空ちゃん、生まれ変わる

 演奏が始まると同時に、カーのハイトーンが会場に響き渡る。

 まるで清流のような澄み切った歌声に、観客がわぁと歓声を上げた。

 続いてクゥが夏の周りで踊り始める。そのダイナミックな動きとキレの良さに一瞬観客は息をするのも忘れるぐらい魅了され、そしてさらなる歓声を爆発させる……はずだった。


(……ううっ、やっぱり上手くいかない)


 予想していた空自身すら驚くぐらい、踊り出しは最悪だった。

 まるで老人のように怖々とした、ぎこちない動き。その足取りは覚束なく、指先は震え、身体の芯が定まらない。


(……なんとかしなきゃ)


 懸命に身体の四肢に命令を出す。

 が、自分を見つめる観客の視線が、まるで操り人形の糸のように空の身体のあちらこちらへ複雑に絡み合って、まともに動かせてもらえない。


 焦れば焦るほど本来の空の踊りとはまったく違う酷い有様に、次第に観客の熱が引いていくのが空にも分かった。

 そしてそれが分かっているのに何も出来ない自分に苛立ち、怒り、やがて情けなくなってきた。

 人を楽しませなきゃいけないのに、なんでこうなってしまったのだろう。

 夏だってきっとひどく失望しているはずだ。


 ちらりと夏の顔色を伺う空。

 偶然だろうか。夏も同時に空へと視線をむけた。


(……え?)


 叱咤されるのは覚悟していた。

 白い目で見られても仕方ないと思っていた。

 なのに夏は空を見て、にこりと笑った。

 そこには侮りの色なんて欠片もなく、ただ純粋に今を楽しもうというメッセージと、何もかも思ったようにいかなくて困っている空を安心させてあげようという気配りが込められていた。


「みなさん、こんにちはデス! 夏空カークーデース!」


 夏がステージの一番前へと移動すると、観客に呼びかける。

 それはとても自然だったが、実際は本来予定していたものとは異なる、サビへ入る前のタイミングだった。


「こんなに大勢の人に私たちを見てもらえて、本当に嬉しいデス! 皆さん、楽しんで行ってくだサーイ!」


 以前、夏が言っていた。

 サビに入る前のところの歌詞が好きだ、と。

 ここを観客の前で歌うのが今から楽しみだ、と。

 それなのにどうしてこのタイミングで?

 戸惑う前に空は夏の意図に気付いた。

 何故なら夏が前に出て呼びかけることで、観客の視線が夏へと集中し、空への呪縛が解けたからだ。


 と同時に空の心の奥底から何か温かいものがこみあげてきては、身体を包み込むように隅々へと行き渡っていく。

 不思議な感覚だった。

 まるで自分が赤ちゃんになってお母さんに抱っこされているような、絶対な安心感。おかげでさっきまで大勢の人の目に晒されるのが不快で、怖かったのに、今はもうそれほどでもない。この温かいものが守ってくれると、何故か空は信じることが出来た。


(……そうか、これが夏の言っていたこと)


 仲間なら助けてあげるのが当たり前……さも当然とばかりに言った夏の言葉を、空は信じる事なんて出来なかった。

 が、実際に助けられて知った無償の愛は、空を一瞬にして変えた。それは観客たちの視線という束縛からの解放だけでなく、魂そのものの解放であった。


(……ありがと、夏! もう大丈夫!)


 夏が再びステージの半ばへと移動するとともにサビが始まる。

『星空盛夏』は真夏の夜、満天の星空をイメージした曲だ。そのサビでは星が一斉に流星となる壮大なシーンが描かれている。

 これを夏の歌唱力と、空の舞踊でどこまで表現できるか。

 ふたりは一瞬だけ目を合わせると、お互いにこの日最高の笑顔を覗かせた。


 そして観客は聴いた。

 夏の歌声が夜空に煌めく星々の声となるのを。

 観客は見た。

 その星々が空の踊りに合わせてひとつ、またひとつと流れ星になっていき、やがて流星雨となって天を光のシャワーで埋め尽くす様を。

 時はまだ日中である。しかし、観客は確かにこの瞬間、自分たちの頭上に広がる大宇宙の天文ショーを心の中で感じ取った。


 おおおおおおおおおおおーーーーーーーーーっっっっ!!


