第2話

「おばあ様、この男は詐欺師でございます。典型的なオレオレ詐欺の手口で、おそらく、いや間違いなく、電話をしてきたのは道夫さんではございません」

 もう回りくどい方法はやめて、さっさと終わらせてしまおうと思った。

 えっ、と婦人が口を開けた。

 男が脚を止め、振り返る。

「テメエ、何いってんだよっ。ふざけたこと抜かしてると――」そこまでいって口をつぐんだ。

「おや、どうされたのですか。私がふざけたことをいうと、どうなるのでしょうか。まさか東京湾に浮かんでしまうのでしょうか」

 雫はゆっくりと男に歩み寄った。立ち止まり男を見上げる。

「あなたさっきから聞いていると言葉遣いがなっていないですね。ユニバース証券といえば一部上場の有名企業、社員教育もしっかりしています。私が知る限りあなたのような言葉遣いの社員はお会いしたことがありません。それに――」男のスーツを指差しながら言葉を続けた。「サイズが合っていないぶかぶかのスーツ。ネクタイの結びかたのきごちなさ。しかも靴はスニーカー。あなた社会人じゃありませんね。大学生? 高校生? それとも無職のアルバイトですか? 確かに騙したお金を受け取るだけのアルバイトは仕事の内容に比べて単価が高いけれど、警察に捕まって人生を台無しにしてしまうリスクを考えたら、全然、割に合わないと思いますよ」

「なっ、何を――」

 男のひるんだ顔を確認した雫は、もういちど婦人に振り返った。

「おばあ様、私、道夫さんを存じ上げているのです。私の自宅がこの近くにございますので、つい今しがたまで道夫さんと投資に関しての相談をさせていただいておりました。十一時くらいから二時間ほど、ずっと熱心に私の質問に答えて頂きました。道夫さんは大変に優秀な営業マンでいらしゃいます。おばあ様も、さぞかしご自慢のお孫さんでいらっしゃいますでしょう」

 雫はにっこりと婦人に笑いかけた。もちろん雫は道夫という男を知らない。

「えっ、みっちゃんと……」

 婦人が胸に手を当て、皺に弛んだ目を見開いた。

「おばあちゃん、騙されちゃ駄目だよっ。こいつは詐欺師だっ、適当なことをいっておばあちゃんを騙すつもりなんだよっ」

 男が叫んだ。

 雫はちっ、と口の中で舌打ちした。この男、なかなかしぶといですね。普通なら今の言葉で尻尾を巻いて逃げるはずなのに。

 雫は鼻から大きく息を吸い込んだ。自分でも目付きが鋭くなっているのがわかった。

「わかりました。そこまでおっしゃられては、私の名誉にかかわります」バックからスマホを取り出した。「今から道夫さんに電話をいたします。それでおばあ様に電話を代わり、お話いただきます。それなら私の申したことが真実であるとおわかりいたけるはずです」雫は婦人に目を向けた。「よろしいですか、おばあ様」

「あ……ええ、それなら」

 消え入りそうな声で婦人が頷いた。視線が雫と男のあいだを何度も行ったり来たりしている。

 雫は男に顔を向けた。スマホのボタンを操作しながら

「いいのですか。本当に連絡を取りますよ。もし本物の道夫さんが出たら、あなたは詐欺師確定です。お金を置いて逃げるなら今のうちです」

「や……やってみろよっ。そのかわり本物じゃなかったら――」男が雫に指を差した。「テメエが詐欺師確定だっ!」唾を盛大に飛ばしながら叫んだ。

 おや? ひょっとして私の勘違いだったのでしょうか。

 雫は、全身を強張らせて立ち尽くしている男を眺めながら思った。

 この男が詐欺師なら、十中八九、ここで逃げているはずだ。けれども男に逃げ出そうとする気配は見られない。

 可能性としては、本当にユニバース証券の社員であるのか、それともかなりのヤリ手詐欺師か。

 あるいは本物のお馬鹿さんなのでしょうか――。

 雫は男を眺めたまま、ふっと鼻から息を吐いた。私としたことが今さら迷うなんて。自分の判断に、間違いなどあるはすがないのに。

 雫は通話のボタンを押して耳に当てた。

 数回の呼び出し音の後、相手が出た。

『あ、もしもし。ハーベストの真行寺です。さきほどはどうも有難うございました』

 婦人と男に交互に目をやりながら頭を下げた。

 雫は相手に今まで見聞きしてきたこと、どうして電話をすることになったかの経緯を、かいつまんで説明した。

『それで今、となりにおばあ様がいらっしゃるのです。これから電話を代わりますので、道夫さんの口から直接、おばあ様に説明をしてあげて欲しいのです。よろしいですか……はい、では少しお待ちいただけますか』

