空ちゃん、戸惑う

 その少女の名前は夏夏カ・カーと言う。

 都よりももっと南の田舎からやってきたらしい。

 健康的に焼けた肌に、ぱっちりとした大きな瞳がとても印象的な、空から見ても可愛らしい女の子だった。


カークゥちゃんみたいな人を探していたんデスー」


 興奮のあまり抱きついて、しかも口づけまでしてきたのをなんとか振りほどいた空に、夏は「ごめんなさいデス」と頭を下げると、すぐに自己紹介とともにそんなことを言ってきた。


「……探してた? 依頼?」


 だったら最初からそう言えばいいのにと思いながら、空はいまだ夏の感触が残る唇を拭う。

 特別気にしていないと言い聞かせるが、心臓の鼓動はいまだいつもより早い。


「……分かった」

「本当デスカ!」

「……ん。で、誰をればいい?」

「誰って、決まってるデス! このあたしデスヨ!」


 ん? 意味が分からない……。

 困惑する空に、夏は太陽のような笑顔を浮かべて言い放つ。


「夏と一緒に歌姫をやってほしいデス!」

「……え?」

「夏、歌姫になりたくて都に出てきたデス。でも、歌姫になれるのは本当に才能のある一握りダケ。夏の歌だけでは足りないのデス。だから一緒に歌って踊ってくれる人を……夏と一緒に歌姫の試験オーディションを受けてくれる人をずっと探していたデス!」


 夏がますます困惑することを言ってきた!

 自分みたいなのを探していたと言うからてっきり誰かを殺してほしいのだと思ったのだが、それがまさか一緒に組んで歌姫にならないか、とは!


「……それは無理。他をあたって」


 どうにもこの子とは調子が狂う。深入りしないのが身の為だろう。


「どうしてデスカ! さっきは了承してくれたじゃないデスカ!」

「……歌姫なんてやれない」

「そんなことないデス! さっきの踊りを見ていましたが、とても素晴らしかったデス! 空ちゃんならきっと素晴らしい歌姫になれるデス!」

「……空は歌姫なんてなりたくない」

「何を言うデスカ!」


 突然、夏がただでさえ大きな目をぶわっと見開いて、空に言い寄る。


「歌姫は素晴らしいお仕事デス! 歌姫になりたくないなんて考えられまセン!」

「……それはあなたの考え。空はそう思わない」

「空ちゃんは歌姫の舞台を見たことがありマスカ?」

「……ない」

「だからそんなことが言えるのデス! 大勢の人の前で歌い、踊る歌姫の舞台を見れば、きっと空ちゃんの考えも変わりマス!」


 夏はそう力説するが、残念ながら空は変わるとは思えなかった。

 そもそも歌姫なんて全く興味が――。


「歌姫はいいデスヨー。その歌声でとても大勢の人を笑顔に、どんなに落ち込んでいてものデス!」

「やる!」

「本当デスカ!」

「……歌姫が大勢の人を楽しませることが出来るのなら、俄然興味が湧いてきた!」


 それは絶望的だった治試験合格に一筋の光が差し込んだ瞬間であり。

 そしてこれまで暗殺者と言う闇の世界に身を置いてきた空自身もまた、光り輝く世界へ身を躍らせることになる瞬間でもあった。



 かくして夏と空の歌姫ユニットが始まった。

 夏の歌唱力は高音から低音まで幅広く安定しており、またその澄み切った声質は聞く者の心に直接届き、様々な情景を瞬時に思い描かせてしまう表現力も有していた。

 一方、空は夏ほどの歌唱力はないものの、代わりに暗殺業で鍛えられた運動神経、正確なリズム感は抜群であり、その踊りには華があった。

 しかもそんなふたりがまるで長年連れ添って生きてきたかのように、息がぴったり合うのだ。

 オーディションの予選会をトップ通過するのも当然と言えば当然、ふたりの行く末は順風満帆に見えたのだが……。


「……無理。さすがにこれは無理」


 舞台の袖でライバルたちの様子を伺った空は、思わず顔を真っ青にして弱音を吐いた。


「大丈夫デスヨ! 夏たちは他の子にも負けてまセン!」


 そんな空を夏がお得意の笑顔で勇気付ける。


「……そうじゃない」


 が、空は指を舞台で歌い踊っている女の子たちではなく観客席へ向けると「人が多すぎる!」と嘆いた。

 予選会の観客は数名の審査員と参加者たちだけだったが、都郊外に特設された野外ステージで開催される本選は、まさに見渡す限り人、人、人の人だかり。その数たるやこれから大きな戦でも始まるのかと思わんばかりであった。


「ウン! こんなにいっぱいの人に夏たちの舞台を見てもらえるなんて、とても嬉しいのデス!」

「…………」

「空もそうじゃないんデスか?」

「……空、あんまり見られるの得意じゃない」

「そうなんデスか?」

「……今まで出来るだけ人に見られないよう仕事してたから」


 空は今頃になってそれまで人目を忍んで行動していた暗殺業と、大勢の人の目と耳を惹き付ける歌姫はあまりに正反対すぎると気が付いた。

 こんなに大勢の人の目が自分に向けられるのかと思うと、身体の芯からぞわぞわしたものが這いあがってくる。


「なるほど。緊張してるデスね!」


 それを夏は緊張と受け取った。

 正確には違う。緊張と言うよりも空のそれは生理的な嫌悪感に近い。ヴァンパイアが太陽の光を嫌うような感じ。

 つまり言葉では「得意ではない」と言いながら、実際は「圧倒的にダメ」ってことだ。


「大丈夫デス! 夏もほら、こんなにドキドキしてマスヨ!」


 そう言って夏は空の手を取り、自分の胸へと押し付けてくる。

 ドクンドクンと伝わってくる鼓動は、やもすれば空よりも早いかもしれない。

 なるほど、夏も緊張している。それは分かった。

 が、だからどうしたと言うのだろう?

 空は大勢の人の目に晒されるのが圧倒的に苦手で、夏は緊張している。どちらも平常とはとても言い切れない状況で、何が大丈夫だと言いうのか?

 それが空には分からなかった。


「誰だって緊張はするものデス! 空ちゃんだけじゃありまセン」

「…………」

「でも、緊張しすぎて怖いのなら、夏がその緊張を代わりに受け持ちマスヨ!」

「……そんなこと出来るの?」

「ハイ! だって夏は空ちゃんの仲間――相棒デスカラ!」

「……仲間……相棒」

「仲間が困っていたら助けてあげるのが当たり前なのデス! ですから空ちゃんも夏が困っていたら助けて欲しいのデス!」


 助けてあげるのが当たり前……と、空は夏の言葉を小さく繰り返した。

 今まで空はそんなことを考えたことがなかった。いつだって世の中はギブアンドテイク。相手を助けるのなら、それに相応しい利益があってこそ。その約束も交わすことなく、ただ仲間だから助けなくちゃいけないってのは空にとっては俄かに理解しがたいことだった。


『それでは次で最後の歌姫となりました。トリを務めるのは夏空カークーのおふたり。曲は『星空盛夏』です!』


 と、その時。ついに空たちの名前が呼ばれた。


「さぁ、行くデスヨ、空ちゃん!」


 夏が空の手を握ってステージへと駆け出す。

 その力は空が思っていたよりもずっと力強く、半ば無理矢理な形で空も観衆が熱い視線を送るステージへと引きずり出されてしまったのだった。

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