第34話
「おっ……王女殿下っ?!」
まさか王族がこんな場末の店にお越しになるとは思わなかった。
慌てて頭を下げるために膝を曲げようとした私に、王女殿下が「そのままで大丈夫よ」と声を掛けてくれた。
「驚かせてごめんね。どうしてもフロレンティーナがアンさんにお礼を言いたいって言うから、連れてきたんだ」
「いえっ、その、御礼だなんて……っ! 恐れ多いです!」
アワアワする私を見て、王女殿下がふわりと微笑んだ。
(うわぁ……っ!! すごく綺麗……!! もしや女神様……?!)
突然の登場に驚いて気付かなかったけれど、王女様の微笑みに我に返ってみれば、王女様はめちゃくちゃ美しい人だった。
「うふふ。私、アンさんにお会いできるのをとても楽しみにしていたの。いつも素晴らしいお花を有り難う。それにマイグレックヒェンのことも。貴女は私の命の恩人よ」
王女様はそう言うと、私の目の前までやってきて、私の両手をギュッと握ってくれた。
「ひ、ひゃいっ! ととと、とんでもないれす!」
天上人のような美しい顔を、間近で見た私はあまりのことに失神しそうになる。自分でも何を言っているのかわからない。
「フロレンティーナ、アンがパニックになっている。手を離してやってくれ」
私の様子にヤバいと思ったのか、ジルさんが助け舟を出してくれた。だけど王女様はそれがご不満のようで、むうっと頬を膨らましている。
……そんな表情すら綺麗だなんて、神様は不平等だと思う。
「まあ。ジギスヴァルトったら。やっとアンさんに会えたのに、邪魔をしないで頂戴」
「むぅ……。いや、しかし……っ!」
言い合いに発展しそうな雰囲気に、ヘルムフリートさんがすかさず待ったをかける。
「まあまあ。二人とも落ち着いて。フロレンティーナもここで騒いだら街の人にバレちゃうよ」
「あ、そうね! 今はお忍びで来ていたのだったわ!」
「……うむぅ」
私はジルさんと王女様を宥めるヘルムフリートさんを見て、随分手慣れているな、と思う。
そう言えば三人は幼馴染だと聞いたことがあるような気がする。
「アンさん、悪いんだけど温室にお邪魔してもいいかな?」
「あ、はい! もちろんです!」
今までお店にいたけれど、いつ人が来るかわからない。ヘルムフリートさんが言うように、早く場所を移動した方が良いだろう。
私はお店の奥にある扉を開き、お三方を更に奥の温室へと案内した。
「うわぁ! ここが噂の温室なのね! すごいわ!」
初めて温室を見た王女様が感嘆の声を上げる。
確かに、ガラス張りでドーム状の天井は圧巻で、そこから光が降り注ぐ光景は素晴らしいと自分でも思う。
私は温室を見学して貰っている間に、キッチンでお茶の準備を済ますことにする。
だけどクロイターティはすぐ用意できたものの、お茶菓子はプレッツヒェンしか無い。
新しいお菓子を用意しておこうと思っていたのに、この忙しさですっかり失念していたのだ。
「あの、お菓子がプレッツヒェンしか無くて……。失礼じゃなければ良いのですが……」
王女様にお出しするのがプレッツヒェンなんて、不敬にあたりそうな気がするけれど。
「まあ! これが例のプレッツヒェンね! 嬉しいわ! 私、ずっと食べてみたかったの!」
王女様は私がお出ししたプレッツヒェンをとても喜んでくれた。私の心配は杞憂だったようだ。
「うむ。やはりアンが作るプレッツヒェンは美味いな」
前回と同じように、ジルさんがプレッツヒェンを褒めてくれた。私はお世辞じゃないジルさんの言葉に嬉しくなる。
「うんうん、本当に美味しいよね。この前フロレンティーナに自慢したら『ずるい』って言われたから、出して貰えて助かったよ」
「ヘルムフリートが何度も自慢するからよ! そんなことされたら食べたくなるのは当たり前でしょう?」
「羨ましがるフロレンティーナが可愛くてつい……。ごめんね?」
ヘルムフリートさんと王女殿下がいちゃついている。お二人からのラブラブオーラが地味にツライ。
「ヘルムフリートの言う通り本当に美味しいわ! 毎日食べたいぐらいよ! このお茶もスッキリしていて良い香りだし、お店が出せそうね!」
「あ、有難うございます……! お気に召して貰えて嬉しいです!」
まさか自分が作ったプレッツヒェンやクロイターティを王女様に気に入って貰えるとは思わなかった。
「そう言えば最近、話題になっているお菓子のお店があるのだけれど。アンさんはご存知かしら?」
「いえ、全く。どんなお店なんですか?」
以前は新しいお店の情報をお客さんから聞いていたけれど、最近は全然聞いていなかった。