 雫は婦人にスマホを差し出した。

「おばあ様、道夫さんが電話口に出ておられます。お話になってみてください」

「本当ですか。本当にみっちゃんが……」

 婦人がスマホを受け取り、恐る恐るといった感じで耳に当てた。

「もしもし……みっちゃん? 本当ににみっちゃんなの……ええ、ええ……えっ?」

 俯いて相手と話していた婦人の背が、ぴんと伸びた。雫と目が合う。同時にくるりと背中を向け、潜めた声で通話を続けた。

 雫はゆっくりと振り返った。男は唖然とした顔でその場に立ち尽くしていた。やっぱりこの人は本当のお馬鹿さんだ。

 雫は意識した笑みを顔に浮かべた。

「もう、おわかりですね。私は残念ながら詐欺師ではございません」眼鏡を中指で押し上げ、言葉を続けた。「拝見したところ、あなたはまだお若く、将来のある身でいらっしゃいます。従いまして今、この場に受け取った現金を置いかれるなら、警察への通報を見逃して差し上げます。どうなさいますか」

 雫は一歩前に出た。

 同時に男が後ずさった。ぶるぶると身体が震え始める。

「現金の入った紙袋をその場に置いてください。あとは決して後ろを振り返らずに全力で走ってお逃げなさい。私は決して追いかけませんので」

 かっと目を見開き、右手の人さし指で路地の先を示した。

「立ち去れっ、こわっぱっ!」

「ひ……ひいいいいっ」

 まるで汚らわしい物でも投げ捨てるように、男が紙袋を足もとに落とした。同時に身体の向きを変え、ものすごい勢いで走り去っていった。

 雫は男の後姿を眺めていた。男は雫のいいつけ通り、決して振り返ることなく路地の角に姿を消した。

 まさに、尻尾を巻いて逃げるという表現がそのまま当てはまる光景だった。

 全身に鳥肌が広がっていくのがわかった。力ではなく、知能で悪を排除する――この瞬間のためだけに、雫は今の仕事を続けている!

 ああ、快感ですぅ……。

 雫は目を閉じ、全身に行き渡っていく幸福感をしみじみと味わっていた。

「あの……すいません。ありがとうございました」

 背後から声をかけられ、我に返った。振り返ると、婦人がスマホを手にして立っていた。

 雫は婦人の存在を忘れて感情に浸っていた恥ずかしさから、ひとつ空咳をして笑みを作った。

「いかがでございましたか。道夫さんとお話できましたか」

「ええ、そりゃもう。みっちゃんは『そんな電話はしていない、仕事で失敗なんてしていない』といっていました」婦人は苦笑を浮かべ、頬に手を当てた。「私ったら、恥ずかしいわあ。振り込め詐欺なんて引っ掛かるはずがない、私はまだボケちゃいないなんて思ってたのにねえ……まんまと引っ掛かるところだったよ」

 婦人は安心して緊張が解けたのだろう。先ほどよりずいぶんと言葉遣いがくだけていた。

「最近のオレオレ詐欺は大変に手口が巧妙化しているのです」婦人に差し出されたスマホを受け取りながら、雫は言葉を続けた。「おそらく、おばあ様のもとには何日か前に、道夫さんを名乗る者から携帯の番号が変わったから登録を変更して欲しいと連絡があったはずなのです。いかがですか」

「あった、あった。だから私はみっちゃんのいう通りの番号に登録を変更したんだよ」

「そこが連中の手口なのです。そうやって番号を変えさせた後に、再度電話をかけるのです。するとおばあ様の携帯に表示された番号は紛れもなく道夫様の番号となります。おばあ様は疑うこともなく電話にお出になる。なぜならその偽の番号を登録したのは他ならぬおばあ様ご本人なのですから」

「あらまあ」婦人はあんぐりと口を開けた。「ずる賢い連中がいるもんだねえ」

 雫は男が投げ捨てた紙袋を拾い上げ、婦人に渡した。

「お気を付けになってください。身に覚えのない番号からかかってきてもお取りにならないことをお勧めいたします。何か大切な用があれば、相手は留守番電話に用件を入れるはずですから」

「そうだよねえ、そうするわ」

 婦人は感心したように何度も頷いた。

「では、私はこれで。失礼をいたします」

 雫は一礼して、この場を離れようとした。

「あっ、あんた。ちょっと待って」

「何か」

「あんたをこのまま帰すわけにゃいかないよ。何かお礼をしないと」

「いえいえ、そのようなつもりでお声をかけたわけではございませんから。お気になさらないでください」

「そんなわけいかないよ。袖すり合うも何かの縁っていうじゃないか。ましてやあんたとは袖すり合うどころの縁じゃないからね。ちょっとウチに上がっていきなよ、お茶でもご馳走するからさ」

 婦人が雫の袖を掴んだ。そのまま自宅に引っ張ろうとする。

 雫は思いのほか力強い婦人に引きずられるようにして、家の玄関をくぐった。

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詐欺師・雫(しずく)の善行 issei_sema @ISSEI_SEMA

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