未来と禍根
「エリック様…」
「どうした?」
二人でのティータイム。
どうしても聞きたかったことを、レナンは勇気を出して聞いてみた。
「ミネルヴァ様の事を、どうお想いでしたか?」
レナンの勘では、あの女性はエリックを想っている。
しかしそれをけして表には出さないようにしていたし、抱いている想いはただの恋愛感情だけではないように感じた。
様々な感情が、エリックを見る視線に入り混じっているように見えたのだ。
ナ=バークに対する嫌悪については前に聞いている。
でも女王個人に対してエリックがどのように思っているのか。
はっきりと彼の口から聞きたかった。
レナンの問いにエリックは少し考え、ゆっくりと口を開いた。
「彼女は俺に似た人だ。人を信じず、信じられず、嘘で塗り固めた自分しかない女性」
エリックは第一王子として、王太子となるべく育てられた。
三つ子の魂百まで、という異国の言葉がある。
最初の教育が、エリックに及ぼした影響は大きかった。
最初に充てがわれた家庭教師は腕が良いと評判だったが、とても厳しい人だった。
あちらも王太子教育という重圧で必死だったのだと今なら思う。
表情を殺し、心を殺し、人に本音を見せない、完璧な王になるようにと。
他国はともかく、その教育はこのアドガルムの王家にはそぐわないものだったが、仕事に追われ、アルフレッド達は気づくのが遅れてしまった。
もともとの気質もあったが、人形のように表情を変えない、感情表現が乏しい男の子となってしまった。
だんだんと表情が浮かぶようになったのは、少し大きなってからだ
弟達の存在が大きかった。
のびのびと育てられている二人がエリックは羨ましくてたまらなかった。
二人が示す感情表現は自分なんかより明らかに魅力的で、特にティタンは憧れだった。
眩しいくらいに純粋で素直。
そんな彼は今も昔も自分を慕ってくれている。
もちろん父も母もリオンもエリックを大事にしてくれている。
だからこの国を守りたいし、家族を大切にしていきたいのだ。
そこがミネルヴァとの決定的な違いではないだろうか。
「彼女と俺はとても似てる存在だが、俺には家族や、そして君がいる」
信頼出来る家族がいること。
そしてそこに愛しい妻が加わることは、エリックにとってとても大事な事だ。
早くレナンと家族になりたいと切望している。
「彼女のように全てを切り捨てるものにはならないよ」
仮面を被り続け、いつしか自分というものを忘れてしまったミネルヴァ。
エリックを鏡に写した自分のように感じ、同志のように思っていたのだろう。
しかし、エリックはレナンに会って、仮面を取り払った。
重い責務を背負ってる王太子としての姿だけではなく、愛するものを持つ一人の男性
として、慈しむ姿を世間に晒した。
ミネルヴァは裏切られた気分だったのだろう。
自分と同じ、国に従うだけの人形だったエリックが自我を持って動き出したのだから。
「ミネルヴァ様に…好意をお持ちになった事は、ないのでしょうか?」
「それはない」
エリックは強くレナンを抱きしめた。
「エリック様?!」
急な包容に狼狽えてしまった。
「愛おしい婚約者がいるのに、ありえないだろ。俺はミネルヴァを好いてなどいないよ」
エリックがミネルヴァに抱いているのは同情だけだ。
昔、声をかけたこともあったが、戻ってきたのは拒絶の言葉だった。
執着するほどミネルヴァに心が動くこともなかったので、会話もあっさりと終わらせてしまった。
だが、あの時に親身に聞いていたらまた違ったのかもしれない、とふと思う。
だが下手な同情で手を出していたら失礼だ。
ミネルヴァはずっとエリックに対し怒りや嫌悪しか見せていない。
彼女を支えるのは別なものの責務だ。
人生は長い。
彼女にもいずれ自分同様支えてくれる人が見つかるだろう。
「わたくしはエリック様に相応しい女性になれるでしょうか…」
あのように気高く美しく、誇りを持って生きるミネルヴァを見た後では、とても自分がエリックに相応しいと思えなかった。
「何を言う、最高の女性だ。誰がなんと言おうと、君が一番だ」
感情を落としてきたエリックにとって、素直に反応を表すレナンは新鮮だ。
