第33話
私は今、かつてないほどの危機に見舞われていた。
「おいおいアンちゃんよぉ。もう売り切れちまったのか?」
「あ、ロルフさん。はい、今日の分は全て売れてしまったんですよ。そういえばプレートそのままでしたね……すみません!」
常連のロルフさんがお店に来てくれたけれど、お店のバケツはすっかり空っぽになっていた。
それは何故かと言うと、婚約式が終わった次の日から急にお客さんが増えて、あっという間に花が売り切れてしまうからだ。
「貴族のお使いらしき人たちが何人も来て、ごっそりと花を買い占めて行くんですよ」
「あ〜。お貴族様はなぁ……。金に糸目はつけねぇしなぁ……」
まさかこんなことになるなんて、ちょっと前までは全く想像もしていなかった。
「私のお店の花を気に入ってくれるのは嬉しいんですけど、常連さんや普通のお客さんに申し訳なくて……」
すぐ売り切れるからと言って、場所のこともあり花を増産することは出来ない。
予約制にすることも考えたけれど、管理が大変だから手が回らなくなるだろうし。
「さすがにアンちゃん一人じゃ無理があるんじゃないか? いっそのこと正式に人を雇うのはどうだ?」
ロルフさんが言っているのは、フィーネちゃんのようにお手伝いしてくれる人ではなく、ちゃんと雇用契約を結んだ人のことだろう。
「……それも無理なんですよね……」
私の魔法のことが知られてしまう可能性があるから、人を雇うことは出来ない。いくら秘密にしていても、何かの拍子でバレてしまうかもしれないのだ。
フィーネちゃんにもいつバレるかハラハラしているのに。
結局ロルフさんは「また来るわ」と言って帰っていった。
私はロルフさんの帰って行く後ろ姿を眺めながら、申し訳ない気持ちになる。
ロルフさんを見送った後、私はお店のプレートを『閉店』にすると、温室へと向かった。
そして花畑で花のお世話をしながら、今後のことを考える。
「うーん、これからどうしようかなぁ……」
商売的には喜ばしいことなのだろうけど、個人的にはとても困ってしまう。
昨日なんてお母さんに贈る花束が欲しいと、お店に買いに来てくれた子がいたのに、花が売り切れで断らなきゃいけなかったし……。
(あの時は辛かったなぁ……。すっごくガッカリさせちゃったもんなぁ……)
このままだと私のメンタルがヤバい。
しかも問題はそれだけじゃなく、白いマイグレックヒェンを買い求める人が毎日大勢やって来るのだ。
今は入荷の予定がないと張り紙をしているけれど、それでも貴族の使用人はめちゃくちゃ諦めが悪かったりする。
(ジルさんが来たら相談してみようかな……)
──私は婚約式が行われた日の夜を思い出す。
ジルさんは仕事の合間を縫って、わざわざお店まで私の様子を見に来てくれたのだ。
「……アン。婚約式の花、とても素晴らしかった。出席した貴族たちも大絶賛だった」
「本当ですか!? うわぁ〜〜! よかった〜〜!!」
ジルさんから話を聞いた途端、私はヘナヘナと力が抜けてしまった。
今回の仕事は私だけではなく、王女殿下たちの沽券にも関わってくるので責任重大だったのだ。
「本当だ。フロレンティーナが感動して泣いていたぐらいだ。国王陛下も見事だと褒めておられた」
「えぇ……っ! そ、そんな……っ!」
王女殿下が泣いて喜んでくれたのなら、花屋冥利に尽きるというものだ。
「マイグレックヒェンを使ったことで、甘い雰囲気の中に清楚さが加わって婚約式にぴったりだ、とヘルムフリートも言っていたしな」
「嬉しい……! マイグレックヒェンはお二人と繋がりがあるし、どうしても使いたかったんです!」
「その選択はとても良かったと俺も思う。今回のことでアンの名声が王国中に広がるかもしれないな」
「いやいや、ジルさんってば持ち上げ過ぎですって!」
……なんて会話が現実になるなんて。
あの時の私は装花の成功を暢気に喜んでいたのだけれど……。
まさか花が早々に売り切れるほどお客さんが殺到するとは思わなかった。
「……どうしようかなぁ〜〜……」
本日何度目なのかわからないため息をつきながら、幸せが逃げちゃうなーと思っていると、誰かがお店のドアを開けたのか、ドアベルの音が鳴っていることに気付く。
今日はもう『閉店』のプレートに変えたのに、一体誰だろう? と思っていると、「誰かおらんかぁっ!!」という怒鳴り声が聞こえてきた。
「は、はい? えっと、どちら様で……?」
私が慌ててお店に戻ると、そこには身なりが良さそうなおじさんと、お付きの人らしき男の人が立っていた。
「我はバルチュ男爵であるっ! お前がここの主人か?! ならば話は早い。この店を我に明け渡して貰おう!」
「はぁっ?!」
