第210話 結末のその後で

※お知らせです。

「第55話 結婚準備」の後半を大きく修正しています。

王家からクロンヘイム伯爵家、アガロフ伯爵家の双方に「将来的に国王の子女を輿入れさせる」という条件を提示して両家から同意を得たかたちに変えました。


★★★★★★★



 フロレンツの公開処刑は、異様な熱狂の中で開かれた。

 おそらくは大陸において、広場と名付けられた場所の中で最も大きい、帝都ザンクト・エルフリーデンの中央広場。そこには数万の民衆が集まり、怒りをほとばしらせていた。


「……まるで猿の群れだな」


「ははは、頭に血が上った民衆なんてこんなものでしょう」


 広場前方の貴賓席。顔をしかめるオスヴァルド・イグナトフの隣で、ステファン・エルトシュタインが笑いながら答える。


「これは……暴動などになりはしないでしょうか」


「いや、さすがにその心配は要らぬだろう。警備は厳重だ。見たこともないほどにな」


 不安そうなファツィオ・ヴァイセンベルクに、落ち着いたジュゼッペ・ルマノが答える。


「さすが、帝都の民は怒ってもお行儀がいいことですわね」


「貴殿にはこれが行儀よく見えるのか?」


「ええ。我が国で降伏した侵攻軍の捕虜を移送するときは、民の怒り方はこれどころではありませんでしたわ。捕虜にいくらか死人が出ましたもの」


「……そうか」


 セレスティーヌが語ると、クラーク・エーデルランドはそう返した。二人の横では、ドグラス・ヒューブレヒトが簒奪者の公開処刑を今か今かと楽しみに待っている。

 この場にいるのは大陸西部の全ての代表者ではない。ランツ公国のルドルフ・アレンスキーをはじめ半数ほどの代表者は、つい昨日のマクシミリアンの戴冠式を見届けた後、自軍を連れて国に帰った。

 居残っている諸王も、帰路の護衛のみを残し、兵の多くは帰国させている。


「……来たな」


「ええ。いよいよですね」


 処刑台の上に、フロレンツが連行される。その様を見て、スレインは隣のガブリエラと言葉を交わす。

 罵声が飛び交う中で、フロレンツは処刑台への階段を上る。

フロレンツは抵抗することも、泣きわめくこともない。穏やかな表情で台上に上がると、自らその場に膝をつく。そのような所作にも、さすがは皇族と言うべき優雅さがあった。

 その横で斬首のための剣を握っているのは、皇帝マクシミリアン自身。彼が戴冠してから最初の仕事が、先帝の処刑だった。

 警備の近衛兵たちの指示で民衆の罵声が静まった後、マクシミリアンは口を開く。


「……フロレンツ・ガレド。我が父アウグストを殺め、多くの皇族を殺め、多くの民を殺めた大罪人。帝位を簒奪した暴君であり――我が弟。帝国に混乱をもたらし、流血をもたらしたその罪により、真の皇帝であるこの私自らが斬首刑を執行する」


 その声には、皇帝らしい威厳と、そして僅かな哀しさがあった。

 フロレンツが首を垂れる。

 マクシミリアンが、この処刑のために研ぎ澄まされた業物の剣を振り上げる


「勝利したな。ハーゼンヴェリア王」


「はい。私たち全員の勝利です」


 ガブリエラの言葉に、スレインは答える。

 そこには清々しさも、高揚もなかった。ようやく終わったのだ、という安堵と疲れがあった。

 剣が振り下ろされ、フロレンツの首が落ちる。


・・・・・・・


 謀反の主犯格たちとフロレンツの処刑が終わってから一か月半ほど。ようやく落ち着きを取り戻した皇宮の皇帝執務室で、マクシミリアンは疲れた顔をしていた。


「では、貴族どもの沙汰はこれで全て決定だな。帝国常備軍と近衛兵団の士官人事も」


「はっ。後は、貴族たちが陛下のご決定を受け入れるかどうかですが……この期に及んで逆らう者はいないでしょう。もしいた場合は、直ちに陛下の御前まで首をお運びいたします」


 答えたのは、側近であるプロスペール・ドーファン侯爵。マクシミリアンが帝位についた今、彼は王国軍務大臣の職につき、爵位も上がっている。


「いきなり首まではとらなくていい。万が一そのような者がいた場合は、まず身柄を運んでくれればそれでいい……流血はもう十分だ」


 戦後の帝国掌握は、予想以上に順調に進んでいる。

 マクシミリアンが処刑の対象を謀反の主犯格までに留めたことで、選択の余地なくフロレンツの治世に付き合わされていた大半の領主貴族たちはマクシミリアンの寛大さに感謝し、極めて素直に従っている。自分たちの特権と領土を安堵されるのであればと、罰として課された賠償金を素直に収め、フロレンツの時以上に懸命に、忠節の姿勢を見せている。

 先々代の皇帝アウグストと共に既得権益を貪っていた老貴族が一掃されたことで、帝国中枢の掌握も容易となった。自身が帝位についた暁にはどのように排除すべきかとマクシミリアンが悩む種だった老貴族たちを、ためらいなく皆殺しにしたフロレンツの所業は、結果的に兄を助けている。

 国家の運営資金の目途も立った。処刑した貴族たちの財産と所領を接収し、傘下に下った貴族たちから収められた賠償金を集めると、空になっていた国庫もそれなりに満たされた。

 この上で、帝国常備軍と近衛兵団の士官を東部貴族や北部貴族、一貫してマクシミリアン派である法衣貴族とその縁者で埋め尽くせば、マクシミリアンに反抗する者はいない。軍全体の運用をプロスペールに、国境防衛の指揮を弟パトリックに任せれば、帝国もひとまず落ち着く。


「……随分と遠回りをしてしまったが、ようやく私の時代が始まるな」


 感慨を込めながら、マクシミリアンは呟いた。


・・・・・・・


 長い遠征を終えたスレインと臣下たちは、ハーゼンヴェリア王国へと帰った。

 大破した玄関扉や半壊したバルコニーを含め、修繕は既に終わっている。フロレンツが死んで脅威が去ったため、モニカたちも生活の場を王城に戻している。既に、ここが襲撃を受けた痕跡は何も残っていない。

しかし確かに、ここでモニカたち王族は危機に見舞われ、兵士や使用人たちが死んだ。ジークハルトが散った。


「……モニカ。ミカエル。ソフィア。エルマー」


 帰還してすぐ、スレインは居間に入り、家族との再会を噛みしめる。子供たちを一人ずつ抱き締め、モニカと口づけを交わす。


「無事でよかった。子供たちを守ってくれてありがとう……ジークハルトの最期を見届けて、彼に言葉をかけてくれてありがとう」


 モニカに言いながら、スレインの目から涙が零れた。


「おかえりなさい。あなたも、ご無事で本当によかったです……フォーゲル卿の最期は鮮明に憶えています。全て語ります。どうかゆっくりと受け入れてください。私が傍についています」


 静かに涙を流すスレインを、モニカは優しく抱きしめる。


・・・・・・・


 帰還の数日後。この大戦における戦死者の追悼式と合わせて、ジークハルトの国葬が開かれた。


「……彼は私にとって、忠臣であり、師であり、友であった」


 王都ユーゼルハイムの中央教会で、スレインは今、ジークハルトを送る言葉を語っている。


「彼は私に、平民から君主へと変わるための第一歩を踏み出させてくれた。先代国王である父フレードリクの在りし日の姿を語ってくれた。この国の王として人生を歩む私と、共に歩き続けてくれた……彼なくして、今のハーゼンヴェリア王国はない。フォーゲル伯爵ジークハルト。彼の名は王国の歴史に永遠に刻まれる。ハーゼンヴェリア王家の心は、永遠に彼と共にある」


 スレインは語り終えると、ジークハルトの遺骨が収められた棺に花冠を手向ける。

 近衛兵たちが前に進み出て、棺を持ち上げる。


「敬礼!」


 王国軍将軍イェスタフ・ルーストレーム子爵が声を張り、居並ぶ軍人たちが一斉に敬礼する。百人を超える王国軍人たち。各貴族領から参列している、貴族家当主やその名代、貴族領軍の騎士と兵士たち。総勢数百人が、敬礼の姿勢のまま、不動で棺を見送る。

 スレインはジークハルトの棺と共に教会を出て、王都の通りを進む。

 これが、彼と共に歩む最後の時間になる。


・・・・・・・


「……今やこの俺が将軍とはな」


「何だ、まさか今さらになって自信をなくしたか?」


 国葬が終わった後。近衛兵団長ヴィクトルは、現在の王国軍将軍であるイェスタフと王城への帰路を共にしていた。


「まさか。己の何を犠牲にしても務めを果たす覚悟は、とうにできている……ただ、この立場に立つのはもっと先の話になると思っていた」


「確かにな。フォーゲル閣下はこの先、たとえ戦場での第一線を退いても、国王陛下の助言役として長く尽力されるものと思っていた。軍人として戦場で死ぬことはもはやないものと。まさかこれほど早く逝かれるとは」


 イェスタフの呟きに、ヴィクトルも頷く。


「この先、頼れる相手が卿だけというのも信じられん。卿ほど相談相手に向かない奴はいない」


「こちらの台詞だ。王国軍で最も馬の合わない相手を選べと言われたら、私は迷わず卿の名を挙げるだろう」


 冗談交じりの憎まれ口をたたき合い、視線をぶつけ合い、そして――どちらからともなく諦念交じりの息を吐く。


「これから頼んだぞ、近衛兵団長」


「そちらもな。将軍」


・・・・・・・


「いやはや、我らも仲良くなったものですね」


「派閥同士で対立していた頃が遠い昔のようだな」


 国葬の後。王家が領主貴族たちのために開いた戦勝の宴の場。そう言葉を交わしたのは、リヒャルト・クロンヘイム伯爵とトバイアス・アガロフ伯爵だった。

 かつては政治的な対立の続いていた、王国東部貴族と西部貴族の派閥盟主。しかし、今や世界は激変し、領主貴族の派閥は有名無実と化している。

 トバイアスと、リヒャルトの父エーベルハルトが並んで歩くことさえ気軽にはできなかった頃とは、もはや時代が違った。


「おかげさまで、我らグルキア人もすっかりハーゼンヴェリア王国の一員です。時代の波に上手く乗れたことを神に感謝しなければ」


 飄々とした口調で会話に加わってきたユルギス・ヴァインライヒ男爵に、二人は微苦笑する。あらゆる戦いで、人口比で言えばどの貴族領よりも多くの兵力を提供してきたヴァインライヒ男爵領のグルキア人領民たち。彼らを蛮族扱いする者は、今では激減した。ユルギスたちは行動を以て、自分たちもハーゼンヴェリア王国の一員であると示し続けてきた。

 宴の場では、集った者たちが仲良さげに語らう。東部も西部も関係なく、彼らは全員が同じハーゼンヴェリア王国貴族だった。


・・・・・・・


「これで、ようやく私も落ち着けるわ」


「ははは、ご苦労でしたね」


 自身の執務室で一息つく外務長官エレーナ・エステルグレーン伯爵に、名誉女爵ブランカが笑いながら言った。

 エレーナはその役割柄、戦時中もスレインの遣いとして各地を奔走していた。決戦の後は戦後体制に向けた折衝のためにやはり各地を駆け回っており、国葬の直前にようやく帰還できた。

