元伝承・解説

 川越南町の通りに一匹の白狐が迷い出た。これを見た若年の数名が白狐を追い回し打ち殺し、白狐の肉を食したところたちまち熱病にかかった。さらに毎夜大きな火の玉が街に現れるようになった。川越町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、白狐の皮と骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した。昭和五五年(一九八〇年)に雪塚稲荷神社から石版が発掘され石板には「文政六年二月一二日御霊昇天」と刻まれたことから史実ということが分かった。現在では川越妖怪ツアー(ナイトツアー)で訪れることが出来るが、普段は観光客でにぎわう大通りの横にひっそりと横道があるので雪塚稲荷神社へは観光客もめったに来ない。このため知る人ぞ知る川越妖怪伝説となっている。この伝説と王子稲荷伝説を繋げた。王子稲荷神社は関八州の稲荷の大社としてだけでなく荒川流域が広かった頃は岸に鎮座した神社であるので川越と王子を結んでいた場所でもある。そして王子という場は江戸の入り口の街でもある。したがってこの作品は史実を元に出来上がった伝奇ファンタジー作品として仕上げることが出来ただけでなく武蔵野台地の広さを伝えることまで出来た。

 それだけでなくこの白狐は箭弓に仕える狐神なので箭弓稲荷神社まで舞台を広げることまで出来た。なお箭弓は「やきゅう」と読む事から現在では高校球児やプロ野球選手が願をかけることで全国的に知られる神社として有名である。

 狐はなんで肝を食うのかというとダキニ天の伝承に基づく。そう狐神というのは仏教ではダキニ天になるのです。箭弓稲荷神社は神仏混合の信仰の場であるからそのような設定になった。ただし肝を食われるまではその人間を守護し、肝を食べられた人間は極楽浄土に赴くとも言われている。狐神が神であり妖怪である姿はここから来ている。

 なお最後に……「川越いも」の発祥の地は川越市ではなく三富の東所沢である。

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肝を食われた狐 らんた @lantan2024

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