いきなり店にやって来て、とんでもないことを言い出す貴族に驚いた。
「聞こえんのか? この店を我によこすのだ。ほら、金ならやろう。これで十分であろう?」
貴族は懐から袋を取り出すと、私の足元に向かってぽいっと投げた。袋の中から硬貨がこすれる音がする。
「いやいや、そんな事言われても困ります! 私はこの店を手放す気はありません!」
いくらお金を積まれたとしても、私がこの店を売るなんてありえない。
……っていうか、こんな無茶な要求に私が従うと思われていることに腹が立つ。
「我はバルチュ男爵だぞ! たかが花屋の店主ごときが逆らうでないわっ!!」
男爵だからなんだと言うのか、貴族なら何でも許されるのか、メチャクチャな言い分に私の怒りが頂点に達した、その時──。
「……ほう。いきなり有無を言わさず、端した金で店を奪い取ろうとは。男爵とは随分偉いのだな?」
「誰だっ?! 私はバルチュ男爵だ……ぞ……? え……?」
言い争っている私と貴族の間に、聞き覚えがある美声が割って入ってきた。
「あ、ジルさん……!」
「ま、まさか……っ! リーデルシュタイン卿……?! な、何故卿のような方がこんなところに……っ?!」
すごく良いタイミングで店にやって来たのはジルさんだった。
腐っても貴族なのだろう、ジルさんのことを当然知っていた男爵は、彼の鋭い眼光に顔が真っ青になっている。
「なんでって、そりゃあお気に入りの店だからに決まってるでしょ」
更にジルさんの背後から、ひょっこりとヘルムフリートさんが顔を出す。
「な……っ! ロ、ローエンシュタイン卿まで……っ?!」
大貴族で、国防を担う重職の二人の登場に、男爵の顔は青から白に変化する。
「このお店に婚約式の装花を依頼したのは僕たちだよ? 結婚式の装花も依頼するほど気に入っている店に、何手を出そうとしているの?」
「……っ! ひぃっ!? も、申し訳ありませんでしたっ!! ど、どうか! どうかお許しくださいっ!!」
ヘルムフリートさんの怒りが滲んだ言葉に、男爵が恐れ慄いている。
いつも穏やかなヘルムフリートさんの怒る姿は、悪くもないのに謝りたくなるほど怖い。
「バルチュ男爵だっけ? 君のことはよーく覚えておくよ」
「はいっ! はいっ! まことにっ! まことに申し訳ありませんでしたぁっ!!」
男爵はそう言うと、慌ててお金の入った袋を回収してお店から飛び出して行く。そんな男爵の逃げ足の速さを、私はポカーンと見送るしかなかった。
「アン、大丈夫か?」
私が貴族に脅されてショックを受けたと思ったのだろう、ジルさんが気遣うように聞いてきた。
「あ、はいっ! 驚いただけなので、大丈夫ですよ。助けていただいて有難うございました! あ、ヘルムフリートさんも有難うございます!」
「いやいや、アンさんが無事で良かったよ。でも、ああいう輩のせいで貴族の印象が悪くなるんだから……ホント、いい迷惑だよね」
ヘルムフリートさんがやれやれとため息をついた。
確かに、私はジルさんやヘルムフリートさん、フィリベルトさんにディーステル伯爵のように、優しくて威張らない貴族の人もいるのだと知っている。
だけど、普通の平民はそんな高位の貴族と接する機会が殆どないのだ。
なのに接する機会がある貴族の爵位は大抵低位で、しかもそんな貴族は大概傲慢だったりする。
「あの、よろしければ中にお入り下さい。お時間があるのでしたら、お茶をお出ししますけど……」
「ああ、すまない。そうして貰えると有り難い」
「アンさん、実はもう一人いるんだけど……良いかな?」
ヘルムフリートさんはそう言うと、後ろの方にいたのだろう、ローブをすっぽり被っている人を連れて来た。
「はい? もちろん私は構いませんけど」
断る理由がなかった私はあっさりと了承する。
ジルさんやヘルムフリートさんと一緒にいる人なのだから、少なくとも危険人物では無いだろうし。
「了承いただけて良かったわ。私、見るからに怪しいから、断られただどうしようって思っていたの」
「……へ?」
ローブで顔を隠していたから、きっと訳ありだろうな、と思っていたその人から聞こえてきたのは、若い女性の声で。
「アンさん、初めまして。私フロレンティーナと申します」
そう言ってローブを脱いで自己紹介してくれた人の名前は、この国の王女殿下と同じ名前だった。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
王女様ご来店☆
次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)
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