マイクロチップ

山猫拳

 入社式の後、オリエンテーリングで会社について様々な説明を受けた。ほとんどどは、勤めだしたら周りの人に聞けば、分かるようなことばかりだ。俺はぼんやりと、このオリエンテーリング後に行く店はどこがいいかを考えていた。


「なぁ、社員証の代わりに生体マイクロチップ推奨すいしょうだってよ……まじか」

「え? あ、あぁ……大企業って感じだな」


 壇上だんじょうしゃべっている女性の声に、耳を傾ける。俺の入った会社は、日本では割と有名な企業で、周辺地域にグループ会社や子会社が多く、いわば一つの都市のようになっていた。


 どうやらこの周辺都市は、政府が数年前に発表したInternet of Human、通称IoH構想都市こうそうとしの試験行政区域に指定されているらしい。


 その一環として、各種証明書の生体マイクロチップ化を、推進すいしんしているそうだ。生体マイクロチップにすると社員証の他に、プリカ、キャッシュカード、クレジットカード、免許証、保険証、パスポート、住民基本台帳じゅうみんきほんだいちょう、スマホやPCのアカウントに至るまで、全てまとめて管理可能だと言う。


「俺、マイクロチップ選ぼうかな。料金とかも優遇ゆうぐうだって、よさそうじゃん」

「マジで? オレはちょっと様子見てみる……」


 常に値引きされるし、カバンの中身を減らせる。海外では、すでに先進国のいくつかは生体マイクロチップを導入していて、インフルエンサー達は、その便利さをSNSでアピールしていた。


 生体マイクロチップといっても、親指の付け根に注射器で、1ミリにも満たないかたまりを注入するだけだ。大した負荷はなさそうだ。



 同期の六割くらいが俺と同じ選択をした。先輩社員は四割止まりらしい。生体マイクロチップを入れて、正解だと思った。どこに行っても、生体マイクロチップだと処理が早い。


 試験行政区域内には、生体マイクロチップ対応の機器が用意されている。スーパーやデパートでの買い物も、右手をかざすだけで清算が完了する。自動販売機も、病院も同じだ。


 休日は、友達とサッカーをすることが趣味だ。その練習試合で、ゴールポストに頭をぶつけて倒れた時、俺は身一つで病院に搬送はんそうされたが、生体マイクロチップのおかげで、個人情報が正確に医師に伝わり、迅速じんそくで的確な処置を受けることができた。


 その後、病院での定期検査も、受付に行って待たされることもなく、生体マイクロチップをかざし、しばらく待つと直接検診を受けて、自動精算して帰れる。しかも料金は全て優待ゆうたい価格。


 初めは生体マイクロチップを躊躇ためらっていた社員や住民も、ほとんどが生体マイクロチップを入れるようになり、数年であっという間に浸透しんとうした。そしてそれは、日本全国に普及ふきゅうした。

 


多くの人が持つようになると、当然ながら問題が出て来た。


「ねぇ、知ってる? 最近多いんだって、うちの社員を狙ったマイクロチップ強盗。総務部そうむぶ陣内じんないさん、親指の付け根までざっくり切られて、盗まれたらしいよ。口座のお金、ほとんど無くなってたんだって!」


「えー! やだ怖い……。ね、怖いよね? 大崎くんも気を付けなよ?」

「あぁ……そうだね。怖い怖い。まぁ、俺のなんか盗っても、金ほとんどないから、がっかりなんじゃん?」

「えー、うそ。絶対稼いでるって。大崎君、出世早いって、皆言ってるよ?」

「言うてもサラリーマンだからねー。ほら、こういう奴の方が持ってるよ。天才ハッカー宮田だってさ。銀行のサーバーに入ったんだって、凄くね? 金とか盗み放題だろ」


 俺はスマホに表示されたニュースを、彼女たちに見せる。さっきまで怖いなんて言っていたのに、今度は楽しそうに笑いだす。人生で起きる心配事なんてそんなものだ。誰しもが、本気で自分の身に起きるとは思ってない。


 企画会議の後、部長にメシに行かないかと誘われた。事業部の幹部も来るから、顔を出しておけと言われ、二次会まで付き合い、帰路きろに着く頃には、時計が天辺てっぺんまわっていた。俺は酔い覚ましにコンビニで炭酸水を買い、飲みながら、ふらふらと歩いていた。


 後ろに、誰かの気配を感じた。そう思って振り返ると、何かが振り下ろされた。それは俺の頭をかすめて、道路を叩いて、ガンと金属質な音を立てた。俺は道路に倒れ込んで、頭を押さえた。