レナンにとっては当たり前の事なのだろうがエリックには出来ない。
それは尊敬と好意を持つにあたって十分すぎるものだった。
その素直さと優しさ、聡明さに心惹かれ、側に置きたくなる。
飾ることない気遣いが心地よい。
泣いたり笑ったり怒ったりするレナンが感情を表わすと自分の感情も動く。
人に近づけたのではないかと錯覚する。
「このままずっと俺の側にいて、支えていて欲しい。そのままの君がいいんだ。素直に笑って、泣いて、怒るレナンがとても愛おしく、手放せない存在なんだ」
レナンが笑えばエリックも嬉しいし、泣けば悲しい。
王太子ではなく一人の男として生きるにはレナンがいないと最早無理であった。
夫として自分もレナンを支え、生きていく未来をエリックは渇望している。
誰でもいいわけではない。
レナンだからいいのだ。
「わたくしは、また色々な失敗をしてしまいますよ?」
レナンもエリックの背におずおずと手を回す。
「人間だから失敗くらいするさ。それに今度は俺が側にいるし、キュアだっている。心配ならばもっと周りに頼って、いっぱい相談してくれ。誰もレナンを笑わないし、力を貸すのを惜しまない」
先の婚約についてレナンはだいぶ後悔していた。
周囲に度々嘲笑されてしまっていたレナンは笑われてしまう事を恐れ、ハインツについての情報収集を出来なかった。
周囲に聞くことも相談することもせず、一人で頑張っていた。
「たくさんご迷惑をかけてしまいますよ?」
「いいさ、俺もいっぱいかけてしまう。夫婦とはそういうものだろう?互いに支えあえばいい。ディエス殿やリリュシーヌ様のように」
「両親のように…」
レナンは父と母を思い出す。
今回の件で奔走したリリュシーヌは、けしてディエスを責めることはせず、心配しかしていなかった。
ディエスもただ怯えるだけではなく、リリュシーヌを信じ、動じることなく過ごしていた。
心折れることなく投獄生活を送れたため、釈放されてすぐに気持ちの切り替えも出来、次に備えることが出来たのだ。
「あのようにお互いを信じ、信じられる関係になれるでしょうか…」
「なれるさ、レナンはあの二人の娘なのだから」
体を離し、互いを見つめる。
さらりとしたレナンの銀髪に触れ、手に取りキスをする。
このまま屋敷になんて帰さずに手元へおいておきたい。
「たとえ離れていても…いつでも貴女を想っているよ」
共に生きることを夢見、これからの幸せを信じていた。
やがて結婚式を挙げ、二人は夫婦となった。
家族以外の前でも少しずつ感情を表現する努力をし、国のため、家族のため、エリックは尽力をしていた。
子宝にも恵まれ、エリックとレナンの間には可愛い男女の双子が生まれる。
とても幸せだった。
我が子は可愛いがやはり妻が一番で、エリックはいつもレナンの側に寄り添っていた。
「愛しているよ、レナン」
周囲に呆れられようが、子どもにやきもちを妬かれようが気持ちを伝えることは忘れなかった。
レナンもそんなエリックを支えるため、王太子妃教育に力を入れる。
もともと語学は得意であった、周辺国の歴史も学んでいた為、すぐに追いつくことが出来た。
アドガルムに来てからの家庭教師が密かに王太子妃教育を施していたのも円滑に進んだ理由だ
今生の統治で皆の心に残ったのは少しおっちょこちょいな王妃とその横で優しく微笑む国王の姿であった。
ー了ー
※ここから先は読んでも読まなくてもいいのですが、次作へ続くために書いたものです。
けれど、結婚後の数年の平和が齎したのは幸せな日々だけではなかった。
凶事がゆっくりと、しかし着実にアドガルムへと迫っていた。
引き裂かれた絆は、姿形が変わっても、10年経っても、色褪せる事がなかった。
「ただいまレナン」
失くした時を埋めようと、また二人の
時間が動き出す。
【目覚めたら死んでから10年経っていた、まずは国に帰ろう】
に続きます。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました。
冤罪を受けたため、隣国へ亡命します しろねこ。 @sironeko0704
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