 堪らず観客たちが大歓声を上げる。その波動は会場のみならず、都そのものすら大きく揺らがした。

 それでも夏と空のステージは止まることなく、更なる高みへと昇り詰めていく。


 もう空は視線が怖くなくなっていた。

 むしろ観客の熱い視線が、歓声が、自分をどこまでも押し上げてくれるような高揚感に包まれていた。

 科挙が終われば、その後は何をするのか空はなにも決めてない。でもこんなにも凄いことが出来るのなら、歌姫を続けてもいいかなと思った。


 その為にもまずはこのオーディションで合格しなければ。

 空が更に気合を入れて二番の歌詞に合わせて踊り始めたその時。


 シュッ!


 何かが舞台裏から飛来するのを見た。

 細長く、鋭く、素早い何か。その何かを知っている空は、お守り代わりに衣装の袖へ隠しておいた短剣を咄嗟に取り出して、今まさに夏めがけて飛来するそれ目がけて一閃する。


 カキンッ!


 金属が金属を弾き飛ばす小さな音がステージに響く。

 夏が驚いてひっと息を飲みこむ音が、空の耳に届いた。


(安心して、夏! 今度は空の番!)


 視線も合わさなければ、言葉もかけない。

 でも今ならそんなことをしなくても心で通じ合えていると確信する空は、夏に背を向けながら次々と飛来する毒針を悉く撃ち落とすと、舞台奥の幕へと斬りかかる。


 案の定、そこには三人の刺客が潜んでいた。

 おそらくは空たちの優勝を阻止しようとライバルが雇った者たちであろう。

 吹き矢筒を構えていたが、正体がばれるやいなや筒を投げ捨て、代わりに刃を手にして空と夏に襲い掛かってくる。


(させない!)


 しかし、これもまた空が悉く弾き返した。

 三人を相手に、しかもそれでも歌い続ける夏を守りながら戦うなんて、普通の人間なら出来ない。あっという間にふたりとも殺されているはずだ。

 にもかかわらず、空は舞うようにして三人を迎撃し、夏は気持ちよさそうに二番の歌詞を歌い続けている。


 うおおおおおおおおおおおおおおおっっっっっっっっ!!!!


 しばらくして再び観客たちから地鳴りのような歓声が上がった。

 空の戦闘力、夏の丹力に感動した……わけではない。観客たちは皆、これを演出だと思ったのだ。

 そう、すなわちまさか歌姫のオーディションで、ヒーローショーまで楽しめてしまうとは、と。まさに斬新な演出だと大いに盛り上がったのである。


 そんなことは露知らず、しかし先ほどまでに観客たちが自分たちを後押ししてくれていると感じ取った夏と空は、二番のサビを先ほどまで以上に熱唱&熱演した。

 広い会場全体に響き渡る夏のハイトーンを間近でモロに受けた襲撃者のひとりが、鼓膜を破られて気絶する。

 斬りかかろうと空に短刀を突き出した襲撃者は攻撃をあっさりと躱され、逆に空が振るう短刀の柄で強かに後頭部を叩きつけられては昏倒した。

 三人目に至っては仲間が次々とやられて動揺しているところを束縛、ふたりに「そーれ!」とその身を観客たちの元へと投げ捨てられ、熱狂する彼らに散々もみくちゃにされては夏空カークーのステージは最高の盛り上がりのまま幕を下ろすのであった。


 かくして空は天子から出された「都の民を楽しませる」という治試験の課題を見事にクリアしてみせた。

 と同時に夏と一緒に「史上最高の歌姫たち」と今も名高いグループを新結成。ただし、空は活動数ヵ月で突然引退を発表し、ファンたちは嘆き悲しむのだが、夏がその際にこのようなコメントを残している。


「離れていても空ちゃんはきっと同じ空の下で、いつも夏たちと一緒に踊ってくれるのデス」


 番外編:空ちゃん、頑張る 完

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無双の細道~科挙(デスゲーム)に参加するので一句詠む~ タカテン @takaten

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