第78話 冒険の始まり



「クルトさん! ちょっと落ち着いて」


 小男はハインリヒに飛び付かれる。それまで夢中で騎士団に指示を飛ばしていた、クルトが我に返った。見れば少年の顔や腕に血が付いている。自分の振り回していた拳から飛んだ血で汚れていることに気づき、慌ててハンカチを差し出した。

 少年はハンカチを受け取ると、それをクルトの拳に巻き付ける。それから治療師の所へ引っ張って行った。

「ナイフごと相手を殴り倒すとは、何とも豪気なことですな」

「いやはは、お恥ずかしい。柄にも無く熱くなってしまいました」

 治療師の皮肉も笑い飛ばして、小男は治療を受ける。横目で気絶しているマレーネを観察して、ため息を吐いた。

「あの、彼女の傷跡は……」

「残念ですが消えないでしょう。しかしクルト様、貴方の手の傷だって同じですよ」

「こんな傷、なんて事ありません。それよりも私は彼女へ、どのように償ったら良いのでしょうか?」

 小男のため息が、周りの人間にも伝染した様である。急に辺りの光度が落ちたように感じた。


「クルト様!」

 小男の下に騎士が駆け寄って来る。逮捕に抵抗する構成員の相手をしていた為か、大分に息が上がっているようだ。心無しか顔色も悪い。

「おやおや、中隊長さん。大活躍でしたね。そんなに慌てて、どうされました?」

「移民マフィアのボスの姿が消えました。騒ぎに紛れて、逃げ出したものと……」

 中隊長の報告が終わる前に、クルトは立ち上がった。施術中の治療師が慌てて嗜めるが、小男は気にも留めない。


「中隊長さん。申し訳ありませんが、手の空いている方を集めて下さい」


 それだけ言うと、彼は病室から飛び出した。



「クルトさん、何処に行くの」

 病院を飛び出した小男の後ろから、ハインリヒは声をかけた。クルトは振り向かずに答える。

「彼は、この騒ぎをやり過ごしてから、イザールを逃げ出すつもりでしょう。逃げ込みそうな場所に、幾つか心当たりがあります」

 小男は騎士団の中隊を引き連れ、貧民窟と一般街の境界にある居酒屋へ飛び込んだ。居酒屋の親父が、慌てた声をあげる。

「おい! 開店前だぞ。何だ、こんなに大勢で」

「お店に用はありません。二階へ上がらせて頂きますよ」

「この建物を見たか? どう見ても平屋だろうが」

 親父の声を無視した小男は、一番奥の個室に踏み込むと壁の一部を強く押した。


 ギィ


 不満げな音を立てて、壁は奥に開いた。親父は目を見開く。

「な、何でウチの隠し部屋を知っているんだ!」

「そんな事よりボスは、こちらにいらっしゃいましたか?」

 クルトの質問に、親父の目が盛大に泳ぐ。それを見た小男は階段を駆け上がった。

「ちょっ、ちょっと待て!」

「残念。一足違いで逃げられましたか」

 屋根裏の隠し部屋を見ると、明かり取りの窓が開け放してあった。タンスや衣装棚が乱雑に開かれている。恐らく隠し金を回収して、窓から姿を消したのだろう。

「逃走資金は回収できたと。すると次は……」

 そう小男は呟くと、階段を駆け降りた。慌ててハインリヒと、騎士団も彼の後を追う。



 次の目的地は中流家庭が集まる、イザールの郊外だった。そこに場違いな程、豪華な建屋が立ってる。これがボスの本宅らしい。

「城周辺の貴族街に住む事は、さすがに憚っているのでしょう。収入は、そこらの貴族の何十倍もあるのでしょうが」

 そう言いながら、玄関のドアを押す。鍵はかかっておらず、威圧感のあるゴツい扉はスンナリと開いた。

「逮捕劇から時間は経っていないのに、全員逃げ出したようです。情報拡散が随分早いですね。ひょっとしたら身内に内通者スパイがいるのかも知れません」

 クルトは眉根を寄せ、中隊長は顔色を悪くさせる。そして邸内を見渡した。

 

 いつもは警備役の部下などが無数にいる筈の邸内は、ガランとした雰囲気だった。人の気配が全く感じられない。組織が壊滅状態に陥った事を悟り、クルトが言う通り蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまったのだろう。


 コトリ


 二階の一室から物音がした。小首を傾げた小男が豪華な階段を登り、部屋の扉を開く。部屋の奥には泣き崩れた女がいた。彼女を護るように小さな男の子が、前に立ち両手を広げている。