 帰ったら帰ったで膨大な報告作業を行っており、一息ついたのが、国葬の数日後の今だった。


「あなたにも苦労をかけたわね。あなたのヴェロニカにはあちこち飛び回ってもらって、アックスには王城の戦いで活躍してもらって……あなたには、フォーゲル卿の最期に立ち会ってもらって。一人で重い役割を背負わせてしまったわ」


「あたしは強いんで、問題ないですよ……と言いたいところですけど、やっぱりさすがに辛かったですね」


 そう言いながら、ブランカは頭をかいて苦笑してみせる。

 同じ法衣貴族として、ジークハルトの最期を見届ける。最期の言葉を聞く。それは勝ち気な彼女にとっても重責だった。


「心から感謝してるわ。同じ王家の直臣として。フォーゲル卿の友としても。ありがとう、名誉女爵ブランカ」


「……そう言ってもらえると救われます」


 ニッと笑ったブランカの目から、涙が一筋だけ零れた。


・・・・・・・


「……恐縮に存じます、パウリーナ様」


 国葬の数日後。ブロムダール子爵家の屋敷に呼ばれた騎士ルーカスは、遠征中に世話になった礼という名目でパウリーナから渡された贈り物を手に、少し困惑した表情で言った。

 仕事として彼女を守っていたのだから、礼など不要なのに、と思いながら。


「こんなものでは身を守ってもらったお礼として不足かもしれませんが」


「いえ、むしろ過分な感謝をいただき畏れ多いと思っております」


 贈り物として凝った包装がなされた、社交の場で身につけるための装飾品が入っているという箱を手に、ルーカスは直立不動で答える。あくまで王国軍人としての態度を崩さない。


「ところで、騎士ルーカス殿」


「はっ。何でしょうか」


「……察してくださいませんか?」


 彼女は普段の無表情を崩し、少し緊張した様子で、その視線をルーカスの手元に向けた。

 つられて、ルーカスも手元の贈り物を見る。包装には、国花であるクロユリが一輪、さしてある。

 一輪のクロユリ。ハーゼンヴェリア王国の文化では、愛の告白を表す。

 もちろんルーカスもこの意味は察している。というより、今までの彼女の言動の裏にある感情には、薄々気づいていた。無骨で堅物な男である自覚はあるが、鈍感なつもりはない。


「……その、自分は一騎士です。自分の方から一歩を踏み出すことは許されません。どうかご容赦を」


 ルーカスはそう答えた。

 騎士とはいえ平民で、おまけに亡き父親のことで複雑な境遇にある。一個人として王家と国に忠誠を示してきたつもりではあるが、貴族令嬢を相手に「貴方は私のことが好きなのだろう」などと気軽に言える立場ではない。


「では、私の方から一歩踏み出せば応えてくれますか?」


「それは――」


「あなたが好きです。騎士ルーカス殿」


 直球の告白に、ルーカスは押し黙った。パウリーナの顔は少し赤くなっていた。


「命を救われたからだけではありません。あなたの騎士としての在り方を、一人の女として尊敬しています。私は一人の臣下として王家をお支えしていますが、一人の女としては、あなたを支えて差し上げたいと思っています。愛を以て」


「……光栄の極みに存じます。ですが、ブロム――」


「父の許しは得ています。あなたのような立派な騎士であれば、ブロムダール子爵家に歓迎すると父は言っています」


 それを聞いたルーカスは、思わず微苦笑する。

 ぬかりない。さすがは国王付副官だ。そう思いながら片膝をつき、彼女の手をとる。


「あなたのような素晴らしい女性から愛を伝えていただけるとは。これほど名誉で嬉しいことはありません。私のような男でよければ、是非これから共に人生を歩ませてください」


「っ!」


 自分から告白しておいて、パウリーナは驚きに目を見開く。顔が真っ赤になる。

 そんな反応を見て微笑を浮かべながら、ルーカスはパウリーナの手の甲に軽く口づけした。



★★★★★★★


次回で本編完結です。

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