「モーンクーヘンが売りのお店らしくて、美味しいってとても評判になっているのよ」
モーンクーヘンとは、モーンの実を使った焼き菓子で、サクサクとしたプレッツヒェン生地にモーンマッセをたっぷりと詰め、ぼろぼろとした食感のシュトロイゼルを振りかけている。
モーンの実のプチプチとした独特の食感や、ノワゼットのような深く芳ばしい風味が魅力のお菓子なのだ。
「あの『プフランツェ』を経営している会社の、新しい事業らしいわ」
「へぇ……! 凄いですね……! 私も食べてみたいです!」
「む。アンが興味あるなら買ってこよう」
「えっ!」
突然ジルさんが立ち上がって驚いた。
「ははは。ジギスヴァルトはちょっと落ち着こっか。今日はこうして集まっているんだし、モーンクーヘンは次の機会にしようよ」
「……む」
「それにモーンクーヘンを口実に……」
「……なるほど」
ジルさんの暴走をヘルムフリートさんが止めてくれたみたいだけれど、何やら二人でコソコソと話している。
何を話しているのだろう、と耳を澄ましてみるけれど、全く会話は聞こえない。
「あの二人は放って置きましょう。それより、さっきはジギスヴァルトに止められたけれど、私婚約式のこともお礼を言いたかったの。本当に有難う。素晴らしい花だったわ」
「あ、有難うございます……! 身に余る光栄です!」
「婚姻式の時もぜひマイグレックヒェンで神殿を飾って欲しいわ」
「はい、殿下がお望みでしたら用意させていただきます」
婚約式の花は色が付いている花を使ったけれど、婚姻式には白い花がメインとなるので、マイグレックヒェンはぴったりだと私も思う。
「フフ。楽しみだわ。そうそう、マイグレックヒェンを貴族のご令嬢たちがとても欲しがっていたわよ。今売りに出すととんでもない高値で取引されるかもね」
「ふぁっ?!」
王女殿下はそう言うと、いたずらっぽく微笑んだ。
やけにマイグレックヒェンを欲しがる人が多いな、と思っていたけれど、そういう理由か……と納得する。
紫のマイグレックヒェンなら手に入るけれど毒があるし、同じ花の形でも色が違うと印象が全く違うから、確かに希少性はすごく高いのかもしれない。
「あ、そう言えばアンさん。お店に花が全く無かったけど、今日お店はお休みだった?」
ジルさんと内緒話をしていたヘルムフリートさんが、思い出したように尋ねてきた。
「いえ、それが……」
私はお店の現状をヘルムフリートさんに説明する。
貴族の使用人らしき人たちが花を買い占めること、マイグレックヒェンを売れとしつこく迫ってくること──。
「……アンさんごめんなさい。私が浅はかだったばっかりに、迷惑をかけてしまったわね」
「ひぇっ?! いやいや、王女殿下のせいではありませんから!! それに私の花を喜んで下さったこと、本当に嬉しかったんです!!」
まさか王族の方から謝られるとは思わなかった。私のような平民に王女様が頭を下げるなんて、あってはならないことなのに。
「いや、僕たちがアンさんの花を自慢しちゃったのも原因だと思う。これ以上迷惑をかけないよう貴族たちに通達を出しておくよ」
「うむ。それでも無理を言ってくる貴族がいれば教えてくれ。俺が処理する」
「へっ?! しょ、処理……」
ヘルムフリートさんの申し出はとても助かるけれど、ジルさんの発言が物騒すぎる。
「マイグレックヒェンのことも安心していいよ。王家が特別に用意した花だから、市場には出回らないってことにするから」
「あ、それはとても助かります! よろしくお願いします!」
まさかエマさんとヒルデさんが言ったことが現実になるとは思わなかったけれど、王女様とヘルムフリートさんのおかげでお店の問題はすっかり解決することとなる。
それから、ヘルムフリートさんは早速行動に移してくれたらしく、花の買い占めはなくなり、いつものお客さんたちにも花が行き渡るようになった。
それでもお客さんの数は増え続け、連日お店は大盛況だ。
「──はい、おまたせしました! こんな感じで大丈夫ですか?」
「わぁ! すごく素敵! お母さんが喜ぶわ! 本当に有難う!」
毎日目が回るほど忙しいけれど、私が作る花束を見た人の笑顔に、私はこの仕事を続けて本当に良かったな、と思う。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
なんだかここで完結しても良さそうですが、もう少し続きます。(*ノω・*)テヘ
次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます