薄陰の銃口は蠢く

底道つかさ

薄陰の銃口は蠢く

 涼やかな秋口の夜。影色に塗れた山森の中を、喘鳴を抑えながら歩く。

 親指と人差し指を切り落とされた右手が強烈な信号を脳に流してくるが無視する。

 俺は軍人だ。目的がある、希望がある、将来がある。だからこんな所で、戦争なんかで死んで良い訳が無い。

 哨戒ドローンは喪失し、イヤホン通信機も最新鋭のフルカスタムライフルも何処かへ行った。今や統合視覚支援ゴーグルと左手に握った拳銃だけが残された装備だ。

 それでも泥を跳ね上げて進む。

 最初は十人対一人だった。

 今は一人対一人だ。

 あと少し、あと少しなのだ。諦めてはいけない。

 しかし。

「うっ、ぐわ」

 何かに躓いて倒れる。ゴーグルが外れて周囲にそぐわない人工物の打音が立った。打ち付けた肩の痛みよりも、大きな物音を出してしまったことに冷や汗が噴き出す。

 伏せったまま硬直し、何も起きぬ長い数秒を経て安堵した。再び起き上がる。

 目の前に、薄陰に包まれた兵士が立っていた。

 枯れた絶叫を上げて慣れない左手で拳銃を向け引き金を絞る。

 弾が出ない。

 いや、そもそも伸ばした左手に銃が掴まれていない。

 五指が全て無くなっていた。いつの間にか斬り落とされ地面に転がっている。

「アィッ——がぁ!?」

 今度こそ絶叫が出ようとして敵の蹴撃に止められる。

 仰向けに体が倒れた。だが痛みは感じない。

 恐怖だ。

それが今の自分の全てを支配し本能で後ずさりをさせている。にも拘らずその元凶である兵士から目が逸らせない。

 尻もちのまま這いずっていると、右手が水たまりに突っ込み滑って上体が崩れ、顔を水に落とし込んでしまう。生臭い鉄臭でそれが血溜まりだと理解し、そのすぐ横に落ちている先ほど自分がつまずいた物、上官だった死体と目が会った。

 恐怖でさえ凍り付く。

 最早まともではなくなった思考で敵を再び見る。

 そいつはポンチョで頭からすっぽり体覆い、目に何か装備しているのか、鼻の輪郭が薄黒く見える以外、顔は闇に隠れている。

 こいつだった。

 こいつ一人に我々十人の先遣隊の内、九人が始末された。

 その姿から逃れる様に脳が一息で人生の記憶の再演する。

 我々は大陸に座し、アジアを統べる正当な権利を持つ高貴なる民族。数千年に渡って我らの領土である列島を不法占拠してきた者共を駆逐し、悪逆を受ける同胞を保護するためにここへ来た。

 我々は現地民の工作兵によって既に制圧された地区を次々と奪還していった。当然その後は工作兵を真っ先に処分し、賠償と罰を兼ねて現地民の男は端から少しづつ刻んでゆっくり処分し、女と子供は相応しい罰を満足ゆくまで十分に与えてから止め刺した。人生で最も痛快な日々だった。

 それを何十回か繰り返しながら進行し、今日、現地司令部から山森に夜間進軍するように命令を受けた。嫌々ながら先遣隊として森の中ほどまで入ったのだ。

 そう、その時。

 初まりは哨戒ドローンが突然撃墜された事だった。ミサイルでもなく、真っ暗な夜に浮かぶドローンが赤外線照射も受けずに銃撃で撃ち落とされたのだ。ドローンを回収する命令を受けた自分が隊を50メートルばかり離れた時、ぐぐもった風音を聞いた。今になって分かるが塞がれた断末魔だったのだ。

 倒れた同僚に近づき、死んでいると分かって隊長に報告したが返事はなく、襲撃を受けているとはっきり悟った時には既に手遅れで、通信内で騒ぎ立てる声が次々と減っていった。最新鋭装備は、ドローンも通信機も火器もゴーグルも、何もかも役立たずだった。

