最終話 ルチルクォーツの継承

 国葬からおよそ一週間後。社会の空気が少しずつ戦時から平時へと戻っていく中、王城の会議室には国王スレインと王妃モニカ、そして直臣の一同が集まっていた。


「――それでは、これより国家運営定例報告会議を始める。まず最初に、国王陛下よりお言葉を賜る……陛下、お願いいたします」


 王国宰相イサーク・ノルデンフェルト侯爵に頷き、スレインは口を開く。


「皆。まずは礼を言いたい。先の大戦は、誰にとっても厳しい状況が続いた。軍人たちは命懸けで戦い、官僚たちも国を維持するために奮闘してくれた。王城急襲という危機に見舞われながらも、王国社会の秩序を守り抜いてくれた」


 スレインは語りながら、皆を見回す。

 イサーク。エレーナ。ヴィクトル。イェスタフ。ブランカ。

 農業長官ワルター・アドラスヘルム男爵をはじめとした官僚たち。副官としてスレインの傍らに控えるパウリーナ。

 彼ら一人ひとりの顔を見ていく。


「多くの犠牲を払った。少なからぬ騎士や兵士、民が死んだ……ジークハルト・フォーゲル伯爵を失った。その犠牲の末に、僕たちは勝利した。勝利の先に続く、戦後の時代をこうして迎えた」


 半ば自分に言い聞かせるように、スレインは言う。


「これからも時代は続く。新たな変化が起こる。帝国中枢の様相は大きく変わり、我が国に近しい帝国西部も様変わりする。西サレスタキア同盟も、大戦を通してさらに拡大し、結束を深めた……きっとこの先、予想外のこともあるだろう。それも、僕たちなら乗り越えていける。あらゆる変化を、あらゆる危機を、皆で乗り越えてきたのだから」


 静かに、穏やかに、スレインの言葉は続いた。


「これからも共に歩んでいこう」


 語りきると、その手に温かく優しい感触があった。隣に座るモニカが手を触れてきた。

 スレインは彼女を向く。微笑みをくれる彼女に、スレインも笑い返す。

 そして会議が始まる。新たな時代に向けて社会を前進させるため、スレインは臣下たちと言葉を交わしていく。

 スレイン・ハーゼンヴェリアの治世は続く。時代を進み、歴史を築きながら、その治世は続いていく。そして――――











 ――――そして、時が流れた。


「スレイン様」


 呼ばれたスレインは、城館の居間、ソファの上で目を開き、振り向く。

 そこに立っているのは王妃モニカだった。もう五十年近くも共に治世を為し、共に人生を歩んできた伴侶は、優しげな笑みをたたえてそこに立っていた。


「……いつの間にか眠っていたみたいだね」

「ええ。とても穏やかな御顔をされていましたよ。何か良い夢でも?」


 隣に座ったモニカが、スレインの手を自身の両手で包むようにとる。

 二人の人生の、長い歩みを示すように、互いの手には皺が刻まれている。


「昔の夢を見ていたよ。ひどく長い夢だったような気がする。まるで若い頃の半生を、あの激動の時代を振り返るような……今日この日だからこそ、そんな夢を見たのかもしれないね」


 今日、スレインは退位する。王太子ミカエルに王位を譲り、自身は王座を退く。

 スレインの治世のうち、最初の十年ほどは激動の時代だった。その後は比較的穏やかな時代が続き、ハーゼンヴェリア王国は、サレスタキア大陸西部は平和を謳歌しながらゆっくりと発展を遂げてきた。

 時代は変わった。若きスレインと共に戦った諸王は多くが世を去り、まだ生きている者も大半は隠居している。二年前には同世代のセレスティーヌ・リベレーツ女王が退位し、スレインはそれを聞いて自身も数年のうちに退位することを決めた。

ハーゼンヴェリア王家に仕える者たちの顔ぶれも変わった。

 現在、王国宰相はイサークの娘が務めており、外務長官はエレーナの息子が、王国軍将軍はイェスタフの息子が、副将軍はジークハルトの孫娘が務めている。

パウリーナは二十年ほど前から父ヨアキムの後を継いで典礼長官を務め、彼女と夫ルーカスの息子の一人は、王国軍で大隊長にまで出世している。農業長官の職には、モニカの兄ヴィンフリートと妻ケルシーとの間に生まれた息子が就いている。

 王国社会の中核を担う役割は、既にスレインの次の世代へと移り始めている。新世代の臣下や民に支えられ、日に日に発展を遂げるハーゼンヴェリア王国の人口は、そう遠くないうちに十万を超えるものと見られている。

