇給を続けていき、とうとう男は会社に来なくても良くなった。
「ブー…ン」「ブー…ン」「ブーー…ン」「了解しました。直ちに解析します、はい」
どんどんと出世していく男の『電卓』を見て、他の社員たちも負けじと自分の『電卓』に合成素材の肉体を与えていった。社員の代わりに出社し始めた『電卓』たちは、自身の冷却ファンの音のうるささや処理速度を自分たちで改良していくようになった。社員が全員『電卓』になり、業績を伸ばす会社は人間たちに驚きと賞賛、何より労働からの解放を与えたかに見えた。
「…はい。わが社の業績の伸びはこれからも続くことでしょう。というのも、来年からは完全に畜産を管理するための新事業の立ち上げも考えています。具体的には創薬や施設管理システムの構築ですが、これを行えば発電事業もウナギ上りになるでしょう。」
冷却ファンの音など聞こえなくなったその『電卓』は、スクリーンに笑顔を張り付けてインタビュアーに答えた。インタビュアーのスクリーンもにこやかに笑っている。
「数年前から始められた発電事業は非常に評判がいいですね。全く廃棄物を出さないどころか、農業肥料まで生み出す発電方式の開発は世界でも驚きの「音」が上がっています。7年という短期間で社会の変革を起こした社長ですが、その秘訣はありますか?」
『電卓』社長が答える。
「今までの発電方式では無駄な廃棄物が出てしまい非効率でしたが、『人力発電』方式はエコロジーで、かつ発電を行う生物にとっても健康的な生活の助けになります。一生の衣食住と健康な生活が保障され、死骸もリン資源として肥料に活用される。非効率すぎて誰もが無駄だと思える生物も、見方によっては効率的な暮らしの役に立つんです。広い視野を持つことが大事ですね」
スクリーンには誇らしげな顔が映っていた。
SFショート・ショート『喋る電卓』 十司新奈 @TotsukasaNiina
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