「お前ら、何の用だ! 母様には指一本触らせないからな!」

 男の子の脚は細かく震えていた。全ての事柄が突然過ぎて、状況が良く分かっていないのだろう。それでも健気にクルトを睨みつける。面倒臭そうに彼を退かそうとした、中隊長を小男は押し留めた。それからしゃがみ込んで、彼と目線を合わせる。


「突然、大勢でお邪魔してすいません。ボスさんはいらっしゃいますか?」

「ボスって、父様のこと?」

「あ、失礼しました。君はボスの息子さんでしたか」

「父様なら、何処かへ行っちゃったよ。もうイザールには戻れないんだって」

 男の子の言葉に母親は肩を震わせ、また泣き始めた。彼は慌てて振り返り、彼女の背中を摩るとクルトに殴りかかった。

「良くも母様を泣かせたな!」


「おいおい。その女性が泣いたのは、お前の言葉のせいだろう」

 中隊長の言葉を無視して、男の子は小男を叩き続ける。クルトは頭を下げて謝り続けた。見かねたハインリヒが間に入ると、男の子の拳が当たった拍子にポケットに入れていたプィーサンカが弾き飛ばされる。


 カシャン


 音を立てて卵の殻は割れ、中から何かドス黒い金属片が転がり出た。

「おや、これは……」

 クルトは金属片を拾い上げる。何層にも積み重なった血液がこびり付いた、小さな銅貨だった。小男はそれを見て、ため息を吐く。

「クルトさん、どうしたのさ?」

「マフィアたちが探していたのは、この銅貨なんですよ。血の結束オメルタという儀式を行って、ファミリーは増えて行くそうです。このコインに入会者の血を乗せて、儀式が完了するみたいで、これは絶対なんだそうですよ」


 渡されたコインを見て、ハインリヒは口を閉じる。こんな物のために、何人もの人間が傷付き、死んでいたのだ。


 クルトを叩き疲れた男の子は、その場に座って大声で泣き始める。彼にも小男が悪い訳では、ないことは分かっているのだ。彼を抱きしめる母親も顔を上げる事ができない。

「本当に申し訳ありませんでした。イザールの街を良くしようと頑張っているのですが、中々上手くは行かないものなのですね。私は、まだまだ至りません」

 クルトの独り言を受け止められる人間は、部屋の中に一人もいなかった。



『悪い奴を一掃しても、困窮する子供はゼロにはならない。悪人が、この世の中から消える事はない』


 そう悟ったハインリヒはドス黒いコインと共に、いつの間にかイザールから姿を消す。それから長い月日が流れた……



「……それでもクルトさんは、努力を続けました。周りの都市と比較する迄もありませんが、イザールは、貧困層が少ないと思われませんか?」 

 クルトにそっくりな少年が、目を丸くして驚いていた。ハインリヒは、中肉中背の二十代になっていた。シルバーブロンドの髪に身なりの良い服装。一見どこにでもいそうな男に見えるが、その目付きと表情の印象が悪すぎた。人を全く信じない目と、感情を全く現さない顔つき。


「それでお父様に頼まれた旅に出る訳? 任務が厳し過ぎて、死んじゃうかもしれないんでしょう?」

「えぇ。その位ではお返しできないほどの、借りがクルトさんにはありますのでねぇ。お声がけ頂き感謝している位ですよ」

「話し方がお父様みたい。真似しているの?」

「さて、どうでしょう? 自分では気が付きませんでした。時間潰しに昔話をしましたが、お気に召しましたか?」

 少年は歯を喰いしばって、大きく頷いた。目には薄らと涙が溜まっている。

「お父様が道化者ピエロみたいだって、お母様が傷物の元娼婦だって皆んなに馬鹿にされても、もう大丈夫! そんな事を言う奴らは、全員ぶっ飛ばしてやるんだから」


「これこれ! 何を物騒な事を話しているんです。ヤァ、ハインリヒ君お久しぶりです。今回もご迷惑をおかけしますが、宜くお願いいたしますね」

 父親の温顔を浮かべたクルトが、彼らの側に歩み寄って来た。深々と頭を下げる。

「所で愚息と何を話されていたのですか? 何だか顔を真っ赤にしておりますが」

「イヤ何。時間潰しの昔話です。さて、ユーキさんたちがいらっしゃったようですよ。お出迎えと参りますか」


 ハインリヒは苦笑しながら肩を竦めた。成功する可能性は限りなく低い、長く厳しい旅が始まる。身に着けているペンダントの銅貨が軽く揺れた。




 、熱狂と戦慄の冒険が静かに動き始める。



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異世界の引越屋さん @Teturo

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