 一瞬の走馬灯は、敵の手に現れた墨色の刃に思考を集中させられて途切れる。

 今から自分も九人と同じになる。

 そう思って全てを諦めた。

 しかし、あり得ざる音を聞く。

「消えろ」

 薄暗い兵士が刃を納めた。

「去れ」

 なにをいってる、りかいできない。

 だが敵が踵を返したことでその言葉を真実に言っていることが分かった。

 相手が自分を刺す気が無いと知り、反射的に罵倒が口から飛び出ようとして、半身を振り返ったフードの陰の奥から来た見えない目線に封じられた。

 声は出せずに疑問を投げ出す。

(捕縛は!?復讐は!?拷問はどうした!?)

 自分たちの当然を相手がしない事が、その文化性への不理解から生じる別次元の恐怖が口を慄かせた。

 薄暗い陰から一言だけ返ってくる。

「貴様にその価値は無い。行為にも意味が無い」

 怒りが沸騰する。人間をそうでない物が侮辱するなどあってはならない。反射的に右手で銃を掴もうとして、激痛が不可能を訴えた。

 蘇った恐怖に潰されて一目散に逃げだす。

(クソッ、クソっ、×××が!だがやはり俺は運がいい。特別だ。民族の中でもさらに高貴的!ここは生きて必ず屈辱を与えてやる!)

 そうして恨みの力で体を奮い立たせて逃げていた時、それが眼に留まった。自分たちが装備していたライフルだ。

 脚が止まり、思考が蠢く。

 このまま本隊へ戻っても同僚から嘲笑され、負傷兵として不名誉を受けるだけだ。しかし、上官の仇を討ちとって持ち帰ればどうであろう。一転、卑劣な敵に単独で立ち向かった勇者として称えられ、叙勲を受ける。

 勲章。それはすなわち名誉であり昇進を示す。本国に戻れば賞賛と共に、大勢を思うがままに扱える高い社会地位と豊かな人生を保証される。

 口の端が歪に持ち上がった。

 指が欠けた両手で若干手間取りながらもライフルを持ち上げる。未練がましく銃を掴んでいた同僚だったものを蹴り飛ばして引き剥がす。

 アクセサリのバイポットを立て、座位の姿勢を取る。立てた右膝に指のない左手で銃身のサイドプレートを押し付け固定した。赤外線レーザーサイトを点灯し、ドットサイトを覗き込む。右手の中指を引き金に掛けた。

 ポンチョを被った不気味な敵兵の後ろ姿は高機能サイト越しに見えている。仮に振り返ったとしても逆に相手からは夜陰によってこちらが全く見えないはずだ。

 距離は約30メートル。ライフルで狙うには至近と言える。指が欠けた腕で撃ってもずれが大きくなる前に当たるはずだ。

 ポンチョはなびいていない。風は無く、的は立ったまま身動きが無いという事だ。

 レーザーサイトを的の心臓位置に当てる。絶望から一転、明るい将来の展望に思わず舌が飛び出るほど喜び、だらだらと唾液が溢れた。

(吹き飛べ、愚か者め!)

 中指が引き金を押し込む。

 その直前、顔面にどんっと、柱に強く打ち付けた時の様な衝撃が伝わった。

 覗く先、ポンチョの背中が内側から鋭い物で貫いたように円錐状に変形していた。

 風が吹く。ポンチョが捲れ、その裏に拳銃を持った右手をみる。

 なぜ、相手は生きたままでこちらに銃を向けているのだろう。なぜ、さっきから、何も音がしないのだろう。なぜ、こんな、視界がゆっくりになって。

(もしか——おれ——た?——どうし——こうきな——お——ぬ?)


