山は遥かに

山田とり

ここまで来たよ


 風のとまったこんな夜には、君に会いに行けるんじゃないかと思うんだ。

 この水面みなもに映る天の川を渡って。

 天空の池塘ちとうに浮かぶ星の大河。宇宙そらを行く舟は、どこにあるだろう。

 ねえ。

 追いかけてみたら、君はそこにいるだろうか。



 


 ***



「あいつのGPS、捕捉できてるか!?」

「大丈夫、時々消えるけど写ってる。岩陰にでも避難してるのかも」

「じゃあまだ救助ヘリは判断待ちだ……くそ高価たかくつくからな」

「天野さんなら山岳保険つけて入山してんじゃないの?」

「さあな。それは絶対、本人に確認とってやるよ!」


 こんなことなら一人で登らせるんじゃなかった、と俺は後悔している。

 いくら遥香さんの慰霊登山とはいえ、いや慰霊だからこそ、一人にするべきじゃなかった。

 山では「呼ばれる」なんてこともよくあるんだ。


 天野は若いが経験豊富だ。日本の山なら五日かけて尾根を縦走するぐらいいつものことだった。だから冬山でもないこの季節に一泊で登るぐらい、わけはない。

 目的地が遥香さんの滑落した場所だということをのぞけば。


 週末の賑わいを避け、火曜日にひっそり登ったはずだった。

 その夜を山頂手前の池塘でテントを張り、翌日下山。そう入山届けも出してあった。

 今日は木曜日。まだ一日過ぎただけだ。

 だが俺は胸騒ぎがして仕方なかったんだ。遥香さんを亡くして、あいつがどれほど落ち込んでいたかよく知っていたから。


「くそ……電話つながらねえな」

「壊れたのかな」


 不安になることを言わないでくれ。滑落した彼女の時も、電話は無惨にひしゃげて発見された。


 下山予定を過ぎて連絡がつかなかったことで、登山仲間の俺達はすぐに行動を起こした。

 特に俺はもしかしたらと準備していたもんだから、むしろみんなから非難されたぐらいだ。最初からついて行けばよかったと。


 俺達は早朝から四人で入山した。山慣れたこの面子で景色などそっちのけで登れば、昼にはキャンプしたはずの池塘だ。

 あいつが怪我などしていても、その日の内に俺達の自力で山を下ろすこともできるだろう。それぐらいの装備はある。


「GPS上だと、キャンプ地出て滑落現場の尾根に出る手前だな」

「あの辺、そんなに危険はないはずだが」

「浮き石でも踏んだか」

「らしくないぜ」


 確かにらしくない。

 だがそれほどに人を狂わせるのが山だ。ここでは何があっても不思議じゃない。だから俺達だって、繰り返し山に登るんだろう。

 だが、今日は捜索・救助だった。狂わされるわけにもいかず、俺達は地道に進んだ。

 ふと空を見上げて息を吸うと、宇宙まで続く青に飲み込まれるような心地になる瞬間もあったけれど。



「いた!」

「天野!」


 あいつは生きていた。少しルートから横に落ちた岩の陰で、ぼんやりと座り込んでいた。

 そして俺達を見ると、諦めたように笑ったんだ。



 俺は知っている。あいつはGPSとセットで救助要請できる発信器を持っていた。

 たかが捻挫とはいえ、歩けないのなら夜明かししないで迷わず使うべきなのだ。何故そうしなかったのか。

 背負われて下山する天野に、俺は言った。


「呼ばれたのか」

「――いや」


 申し訳なさそうに首を振る。


「逆だ。こっち来んなって言われたよ」

「――遥香さんらしいな」


 会えたらしいことは、もう当たり前のように誰も何も言わない。

 だってここは、山なんだからな。


「尾根まで行ったら遥香と同じ所で落ちるだろうから、あっち行けって突き飛ばされて転んだのさ」

「ひでえな」


 遥香さん、さすがにそれはどうかと思う。


「やっと話せてよかったよ。何も言わずにいなくなったから」


 ――強がってそうは言うが、助かりたいと思っていなかっただろう? 救助も呼ばず、俺達を見てあんな顔をしてさ。

 俺は背負われたままの天野の頭をどついてやった。


「生きろよ」




 ***






 友人の背に揺られるこんな帰り道なら、君は笑ってくれるんじゃないかと思うんだ。

 夜の水面みなもに映る天の川は渡れなかったけど。

 天空の峰に君がいるなら、自分の脚で山に登り続けるよ。

 いつか。

 たぶん遥かな先になるけど、追いかけるから。

 君はそこで待っていてくれ。







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山は遥かに 山田とり @yamadatori

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