第32話
「わぁ! これ、マイグレックヒェンですよね?! 色が紫じゃないなんてビックリです!」
「白いマイグレックヒェンなんて初めて見る! すっごく可愛い!」
会場の装花を手伝ってくれているエマさんとヒルデさんが、マイグレックヒェンを見て感動している。
多種多様な花を扱っている『プフランツェ』でも白いマイグレックヒェンは扱ったことはないだろうから、当然なのだろうけれど。
「でもマイグレックヒェンって毒がありませんでした?」
「私も鉢植えでしか見たことがありませんね」
「あ、この白いマイグレックヒェンには毒がないので大丈夫です!」
私はエマさんとヒルデさんを安心させるように言った。
「毒がない白いマイグレックヒェンなんて……希少種じゃないんですか?」
「えっと、王女殿下とヘル……ローエンシュタイン卿のお気に入りの花なんです。だから婚約式に使ってみたいなぁって……」
「ああ、今回のために特別に取り寄せたんですね」
「市場に出回らない花みたいだし、王家の伝手でも使ったのでしょうね」
「……そう、なのかな……?」
お二人が勘違いしてくれて助かった。私の魔法のことは秘密だと言われていたのに、こんなところでバレたりしたらジルさんから大目玉を食らうかもしれない。
「えーっと次は……っと」
私はマイグレックヒェンのことを誤魔化すように作業に集中した。
葉物を挿した土台にローゼやブプレリウム、ヴィッケにアドーニスレースヒェンを高低差に気をつけながらどんどん挿していく。
ちなみに花を挿す時、高低差をつけると奥行きが出て華やかさが増し、自然な感じに仕上がるのだ。
「……ふぅ。こんなものかな?」
最後にマイグレックヒェンを挿し、ようやく装花が完成した。
温室で育てた花を総動員し、これでもか!というほどの量の花を使って作った装花は、自分でも会心の出来になったと思う。
「すごい! アンさんすごいです!」
「うわぁ……! 作業を見ていた自分でも驚くのに、明日初めて会場を見る人は腰を抜かすかもしれませんね」
「え、そうかな? だったら嬉しいな」
「いやいや、本当に素晴らしい出来ですよ! もっと自信持って下さい!」
「そうですよ! 王女殿下たちも大喜びされますよ!!」
経験者である二人に褒められて、私はようやく肩の力を抜くことが出来た。
「エマさんとヒルデさんもお手伝い有難うございました。お二人のおかげでとても助かりました」
実際、自分一人だったらまだまだ時間がかかっていたと思う。二人が手伝ってくれなかったら、きっと明け方まで作業していただろう。
「こちらこそ有難うございます。とても楽しかったです」
「すごく勉強になりました! 私も楽しかったです!」
お互いお礼を言い合った後、もう遅いからと二人には先に部屋へ戻って貰った。
夜に作業するということと、まだ若い女性だということもあって、私たちはそれぞれ王宮の使用人用の宿舎に泊めて貰う手筈になっているのだ。
私は二人を見送った後、装花の最終確認をするために神殿に戻る。
そして一通り確認を終えてベンチに座ると、どっと疲れが押し寄せてくるのを自覚する。
「は〜〜……疲れた……」
ベンチに座りながら会場を見渡しているうちに、なんだか眠くなってきた。
(……あ……このまま座ってたら眠っちゃう……立ち上がらないと……)
ここで眠る訳にはいかないと必死に睡魔と戦ったものの、やり遂げた達成感と無事に終わった安心感、更に深夜まで作業したことで、限界だった私の意識はどんどん夢の中へと落ちていく。
そうして意識が完全に落ちる寸前、誰かが神殿に入ってくる気配を感じたけれど。
よく知っているような、馴染みある気配に気が緩んだのかもしれない。
誰が来たのか確認する間もなく、私は意識を手放したのだった。
* * * * * *
「……うう〜ん……んん?」
疲れが溜まっていたのか、未だに意識が混濁している私がうつらうつらと微睡んでいると、やけに部屋が明るいことに気が付いた。
いつも私が起きる時間は日が昇る前で、部屋の中は薄暗いはずなのに……と考えて、はたと気が付いた。
「えっ?! な、なになに?! ここ何処っ?!」
驚いて飛び起きてみれば、視界に入ったのは綺羅びやかな、すごく豪華な部屋だった。
「えぇーっと、最後の記憶は……」
私は混乱しながらも、頭の中から記憶をひねり出そうと努力した。
そうして思い出したのは、装花が完了した大神殿の風景と、知っている人の気配と落ち着く香りに、包まれるような温かい感触──……。
「あれっ? あれれれ?! 一体誰が……っ?!」
もしかして誰かがこの部屋まで私を運んでくれたのだろうか……と必死に思い出していると、髪の毛が解けているのに気が付いた。
「あっ!! 髪留めは……っ?!」
ジルさんに貰った髪留めが外れていたので、一瞬失くしたのかと思ったけれど、私の髪留めはサイドテーブルの上に置かれていた。
「良かった〜〜!」
どうやら私をこの部屋に運んでくれた人は、神殿で寝コケていた私を見付け、ご親切に宿舎まで運んでくれたようだ。
「それにしても……豪華な部屋だなぁ……」
改めて周りを見渡してみると、寝かされていた部屋は私の部屋より十倍は広かった。しかも寝ていたベッドは天蓋付きで、調度品も上質なものばかりだと平民の私でもわかる。
……王宮の使用人用の宿舎にしては豪華すぎる気がするけれど。
さすが王宮の使用人は待遇が違うなぁと感心していると、誰かが部屋をノックした。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは年配の女性で、いかにも仕事が出来る人の雰囲気が漂っていた。
「お目覚めのようでしたので、お声掛けさせていただきました。わたくしは侍女長のイルマと申します。アンネリーエ様のお世話を仰せつかりました。どうぞよろしくお願い致します」
「えっ?! お世話、ですか? いえいえ、そんなお世話なんて結構ですから! お気持ちだけで十分ですので!」
一眠りしたら自宅に帰るつもりだった私は、突然の申し出を困惑しながらも辞退する。
しかも侍女長さん自らお世話って、身分違いも甚だしいのが自分でもわかる。
「ですが、わたくしはジギスヴァルト様よりアンネリーエ様をもてなすよう命を受けております。その命に背くわけには参りません」
「ジルさんが?! え、じゃあ、ここは……?!」
「こちらはリーデルシュタイン公爵家の屋敷でございます」
「な……っ?!」
てっきり王宮にいると思っていたのに、私はいつの間にかジルさんのお屋敷に連れて来られていたらしい。
(いくら疲れていたっていっても、全然気付かなかったなんて……! うわーっ! 恥ずかしいーっ!!)
ジルさんに寝顔を見られたのだと思うと、恥ずかし過ぎてジルさんと顔を合わせられない。よだれを垂らしていたらどうしよう……!
「アンネリーエ様がお疲れのご様子だったのでお連れした、とジギスヴァルト様が仰っておりました。目覚められるまでそっとしておくように、とも。ちなみにジギスヴァルト様は現在王宮にて任務につかれております」
寝落ちした私をジルさんが運んでくれたのかな、と薄々予想はしていたけれど、人の口から説明されるととてつもなく恥ずかしい。
「……あ、そうなのですね。お気遣いいただき有難うございます……っ! あの、今何時頃でしょうか?」
私が起きるまで待っていてくれたと聞き、申し訳ないと思いつつ現在の時間が気になった。もうすっかり日が昇っているから、結構な時間になっているかもしれない。
「只今の時刻は午後3時を回ったところでございます」
「さ、3時?! え、そんなに経ったのですか?!」
まさか午後を過ぎているとは思わなかった。いくらなんでも眠り過ぎだ。
一体どれだけ疲れていたのだろう……。
(あっ!! そう言えば婚約式はどうなったのかな……? もうとっくに終わってるよね……)
このままジルさんのお屋敷でお世話になる訳には行かないし、婚約式のことも気になるし、今はとにかくお店に戻ってゆっくりしたい。
「あの、自宅に帰りたいのですが、私の荷物が何処にあるかご存知ですか?」
「はい。お荷物なら預かっております。お帰りになるのであれば馬車をご用意するようジギスヴァルト様から言付かっておりますので、どうぞそちらをご利用下さい」
ジルさんは眠っている私と一緒に荷物も回収しておいてくれたようだ。しかも私の希望を聞くよう手配までしてくれていたとは、なんて気が利く人なんだろう。
「有難うございます! お願いします!」
イルマさんにお礼を言い、家に帰ろうと馬車が待つ場所へ向かうべく、お屋敷から出た私は驚いた。
廊下やら玄関ホールを見た時も思ったけれど、目に入るもの全てがとにかく豪華絢爛なのだ。しかも外に出て見てみれば、お屋敷はすごく大きくて庭もめちゃめちゃ広かった。門や塀が全然見えないし。
まるで村が一つすっぽりと入ってしまいそうなほど広大な敷地にポカーンとなる。
そしてジルさんが用意してくれていた馬車は、以前私に贈ると言ってくれた馬車だった。
でも以前より綺麗に改装されていて、なんとなく女性用っぽく見えるのは考え過ぎだろうか。
私は馬車に揺られ、流れる景色を眺めながら、ぼんやりと婚約式のことを考える。
(何事もなく式が無事に終わっていれば良いけど……)
──この時の私は、今回の婚約式がどれだけ注目されていたのか全く気付いていなかった。
そして婚約式の装花を見た貴族たちから広まった噂が、社交界で話題になることも。
* * * * * *
お読みいただきありがとうございました!( ´ ▽ ` )ノ
アンちゃんピンチ!(違う意味で)
次回もどうぞよろしくお願いします!(*´艸`*)
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