          ◆


 薄暗い陰で顔を隠す兵士は、撃った弾丸が敵に命中したことを確認した。

 ただ逃げ続けていれば追撃しなかったが、脚を止めた時点でその後何をしようとするかは明白だ。

 故に、撃った。

 距離35.8メートル。拳銃で狙うには最大と言える長さだが、自分は充分に当てることが可能な訓練を積んでいる。

 ドローンを撃ち落とすことに比べれば容易い。

 方法は単純だ。

 先の戦闘で敵士官から奪った端末で相手の位置を確認する。気が付いていることを悟られないように、ポンチョの形を崩さず内側で身を回す。左手に端末を持ったまま右手で拳銃を腰だめに構える。相手のレーザーサイトを左手と体の間にポンチョ越しで透過させ、その直線に拳銃のフロントサイトとリアサイトを沿い合わす。そうすれば自然、射線は相手に会うことになる。後は彼我の位置関係、ライフルを構えている体勢を考慮し、身に刻んだ弾道特性のままに発射すれば、当たる。

 それほど難しいことではない。

 これで敵部隊の処理は完了した。

 拳銃を右腰のホルスターに収納し、落ちた薬莢を回収する。敵から奪った端末は情報を抜き終わったので絶縁袋に入れて藪の中に隠す。敵の死体や装備、僅かに生じた発砲の痕跡や地面と草木の乱れも隠蔽処理を施していく。ポンチョを正したら、元の方へ向き直り歩を進める。

 深い夜の森をゆっくりと、だが滑らかに決して止まることなく移動していく。

 暫くの後、仲間がいる筈の場所にたどり着いた。何の変哲もない森の一部は誰もいないように見えるがしかし、歩みを止めた途端に複数の陰が現れた。自身の部隊と合流したのだ。

 隊長が訓練を受けていない人間には聞き取れない、独特のぼかした声で話す。

「お前にしては遅かった。何か問題があったか」

「いえ、粛清性を重点とした為に時間を要しました。敵部隊十名は全員殺害処理を完了。発信源等も全て処理済みです。戦闘の痕跡も隠蔽しました」

「了解。ご苦労だった」

 報告を受け取った隊長が別の隊員へ向く。

「敵本隊の様子はどうだ」

「依然変わらず。ここから見て南西8キロの山麓にある村で略奪を行っています」

「よし、監視を続けろ」

 頷いた陰が森の奥へ消えていく。

 その姿を見送った後、隊長へ語り掛けた。

「隊長。今のうちに仕掛けますか。我々であれば機甲車両と司令系の破壊、敵士官の排除も可能です」

「ならん」

 返答は早く、断じていた。

「敵が第一先遣隊の異変に気付くのが45分後。そして第二先遣隊を出したらそれは通す。敵本隊が安全を確認し動いた段階で我々も後方から追従し、セットポイントに入るのを待ち襲撃を実行する」

「了解、しました」

 これが本来の計画だ。第一先遣隊の襲撃を行っても予定外の事態が起きていない以上、変更する理由はない。元より承知の戦術行動だ。

 しかし、隊長はこちらを見ると言葉を付け足した。

「貴様には辛かろう。だが、最早我が国の戦力にを守る力は残されていない。我々に出来ることは国家の為に戦い、を守ることだけだ」

 隊長の言葉に、ただ頷いた。

 それきり隊長も自分も言葉を出すことを止める。本来であれば今の一言も隠密性の観点ではあってはならない物だ。他の隊員も一切物音を立てない。

 夜の森に自然な静寂が降りる。

 まるで低い笛音に聞こえる夜鷹の鳴き声が通り過ぎ、風にさざめく梢の音に混じって獣達が草木を分ける幽かな音が潜む。鈴虫と蟋蟀たちの閑寂な響きの下で、ムカデや地蜘蛛が落ち葉を踏み掻く音がする。

 夜陰に紛れて生きる虫や動物は人の気配を感じず静けさを響かせた。そこには文明がもたらす悲壮は轟かない。

 だがしかし、亡霊の様な薄暗い陰たちが、そこで確かに蠢いていた。













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