 そんな王国の発展を見守りながら、次の世代の奮闘と成長を見守りながら、ただ穏やかに過ごす日々が、スレインにはこれから待っている。


「王位を退いた後は、何をして過ごそうか」

「何でもできますわ。今まではできなかったことも」

「できなかったこと、か……とはいえ、国王ともなれば大抵の望みは叶ったからね」


 微苦笑を浮かべながら、スレインは考える。若い頃よりものんびりと思案するスレインを、モニカが静かに見つめる温かい時間が流れる。


「……時々、王城や保養地以外の場所で過ごすというのはいいかもしれないね」


 ぽつりと呟くように、スレインは言った。

 国家の中枢たる王城。王家のための別荘である、警備体制の整った保養地。国王はその立場の重要さ故に、こうした場所に縛られる。安易に他の場所で過ごすことはできない。

 であれば、場所の制約から解き放たれて過ごすというのは、王座を退いたからこそ許される望みではないかと、スレインは思った。


「さすがに王領から出るのは臣下たちにも迷惑をかけるから、王領の中の、どこか静かな地方……そうだな、例えばルトワーレはどうだろう」

「……いいお考えだと思います。あなたにとっては特別な場所ですね」


 モニカは優しく微笑む。

 小都市ルトワーレ。久々にその名を口にしたと、スレインは思った。

 幼馴染エルヴィンとの友情は生涯続いたが、彼は数年前に病で世を去り、それ以降はスレインがルトワーレに意識を向けることもめっきりと減った。

 それでも、あの都市はスレインにとって特別な意味を持つ。スレインは平民として、少年時代をあの場所で過ごした。平民の母と共にあの場所で暮らした。


 そうだ。自分はかつて平民だったのだ。


 民の心に寄り添う気持ちを王として失うことはなかったが、自分自身が平民であったという意識は、もうすっかり薄れてしまった。平民であった人生よりも、王であった人生の方が、今ではずっと長くなった。平民としての記憶は、遠い過去の思い出になってしまった。

 これからは、そんな思い出に浸って過ごすことも許される。あの頃過ごした小さな家は、今も王家の所有物としてそのまま置かれている。時にはルトワーレに足を運び、あの家で、平民だった頃を思い出しながら穏やかで素朴な時間を過ごすのもいいだろう。


「……そろそろ、仕事の時間かな。最後の仕事の」

「ええ。参りましょう」


 時計を見て立ち上がったスレインに、共に立ち上がったモニカが寄り添う。


「……これまで、本当にお疲れさまでした。スレイン様」

「ありがとう。今日まで歩むことができたのは、君が支えてくれたからだよ。モニカ」


 二人で寄り添い合うように歩く。その後ろには、これまでの人生の長い道のりがある。


・・・・・・・


 荘厳。そう呼ぶべき空間が、王都中央教会の聖堂に形作られていた。石造りの聖堂は、窓を飾るステンドグラス越しに降り注ぐ陽光に満たされ、幻想的に輝いている。

 多くの者が、そこに集っている。

 スレインとモニカ、そして直臣たち。既に隠居している存命の臣下――エレーナやブランカ、ヴィンフリートやケルシー、ルーカスなども居並ぶ。

 今は王家を離れた子供たちも、今日は王都へと帰ってきている。

 スレインとモニカの次男であるエルマーは、アガロフ伯爵家に婿入りした。そして長女ソフィアは、クロンヘイム伯爵家に嫁入りした。両家とも当初の予定通りハーゼンヴェリア王家の姻戚となり、現在はその立場に見合った待遇を受けている。

 今、エルマーとソフィアは、両家の現当主である伴侶と共に、それぞれ列席している。他にも、全ての領主貴族家から当主が集っている。

 各国からの出席者も集まっている。息子であるリベレーツ国王と並ぶセレスティーヌや、今では同盟でも最古参の君主となったヴァイセンベルク王ファツィオ。そして、スレインがかつて共に戦った諸王の子や孫世代の王族たちが、この記念すべき日の証人として並んでいる。


 多くの者が見守る中で、聖堂の中央に立つのはミカエルだった。

 今や立派な成人であるミカエルは、スレインよりも背が高くなった。スレインのような異才はないが、次期君主として十分以上に聡明で、強く勇ましい王太子として知られてきた。

 そんなミカエルは、聖句を聞きながら信徒の礼をとっている。当時はこの国唯一の王族だった父スレインの戴冠時とは違い、多くの家族に見守られながら戴冠の瞬間を待っている。

 スレインとモニカの隣には、ミカエルの妻であり、これからハーゼンヴェリア王妃となるローザリンデも立っている。昔と変わらず、実年齢より一回り若く見える彼女は、優しい表情で年下の夫を見守っている。


 聖句が終わり、王冠が掲げられる。

 銀と黒金から成り、国石たるルチルクォーツが埋め込まれた王冠。王家と国家の象徴。

 かつて、スレインもこの場所であの王冠を戴いた。この場所で王となった。

 スレインのもとを離れた王冠は今、ミカエルの頭上に載せられる。

 自身以外の者があの王冠を戴いている様を、スレインは初めて目にした。

 立ち上がったミカエルが振り返る。

 彼に視線を向けられたスレインは、微笑を浮かべて頷く。ミカエルも頷き返し、そして正面を向いた。新たな王の姿を、この場に集った皆に、この世界に示すように。


 この日、ミカエル・ハーゼンヴェリアが王となった。

 一人の王の時代が終わり、新たな王の時代が到来した。


 スレイン・ハーゼンヴェリアの治世は、祝福と感謝と畏敬に包まれながら、ここに幕を閉じた。




★★★★★★★


以上で『ルチルクォーツの戴冠』本編は完結となります。

およそ一年にわたってスレインたちの物語にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

時期も内容も未定にはなりますが、今後は不定期で後日談やサイドストーリーなどを更新できたらと思っています。よろしければ、気長にお待ちいただけますと幸いです。


また、本作とは別のお知らせとなりますが、新作を投稿開始しました。

『フリードリヒの戦場』というタイトルで、既に十数話分、ひとまとまりのエピソードを投稿しています。明日からしばらくは毎日更新していきます。

田舎の孤児だった青年が、高名な軍人に才覚を見出されたことで人生を変えていく戦記譚です。こちらもお楽しみいただけますと幸いです。何卒よろしくお願いいたします。


今後の活動情報につきましては、近況ノートや作者Twitterにて告知してまいります。

引き続き、エノキスルメの作品をどうぞよろしくお願いいたします。

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ルチルクォーツの戴冠 エノキスルメ @urotanshi

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