 見上げると、覆面ふくめんかぶり、さらに棒を振り下ろそうとする姿を捕えた。反射的に、ペットボトルを投げつけたが、全然違う方向へ飛んでいく。二撃目が振り下ろされる。今度は背中を思いっきり叩かれた。


 背中の痛みで息がまり、思うように動けない。覆面ふくめんの犯人は、俺の右手を道路に押さえつけてナイフを取り出すと、親指と人差し指の真ん中の付け根に突き立てて迷いなく切り裂いた。


「っああああぁ……ぐっ……」


 傷口からマイクロチップをえぐり出される。痛みで反射的に、覆面ふくめんを蹴り飛ばした。覆面ふくめんの手から、マイクロチップが転がり落ちる。俺はその方向に走り、マイクロチップをつかんだ。同時に覆面ふくめんが俺を突き飛ばし、またマイクロチップが宙を舞う。覆面ふくめんとぶつかってみ合いになる。右手は痛い筈なのだが、そんなことよりもこの覆面ふくめんが許せなかった。


「おい! 何してるんだ!」

 道路の向かいから、誰かが怒鳴どなっている。その声に驚いた覆面ふくめんは、俺を殴り飛ばしてそのまま逃げて行った。俺は手の中にマイクロチップを持っていなかった。慌てて周囲を見回す。覆面ふくめんが逃げた方向にマイクロチップは落ちていた。あわててそれを拾い上げる。同時に猛烈もうれつな痛みが戻って来た。


「大丈夫か? こりゃひどいな……強盗か。待ってろ、救急車呼ぶから」

「何とか、取り返しました……」


 俺はその場にへたり込んで、傷口と傷口から流れ出る血を見て、少しだけ意識が遠のいた。ちゃんともとに戻るのだろうか?

 

 俺は救急病院に搬送はんぞうされ、傷口の縫合ほうごうとマイクロチップの再挿入を受けた。幸いにも、けんや神経は傷ついていなかった。傷がふさがれば、リハビリは必要だろうが、元に戻ると言われた。看護士がマイクロチップのデータを読み取る。タブレットを見て、少し眉をひそめる。


「もしかして、マイクロチップが壊れてますか?」

「え? あ、いえ、大丈夫ですよ。すみません、そちらの待合まちあいBで、しばらく待ってもらえますか?」


 待合室に向かいながら、ちらりと振り返ると、看護士が医師に耳打ちしている。何か不穏な空気を感じたが、俺はしばらく待合室で大人しく座っていた。


 外が何か騒がしい。麻酔が切れて来たのか、縫合ほうごうされた傷口が痛み始めた。早いところ帰って休みたい。もしかしたら、急患きゅうかんが入って俺のことを忘れているのかも。随分待ったし、自動精算機に手をかざせば、清算を終えて帰れるに違いない。


 俺は待合室を抜け出し、自動精算機に向かう。包帯の巻かれた手をかざすと、処置にかかった代金と患者名が表示された。だが、その名前は俺ではなかった。


「え? 清算データ間違い? 宮田賢二みやたけんじ……?」


 どこかで見たような名前だと思った。後ろの待合室にあるTVから、微かに『宮田容疑者……』という声が聞こえる。俺は振り向いてTV画面を見る。そこには俺の顔とその下に宮田賢二という名前が表示されていた。


『――宮田容疑者は、政府のデータベースに侵入、一時給付金の送金先データを改竄かいざんし、依然いぜんとして行方が分からないため、広域こういき指名手配――』


 前に見たハッカーの名前だ。このままここに居るのは危険だと思い、急いで出口へ向かおうとしたその時、俺は警察官三人に囲まれた。


「違う! 俺は宮田なんかじゃないんだ!」

「言い訳は署でいくらでも聞いてやる」

 警官が両側から俺の腕を掴んでくる。


「違うんだ、マイクロチップを取られそうになって……あの時、すり替えられたんだ! そうだよ、信じてくれよ、俺は大崎伊月おおさきいつきなんだ」


 溜息まじりに警官がタブレットを腰から外して、俺の顔をスキャンする。

「何言ってるんだ。四年前に登録された履歴りれきデータから辿っても、お前で間違いない」


 元の登録データごと変えられてしまったということか? このままじゃ俺はヤツの代わりに罪を償うことになる。一体何をもって自分を証明すればいいのだろう。


「こっちに登録されているマザーデータは絶対だ。精算機なんて使って、迂闊うかつもいいとこだな」


 もう俺を証明するものは、ないというのか。


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マイクロチップ 山猫拳 @Yamaneco-Ken

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